もう一度ジュウシマツを

 

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「ゲンドウ 予言する」


 

こめどころ       2004.5.10(発表)6.2(修正補筆掲載)








 いつものように、もうふらふらになって帰って来るとレイが珍しくテレビを見ていた。レイは余りテレビ
というものを見ない。テレビを見る暇があったら本を読む。そんな妹が何故テレビを見ているのかというと
BBCの世界の奇跡と言う番組が一ヶ月に一度放送される日だからだ。その向こうの座敷ではリツコさんが
父さんの耳掃除をしている。しかも父さんの頭を膝に乗せてだ。膝枕って初めて見たよ。とても気持ちよさ
そうに父さんは目を閉じている。もしかして無防備に眠っちゃってるの?耳を掃除してるリツコさんも目を
伏せて柔らかな表情をしている。いつものきりっとした彼女とは違う感じがする。


「お兄ちゃんちょっと羨ましい?」

「え、なにがさ。」


冷たい床に転がって、動きたくない状態でいる僕にレイが言う。


「また、板の間になんか転がって。先にシャワーを浴びた方がいいとおもう。――あの2人の様子よ。」

「あ、ああ。いいんじゃない?父さんも満足してるみたいだしさ。」

「リツコねぇったら、あんな顔しちゃってさ。お父さんのどこが良かったのかよく分からない。」


くすくすと笑うレイが可愛い。


「そんなもんじゃないのかなぁ。仮に――仮にだよ、最初は何か勘違いだったとしてもさ。」

「リツコの中では幾度も自問自答が繰り返され、一番身近な異性への感情としてゲンドウへの想いが育くま
れていったのであった。ゲンドウ氏の思惑はただ子供の面倒を見てくれる女性を求めていただけだったとし
ても、タブーの無いうら若き娘に対し、無意識にでも庇護下に入れる事を望まなかったといえるであろうか。」


立ち上がりながらレイが呟く。


「ははは、やめなよレイ。」


読書好きのレイは時々こんな小説風に物語って周囲を笑わせる。リツコさんがチラッとこっちを見てすぐに
顔を伏せた。僕らが何を言っているのか聞こえちゃったかな。明らかに照れている。


「ほら、リツコさん照れてるじゃない。」


照れてません!と『母さん』は口だけをぱくぱくその形に動かして拳骨を振る格好をした。


「リツコ母さんて、可愛いとこ有るよね。」


そう言いながらキッチンから戻ってきた妹は、僕の耳元に氷の浮かんだ水を置いてくれた。今日はこの季節
にしては、随分暑い日だった。レイも真夏のような肩ヒモだけのシャツを着て、ミニスカートをはいている。
妹とは言え、いささか刺激的な格好だ。


「ねえ、お兄。」

「うん?」


水を飲み干した僕にレイの腕が絡んだ。


「えい、こっち来い。」


体勢を崩してレイが引っ張ったとおり、膝の上に転がり込んだ。


「耳掻きしてあげる。させるの!」


もがいて起き上がろうとするが、この姿勢では簡単に押さえ込まれてしまう。2本セットの耳掻きの一本が
机の上に残されていたのを取ってレイが構えた。


「ほら、向こう向いて。ほう〜、大分溜まってるわよお兄ちゃん。」

「そうかい?」

「そうよ、お兄ちゃんのはかさかさタイプじゃないんだからちゃんと何時も取らないと不衛生だよ。」


几帳面なレイの耳掃除はとても気持ちが良い。自分でやるよりもずっと綺麗になった事がしてもらった後は
よくわかる。実際によく聞こえるようになっているのかもしれないと何時も思う。みんなに言われるほど
妹がいて良いなとは思っていない。妹ってのはもっと手がかかって煩いだけで小さな母親みたいんもんだ。
ただレイは実際とても可愛いし――最近は綺麗だと言ったほうが良いかもしれない――色々世話も焼いてく
れるから、恋人に母性を求めてる精神的発育不全の人間にとっては幻想に近いほど理想的な妹に見えるかも
しれない。


