リンカ     2009.12.04



 




1.バルトロメウス

 


 たとえばわたしが不細工なサルのぬいぐるみであるからといって、わたしの人格のすべてが否定されてしまうものではないことは、いうまでもないだろう。
 わたしの名はバルトロメウスという。
 生まれ故郷はドイツといいたいところだが、実際にはドイツに本社を構えるとあるおもちゃメーカーが製造を委託したトルコの製造工場で産声を上げた。今から十四年ほど前の話である。
 完成されたわたしと数多くの兄弟姉妹たちは梱包されてタンカーとトラックでドイツ国内へ輸送され、そこからさらに全国の小売店へとばらばらに納品されていった。
 わたしの納品先はミュンヘンのマリエン広場にほど近いおもちゃ店だった。通りに面したショーウィンドウへ他のぬいぐるみやくるみ割り人形とともに店主によって飾られたのは、このわたしが持ち合わせるたぐいまれな魅力をかんがみれば至極当然の結果といっていいだろう。
 しかし、季節は冬だった。クリスマスが近づくやいなや、けしからんことに店主は早々にわたしを店内へ引き上げて、代わりにショーウィンドウをクリスマス仕様に飾り付けた。
 ――構わないとも。新しい居場所となった陳列棚でわたしはうそぶいた。これからは日焼けの心配をする必要も、おもちゃには関心がなくただ通り過ぎていく人々を無言で眺める必要もない。来店した客によって買い上げられる日を待つだけでいいのだ。
 そんな冬のある日、いつものように陳列棚の下の段で行儀良くしていたわたしは、こちらをじっと見つめる視線にふと気付いた。
 真っ青なその瞳の主はベビーカーに乗せられた小さな人間の赤ん坊だった。彼女は何かうなり声を上げながらこちらに向かって手を伸ばし、まん丸くて大きな瞳で熱心にわたしを詮索していた。
 小さな彼女の大きな瞳は、短かったショーウィンドウでの日々に見上げ続けた真っ青に晴れ上がるミュンヘンの空のようだった。

「アスカ。このおサルさんが欲しいの?」

 その赤ん坊はアスカという名らしかった。身を屈めて覗き込んだ母親の問いかけに答えるように、彼女は一杯に伸ばした短い手でわたしの足をむんずと掴み、奇声を上げながらその手を振り回すという暴挙に出た。

「あーっ」

 このトルコ生まれのバルトロメウス、人の手に掴まれて持ち上げられたり移動させられたりしたことはあっても、ぶんぶんと振り回されたあげく投げ飛ばされたのは初めての経験である。綿しか詰まっていないこの身体は人間の赤ん坊にとっても重たいものではないらしい。わたしは陳列棚の上の段にいたクマに衝突し、さらに別の棚で跳ね返ってから床に落下した。

「こら、アスカ。めっ!」

「ぶー」

 思えばこのときにはすでにわたしと彼女の関係は決まっていたのではないかと思う。
 床に落ちた哀れなわたしを母親は優しい手つきで拾い上げて埃を払い、一緒にいた父親へ話しかけた。

