「ああ、お正月明けって言うのはどうしてこうもだるいのよ!」
大声で焦れたように叫んだのはこの家の我侭娘アスカである。こたつでまるまってTVを無意味に流してるのにも飽きたらしい。
「十分ごろごろしてる人の台詞じゃないわね。アスカ、貴方もいい加減少しからだ動かさ ないと太るわよ。」 「あんたこそ、きちんと珍しく座ってるなと思ったら、何よそれティーカップでビール 飲んでるわけ?」
飛び起きるなり、すこし(だいぶよっ!)年上の美女に噛み付くように怒鳴った。
「人の勝手でしょ〜。シンジ君がまだ働いてるのにごろごろビール喰らってるわけに行か ないじゃないのよ。」 「ごろごろしてないってだけじゃない。何よ、つまみは野沢菜かあ。ヘルシーですこと。」
半分凍った漬物を口に入れてしゃくしゃくと噛み締めると濃厚な野菜の味と塩分が口に溢れた。 最近では漬物も結構食べれるのだ、この赤毛の少女は。
「あら、これが結構合うのよね。日本酒があったらもっとよかったのに。」
年頃終わりの美女がぬけぬけとのたもうたその時、頭から何から雪だらけになったシンジがドアロックをあけて部屋に入ってきた。 振り返ったアスカの目が丸くなる。
「うっわ!シンジ、外、なに、雪?」
予想だにしていなかったその格好を見て、すぐ勢いよくくるりと振り向くと、 ひっきりなしに降ってくる雪。 ついぞこの街では見ることのかなわなかった雪景色が広がっていた。
「わあーーー!ゆきっ、ゆきっ、ゆきいっ!」
飛び跳ねてる。雪ごときなんだって言うのよ、とミサトは思ってそのあともう20年ぶりの雪であることをやっと思い出した。 最後に見た雪って・・・そうか、あの南極以来だっけ。 考えたらスキーにもスケートにも行かず駆けずり回ってやっともう使徒もやってこない世界を手に入れて。 雪くらい降ってもいいわよねえ。 その跳ねている小娘の生脚を後ろから眺めながらそんな風に思った。 机の上にぽんと置かれたのは好物のいくらのしょうゆ漬けとあんきもだ。 見上げるとやっと雪を払い終わって、まだ少し髪がぬれたままの少年の笑顔があった。
「はい、雪見酒のつまみですよ。ビールもほらっ。」
片手につかまれてるのはエビチユの500mlだ。ポリ袋にも何本かまだ入ってるのが見えた。
「シンちゃーん!なんていい子なんでしょ。こっちに入りなさい。」
思わず隣の席に布団をめくり上げると少年は其処にすっぽりともぐりこむように腰を下ろす。
「おかえりなさい。」 「ただいま・・・ああ、寒かったぁ。」 「雪なんて気がつかなかったわ。カーテン締め切ってたから。」 「えへへ、そうだと思ったから連絡しなかったんです。」 「迎えにいってあげたのに。」 「いえ、雪の中を歩くのって、僕も初めての経験で、歩いて帰ってきたかったんです。 雪って、見るのも触るのも初めてなんです。」 「ああ、そうよねえ。ドイツにいたアスカには少しは体験があるでしょうけど。
プラケースを開けて、イクラを口に含んで噛み潰す。
「ン〜〜〜ん。これよ、これよおっ!」
しゅぽっ!ごっくごっくごっく。
「相変わらず豪快なのみっぷりですね。」
どたどたどた。ずっと窓に張り付いてた少女が駆け戻ってきた。口に咥えていた肉饅を大急ぎで咀嚼している。 目だけは必死でシンジを見つめ。その手がシンジの分厚いセーターをしっかり握り締めている。顔だって真っ赤だ。
「あ、何がいいたいのか分かっちゃったな、僕。」
苦笑する少年。噴き出すのをこらえているミサト。はふはふっと言う音だけが響いている部屋。 ようやく食べ終わった少女の口に、シンジはもう一個の肉饅を突っ込んだ。 「わふっ!」という声を上げて、少女はそれにも取り掛かった。もともと、おなかがすいたっ! 何か買ってきてようっ!って少年を外に追いやったのはこの子なのだ。 シンジも一個取り出して口に咥えて立ち上がった。もぐもぐやりながら少女の片手はセーターを離さない。
「わかってるから、ね?」
そう少年が言うと手を離す。
「あら、存外素直に離したじゃない。ああ、おねだりの前だもんねー。」
少女の赤い顔がますます赤くなる。 その間に手早く買って来た物を冷蔵庫に移すと少年は、少女と自分のアノラックとマフラー、手袋を出してきた。 肉饅を頬張ったまま、まだ声も出せない状態のままの少女の目が嬉しそうに細くなった。 もう待ちきれなくなったのか、アスカは立ち上がってその場で薄いセーターを脱ぎ捨てて、 手袋をはめ、毛糸の帽子をかぶるところで、やっと口が利けるようになった。