「そうしてると、おままごとの夫婦みたいね。」


さっきの仕返しのつもり? リツコさん。


「少しすけべだけど。」レイはやっぱりこの間の件を少し根に持っている。「お兄ちゃんは割と理想かも。」

「そんなこと言うから、ブラコンレイなんて言われるんだ。」

「お兄だって、シスコンって言われてたじゃない。アスカちゃんにも言われたよ。」

「惣流だって、弟の事になると一生懸命じゃないか。」

「あれは、母性愛に近いものじゃないのかしら。アスカちゃんてあれで色々繊細な人だから。」

「わかってる。」

「ならいいんだけどさ。男の子って自分の世界だけで完結しちゃうとこあるから。」

「お前の年でそれを言うか。ていうか、わかるのか?」

「うん――なんとなくだけどね、わかる気がする。特にお兄ちゃんみたいに自爆タイプの男の子はさ。」

「自爆ってなんだよ。」

「勝手に煮詰まって行って、勝手に気を回して膨らんで耐え切れなくなって。」


風船のようにレイのほっぺたが膨らんだ。


「どかああぁぁぁんっ!」

「つまり、ゲンドウさんと似てるからわかるって事よ。」

「姉さん――いや、母さんまでそんなこと言うの?」

「よく似てるもの。ねぇ、レイ。」


真顔で肯くレイ。そうかなぁ。


「アスカお姉ちゃん、この頃煮詰まってるよ。どうしてか判ってるの?」

「今の僕じゃ、アスカのために何の役にも立てない。少し待ってて欲しいんだ。」

「私に言ったってしょうが無いじゃないの。」


ごりっと耳掻きが耳壁を削った。


「いてっ! 痛いよ、レイ。」

「柔道部の合宿の手続き書どうするの。預かったままだけど。」

「そうだなあ、どうしよう。」

「少しでも良いから出て、アスカちゃん安心させて上げないと、下手すると振られちゃうよ。」

「そうだなあ・・・」


向こうでリツコさんが溜息をついた。


「どうでしょあの態度。こら、ゲンドウさん、父親として意見は無いの?寝た振りしてないで!」

「一人前になった息子に父親の意見は却って毒だ。」


目をつぶったままで父さんが呟いてる。ホントに寝た振りだったのか。


「カッコばっかりつけて。」


ぺしっと父さんのおでこを叩いた。


「痛いではないか。」


むっくりと起き上がった。胡坐をかいて僕に向かって言った。


「失敗には二通りある。できれば避けたほうが良い失敗。もう一つは皆失敗したがお前もした方が
良い失敗だ。この場合はしたほうが良い失敗だが、お前はアスカ君を永遠に失うだろう。」

「そんなの何の解決にもなって無いじゃない。」


レイが溜まらず叫んだ。よく分かってくれてる妹に感謝した。


「ならば。」


父さんは遠い目をした。


「どんな事をしてでも今のうちに赦してもらう事だな。」


事情を知っているのか、リツコさんは笑いを堪えてるみたいだった。





「途中から参加だって?おい碇、惣流がまた怒るぞ。」

「しょうがないよ、夏の最初は短期講座が有る隣の市のゼミに通うことになってるんだ。」


ああ、僕ってこんなに嘘がうまかったっけ?


「だって、お前3年時進学組じゃなかったのか?」

「和戦両用ってことさ。」


合宿の方の4日目に警察の方の昇段審査が有るんだ。そこで2段を取りたい。それを逃すと次は9月
になってしまう。市柔道会の昇段審査では10月になる。しかも警察柔道は段位換算が一段上になる
から、実質3段を3ヶ月以上前に取れる事になる。
僕はマネージャーに頼み込んで、6日目からの合宿費用を払い込んだ。


外に出て自転車に跨ると正面からやってきたアスカと鉢合わせしてしまった。第3校舎と管理棟の間の
狭い通路。両側に特別教室と小ホールの窓が並び、横に逃れる道は無い。真っ黒な短い影を引きずり、
僕らは何も言わずすれ違う。

すれ違った途端、アスカが声を掛けてきた。


「待ちなさいよ。」

「ごめん、急ぐんだ。」


逃げ出す僕。


「いいから待ちなさいってばっ!」


激しい制止の声。これが出てしまったら僕は彼女に逆らえない。暫く何も言わないまま僕は背中を向け
じりじりと日に焦がされ続けていた。耐えられないほど暑い日差し。アスカの黒い薄手のタンクトップ、
同色のネットの野球帽。膝で切った黒いジーンズを穿いている。2人の姿が曲線を描く管理棟の広い窓
に映し出されていた。彼女の低い声で呟くような声が届く。


「もう出てこないつもり。」

「今、合宿の申し込みをしてきたよ。少し後からの参加になるけど。」

「一体何、考えてるのよ。あたしが煩く言うから鬱陶しくなったんでしょ。」

「そんなことは無い。だけど今ぜんぶ話す気も無いんだ。もう少し待って欲しい。」

「他に…もっと都合の良い可愛い女の子を見つけたとか。」

「ちがうよ!とんでもない!」

「ほんとに?ああもうっ、こんな事言うつもりなかったのにっ、あたしこんな情け無いことっ!」


振り返ると、長い金髪をたらしたままアスカは腕でしきりと顔を擦りあげていた。え・・・


「馬鹿シンジッ、もう嫌なら嫌って早く言ってよっ!」


アスカはそのまま駆けて行ってしまった。追いかけようと思って、でも足が動かなかった。
今追いかけて、そして彼女になんて言うんだ。まず結果だ。結果を出さない限りアスカに何を言った
としても意味なんか無いじゃないか。アスカの震える声と一緒に父さんの声も思い出す。


『お前はアスカ君を永遠に失うだろう。』  


その声が頭の中でリピートした。だが結果を出さない限り、アスカの納得は得られないじゃないか。
僕はその場所に立ち尽くした。じりじりと夏の日射しが僕を焼く。汗がこめかみを垂れ落ちていく。
何種類かのセミの声。数年前まではミンミンゼミが多かったが、今はアブラゼミが多数派だ。
少しづつ人の考え方も変わっていく。アスカはきっと僕の事を待っていてくれると信じるしかない。


「惣流。」


僕はこぶしを握った。流れ落ちる汗を拭ってペダルを踏みつけた。息がつけないほどの澱んだ熱い
空気が身体に纏わり付いてくる。正門を右に曲がり、全速力で学園市警察署に向かって走った。
緑陰で斑になった道路は幾らか涼しい。

もう少し、もう少しなんだ、アスカ。



昇段審査が終れば、勝って終われば。




第20話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 もうっ!シンジったらまた自分だけでっ!
 
私に一言言いなさいよ。
 家族は全部わかってんのに…。
 まあ、言われてそうですかってなっても、ホントの意味でわかってないのがアイツだからね。
 自分でわかるまで待つしかないのか。
 …………。
 くわっ!そんなの待てるわけないでしょ!
 ほら、可愛いアスカが泣いちゃったじゃないさ。
 ふん、自分で可愛いって言うなって?だって紛れもない事実でしょうが。
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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