「ねえ、プレゼントはこれでいいんじゃないかしら。アスカも気に入ってるみたいだし」

「僕はもちろん構わないけど。本当にそれでいいの。クマのほうがよくないか?」

 父親の口調は少し疑わしげだった。わたしの魅力を疑うとは失礼極まりないことである。
 それに比べて、母親は非常にものの分かった人物だった。

「大丈夫よ。間違いなくアスカは喜ぶわ。ほら、アスカ。おサルさんですよー」

 と、わたしの両脇を掴んだ母親はベビーカーの前にしゃがんで、わたしを娘に差し出した。

「きゃあー」

 嬉しげな声を上げた赤ん坊はまだ生え揃っていない歯を見せながら満面の笑みを浮かべ、両手でわたしを殴打した。

「ほら、ね?」

 夫を見上げる母親の得意げな表情は、彼女の娘とそっくりなものだった。
 一方わたしはといえば、赤ん坊の身体一杯の抱擁を受け、よだれをなすり付けられているところであった。
 このようにして、わたしはアスカの所有物になった。
 当初アスカは片時もわたしを離そうとはしなかった。部屋を移動するにも車で外出するときも夜寝るときもである。浴室へ連れ込まれたことさえ何度かあった。くしくもわたしは丸洗い可能な仕様となっているので、そんなとき母親は、アスカの乱暴な愛情の成果として泥やよだれや食べこぼしで薄汚れてしまったわたしをこれさいわいと洗面器でじゃぶじゃぶ洗った。
 洗い終わって日陰で干されているときが唯一孤独を楽しめる時間だった。そんな誰にも邪魔されない孤独な時間、身体中に吸い込んだ水分が少しずつ染み出し蒸発していくのを感じながら、あのおもちゃ店のショーウィンドウでの日々のように、わたしは空を見上げた。
 かつて青い空はわたしにとってただそれだけのものであった。しかし、買い上げられてからふとその青色を見上げる機会を得たとき、思い起こすのは不思議なことにわたしの乱暴な所有者のことだった。身体が乾き切らぬうちからわたしは、今にもアスカが駆け寄って来はしないか、わたしを抱き上げてくれはしないか、と気もそぞろになってしまうのだ。まったく不可解なことというほかないが、これも仕方がないのだろう。わたしはぬいぐるみなのだから。
 ところでアスカの母親は洗濯のほかにも、乱暴な扱いを受けて縫い目がほつれたり中綿が片寄ったりしたこの身体を幾度も丁寧に繕ってくれ、その優しい存在にわたしも安らぎを見出していたものだが、その母親がある日、家からいなくなった。
 どうやら事故で入院したのだという。何度かわたしはアスカに連れられて痛ましい母親の姿を目撃した。残念ながら、彼女は入院してから長くはもたなかった。自殺したのだ。
 アスカは悲しんでいた。またそれ以上に怒ってもいた。
 わずか四歳の幼子が並々ならぬ決意を固める姿をわたしはただ見守ることしかできなかった。ぬいぐるみであるわたしが、慰めの言葉一つかけてもやれない不甲斐なき我が身を恨んだとして、それが滑稽なことだろうか。
 わたしはひたすらにアスカを見守り続けた。急に忙しくなった彼女から子どもらしい無邪気な心が急速に失われていくのが分かった。いや、正しくは失われたのではない。彼女はきわめて意識的にそれを自らの内側に封印したのだ。彼女はほとんど歯を食い縛って、自らの心と身体とを構成する子どもらしさから逃れようとしていた。
 その過程で、徐々にアスカのわたしに対する愛情表現は変質していった。彼女はときにわたしをきつく抱き締めて離さないかと思うと、別のときには怒りを込めてわたしを壁に投げ、あるいは殴りつけ蹴り飛ばした。また、彼女はわたしの存在を目に映ってもいないかのように無視することも多くなった。
 アスカ自身戸惑い迷っているのだ。わたしはそう感じた。事実、ぞんざいな扱いをしながら、なお彼女は常に自分の部屋にわたしを置き続けた。エヴァンゲリオンパイロットとかいう仕事のために遠い異国の地を訪れたときでさえ、彼女はわたしを荷物の中に忍ばせた。
 ならば、わたしは耐えよう。今はただ。そして、これからもずっと。
 しょせんぬいぐるみであるわたしにできるのは、こうしてすべてを受け入れることだけなのだから。
 今日は彼女に怒りに任せて蹴られるかもしれない。明日は眠る彼女に抱き締められて一夜を過ごすかもしれない。しかし、わたしの中綿を片寄らせる暴力も、真夜中に布地を湿らせる涙も、結局は同じものなのだ。
 この世から青い空がなくなりでもしない限り、わたしの心が変わることはない。
 だから、この日本の地でもはや繕ってくれる者もいないこの身体が駄目になってしまうその日まで、ただひたすらわたしはアスカを受け入れ続ける。






− 続く −

 

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