「シンジもほんとに気が効く様になったわねっ!ごほうびにちょっとつきあってあげるわっ!」 「はいはい。どこがいいかな。」
う〜ん、と頭の中には色々な野望が渦を巻くがいつものことだ、歩きながら考えることにしてアスカはとにかく出かけることを優先した。
「すいません、ミサトさん。出てきますんで留守番宜しくお願いします。 あっ、ほらアスカ、僕ら出かけるんだから、それはミサトさんに残していきなよっ。」
肉饅の袋が宙を飛んで帰り、その袋をナイスキャッチ。
「いってきまーす、ミサト!」 「はーい、あんまりシンちゃん困らせるんじゃないわよ。」 「あ、あたしが何時、馬鹿シンジを困らせたって言うのよっ。大体そうやっていつも。」
声の途中でドアが閉まった。 何か怒鳴っている声が遠ざかっていく。暫く、くすくす笑いが止まらないお姉さん。 立ち上がって窓の傍へ。真っ白な世界に雪は見える物を変えようとしていた。 窓際でビールを飲んでその景色を眺めている中に、赤と青の傘が鮮やかに道を下っていく。 赤い傘が、弾んだようにあちこち飛び回る後を、蛇行するように青い傘が付いて動く。 余り離れすぎてしまうと、赤い傘は青い傘が来るのをじっと待ち続ける。 二つがひとつになると、再び赤い点が飛び回り始める。その動きは見ていて飽きることがない。 白い雪は何もかも隠すかと思うと、いろいろな物を浮き彫りにもしてくれるのだ。 例えば・・・雑多な物の陰に隠れていた、ちいさな人の想いとか。 電話が鳴った。
「俺だよ。どうだ、外は雪だけど近所まで来てるんだ。出かけないか。」 「あたし、家でコタツに入っていたいな。ちょっと焼き豆腐と葱と牛肉でも持ってないの?」 「シラタキと春菊もか?」 「おうよ、わかってんじゃない。」 「せっかくロマンチックなのになあ。」 「あんた馬鹿あっ?あたしたちの年になったら雪見酒優先でしょっ。」 「そうかなあ・・・」 「当然よ。まってるからねっ!直ちに出頭せよっ!」 「目の前にマーケットがある。そこで買ってから行くよ。おやあ・・・あれは。」
目の前を笑顔のアスカとシンジが通り過ぎていく。
「だめよっ!声掛けたら。デートなんだからねっ。」 「なるほど。それでか・・・俺たちも二人きりということだな。」 「だからさっさと来いって言ってるのよ。」
ちょっと声の調子が上ずった。素直な女だ。
「はいはい。すぐに行くさ。」
加持は車を回し、外に降り立つとトレンチの襟を直し、マーケットにその姿を消した。
「ねえ、シンジ。」 「うん?」 「あたしさあ・・・ドイツにいた頃は雪の中を歩くのは寒いだけで何も見えなくて、 つまらないなあって思ってたのよ。」 「うん。」 「でもね・・・こうやって、まあ・・・」 「なに。」 「やっぱいいや、なんでもない。」
赤と青の傘は、駅を越えて森林公園の向こう、芝生公園まで連れ立って歩いていった。
「ぼくはさ・・・」 「え?」 「いつもある背景が消えると、アスカだけが残るでしょ。」 「うん・・・」 「世界中に二人っきりになれたみたいでしょ。」 「うん・・・」 「時々は・・・このままがいいなあって。思ったらいけないかなあ。」 「あったり前でしょ。あんたと二人っきりなんてとんでもない!」 「ははは・・・そうだよね。」
『馬鹿・・・』
アスカは傘をたたむとシンジの腕に手を回してしがみ付いた。
「でも、たまに・・・ほんのたまになら・・・いいかな。」
その小さな声はシンジには聞こえなかったようだった。 いつの間にか、足の下に雪が厚くなり、踏みしめる音が、ぎゅっ、ぎゅっと鳴っている。 足跡が見えないくらい雪が積もったのだ。アスファルトも隠れ、本当に真っ白な世界だ。 芝生公園を歩いている自分たちの前に、誰も踏んでいない真っ白な空間が広がっていた。 雪はまだまだ止みそうになく、すっかり降り込められそうな街であった。
『雪って・・・好きになれそうだな。』
シンジは片腕の心地よい重さにそう思った。
ゆきやこんこん 2003−Jan.−10 komedokoro
<アスカ>こめどころ様から、とぉってもいいお話を頂いたわ! すべて終わって平和になった世界なのよね。四季も戻って、日本でも雪が降るようになって…。そんな日のお話。 ホントにいいお話をありがとうございました! |