その3

駕篭(かご)税

明治6年に自動車税の先駆ともいえる税が創設されました。それは「駕篭税」というもので、引戸以上
のものは1年につき50銭、引戸でないもの(両側にむしろのようなものが垂れているもの)は1年25
銭でした。
皇族と辻カゴは非課税で、自家用カゴだけに課税されました。
この「駕篭税」は明治7年に廃止されましたが、昭和13年には自動車に物品税が課税されることと
なり、現在では、消費税・自動車重量税・自動車取得税・自動車税・軽自動車税が課税されています。


青色・藍色・緑色

青色・藍色・緑色と聞いてピンと来る人は相当な国際的課税通の人でしょう。
実は、この言葉の後に「申告」という言葉をつけると日本、台湾、韓国のそれぞれの申告制度になり
ます。
所変われば品変わるといいますが、さしずめ、国変われば色変わるといったところでしょうか。


こけんにかかわる

明治6年の地租改正によって土地の所有者が明らかになると、土地の売買が行われるようになり
ます。
土地の所有者を証明する証券(地券)はもともと「沽券」といっていましたが、この土地の価値を証明
する証券が、いつの間にか人間の品位や体面を意味するようになり、「こけんにかかわる」というよう
な使われ方をするようになりました。


年貢の納め時

もともとは、税金を納める時期のことですが、これが、隠れて耕作していた隠田が見つかり、年貢を
納めなければならなくなった時の意味に転じ、今日では、悪事が見つかり刑に服さなければならなく
なった時あるいは観念した時に使う、たとえとなりました。


トゥバラーマ

八重山(現在の沖縄県南西部の島々)の人たちは昔、重税に苦しんだそうです。「トゥバラーマ」は、
その当時のことがしのばれる悲しい民謡です。その歌詞からは、数々課された税のために過酷な
生活を強いられ、生きる喜びを失った当時の人たちのやりきれない心中がよく伝わってきます。

(訳)
私はなんて悪い星の下に生まれてきたのであろう。朝から晩までこんなに苦労して。
いったい誰れをうらめばよいのか、ずっと考えてみたが、結局は自分を生んだ親をうらむしかない。
今の苦しみから解放されるものなら(死んでもかまわないから)逃げ出したい。


血税

血税という言葉は、現在でも国会質問などによく出てきますが、汗を流して働いて納めた大切な税
金とか、重い税負担という意味で使われているようです。しかし、現実には血税という名の税金は
存在しません。
これは、1872年(明治5年)明治政府が出した「国民皆兵の制」の告諭で、徴兵制のことを「血税」
と呼んだことから、税金のようにいわれたことが原因のようです。


八瀬童子

京都の八瀬地区(現在の京都市左京区内)には、代々天皇の行幸に際し、警護として奉仕していた
「八瀬童子」と呼ばれる人たちがいます。
八瀬の人たちがよその人と違うのは、天皇を警護する功労に対し、明治になるまで年貢や諸役が
いっさい免除されていました。その歴史は後醍醐天皇以来ということで、ここの人たちの誇りでもあ
ります。
実際に奉仕した時の姿は、現在も、毎年5月に行われる葵祭で見ることができます。


テイク・アウト

イギリスでは、ハンバーガーなどを買う時、「お持ち帰りですか」と聞かれますが、これは単に親切
なだけではありません。
イギリスでは1984年から、持ち帰りのホット食品や飲物に15%の付加価値税がかかることにな
ったため、店員さんが確認するのです。
この付加価値税、従来から課税されていたレストランの食事との競争を公平にするため設けられた
そうです。


間口税

玄関の広さに応じてかけたのが「間口税」。
日本では、江戸時代に間口の広さで税を課していたところもありました。
しかし、そこは庶民の知恵、結局は間口が狭く、奥行きのある建物をつくることで節税を図っていま
した。
ここから、「うなぎの寝床」という言葉が生まれたともいわれています。


窓税

洋の東西を問わず、お金持ちの判断基準はその人の住まいだったようです。そのお金持ちに税金
を課す、というのもまた同じです。
窓の数に応じて税金をかけたのが「窓税」で、日本では戦国時代から江戸時代にあったそうです。
フランスには、戸窓税がありました。1798年のフランス革命後に創設された税金で、戸、門、窓の
数によって税金をかけたものです。 第一次大戦まで100年以上も続き、一定の税収を確保し続け
ました。