昭和36年、電池可動式プラレールが発売された。
青いレールにディフォルメされた電車が走る。
そんなおもちゃは子供にとってぜいたく品であった。
その7年後、碇シンジは誕生日にプレゼントされた新幹線セットに甚く満足していた。
短いカーブのレールが8本、直線レールが4本、それに踏み切りと信号機、そして木が2本。
もちろん3両編成の新幹線がついている。
4歳の彼はその基本セットを両親にプレゼントされ、それはそれは喜んだのである。
もっとも喜んだあまり、その夜新幹線はぶっ通しで運転されものの20分ほどで電池切れと相成った。
シンジのような性格の子供にとってはただくるくる回るだけのセットで充分だったのだ。
2歳年下の妹もおとなしい女の子だったので、兄が動かす新幹線をじっと見ているだけだった。
もちろんシンジは毎日のようにプラレールで遊んだわけではない。
ウルトラセブンの人形で怪獣ごっこをしたり、近所に住む友達と外で遊ぶこともある。
そんな昭和44年になってすぐ、冬の日の午後のことだ。
波風などほとんど立たない碇家に疾風のような幼女が訪れたのである。
ー 1969 冬 ー
2009.04.03 ジュン |
その子は兄妹の母親である碇ユイが偶然知り合った女性の娘だった。
それはシンジの幼稚園願書を出しに行った日であった。
同じように願書を提出しに来た女性と何となく話をし、そのまま仲良くなったわけだ。
外国から帰国してきたばかりのその女性には友人がまだなかった。
感覚が合いそうだし、しかも自分の娘と同時に入園(合格すれば)する子供がいる。
自分同様に近所で友人ができていない娘のためにもと彼女は考えたのだ。
そのことを素直に打ち明けられ碇ユイは明るく笑った。
そしてユイも自分の息子のためにもいいかもしれないと答えたのである。
シンジはどちらかというとインドア派で自分の領域から出たがらない性格だからだ。
母親同士の利害は一致し、その日母娘の二人連れが碇家を訪れたのである。
シンジとレイは目を丸くしてその女の子を見つめた。
髪の毛が黒くない。肌が白い。目も蒼い。
碇家はカラーテレビを導入していたので、
日本人と容姿が異なる外人と呼ばれるものがこの世にいることを何となく知っている。
もっともレイの方はそこまでの認識はなかったようで口をぽっかりと開けている始末だ。
しかしその外人が日本語を喋ってもシンジは何の違和感も持たなかった。
英語という言語が、いや、日本語以外のものがあることすら知らないのだ。
「はじめまして。あたし、そうりゅう・アスカ・ラングレーです」
ぺこりと頭を下げた赤金色の髪の幼女に、シンジは自己紹介を返さずぼけっとしている。
碇ユイはしまったと頭を抱えたくなった。
本当なら今日こんな子が遊びに来るんだと教えておくべきである。
もしアスカが普通の日本人であったなら、ユイは迷わずそうしていただろう。
ところが彼女は白人の容姿をしている。
そんな彼女を目の当たりにしたら、自分の子供たちはどんな反応をするだろうか。
そう考えるとつい面白くて黙っていたのだ。
確かに面白い。
しかしここまでぽか〜んとしてしまうとは思わなかった。
反応がないのでアスカは唇を尖らせた。
泣くか、怒るか。
どちらかわからないがいずれにしても可哀相だ。
「こ、こら、シンジ。あなたも挨拶しなさい。名前は言えるでしょう?」
「うん…」
母に叱責され、シンジは目をパチクリさせた。
「えっと、ぼく、いかりシンジ」
「こんにちは、は?」
「あ、こんにちは」
「ご、ごめんね、アスカちゃん。ほ、ほら、上がって上がって」
ロボットのように言われた言葉しか口に出さない息子を押しのけるようにして、ユイは玄関に立つ母と娘を手招いた。
どうやら惣流キョウコはユイの考えていたことがわかったらしく、くすくすと笑っている。
「シンジちゃんにレイちゃんね」
シンジはこくんと頷き、自分の名前を呼ばれたレイは大きく頷いた。
「あたち、れい」
「わぁ、お利口さんね」
キョウコに頭を撫でられレイはにっこりと笑った。
それを横目で見たアスカは少しだけむっとした。
自分以外の子供が褒められるのは実の子供としてはいささか不愉快なのだ。
まだ幼稚園前の幼児としてはそれでニコニコしている方が子供らしくない。
「アスカちゃんは子供部屋にどうぞ。あとでおやつを持っていくから。シンジ、案内しなさい」
「うん。こっちだよ」
シンジは玄関横の階段を上った。
その後にアスカは続く。
「あたちも、あたちもっ」
レイも階段を上ろうとするが、彼女はまだ二本の足ですいすいと上れない。
一段ずつ両手両足を使い四つん這いでのぼってゆくのだ。
当然その姿はいささか危なっかしい。
「だいじょうぶ?」
「うん、まだ落ちたことはないけどね」
そう答えながらもユイは微妙な距離をとって幼子の後を追う。
「上る方は大丈夫だけど、降りるのはまだ無理ね。
だから階段の上には柵があるの」
「なるほどね」
キョウコは腕組みをして母と娘の様子を階下から窺った。
既にシンジとアスカは2階まで上がりきっている。
だがシンジはさっさと部屋に入ったのだが、アスカの方は階段を見下ろした。
レイがよっこらよっこらと上がってくるのが心配だったのだ。
すると二人の目が合った。
待っていてくれる人を見つけレイはにんまりと笑った。
つられてアスカも微笑む。
「なにしてるの?」
「みてんの。ちゃんとあがってくるか」
「だいじょうぶだよ。おちたことないもん」
シンジがそう言うとアスカに睨みつけられた。
怒られそうな気がして彼は慌てて言葉を継ぎ足した。
「はは、ぼくはおちたことあるよ。とちゅうからだけど」
「あんた、おにいちゃんなのに。
って、だったらあぶないんじゃない」
「のぼりはだいじょうぶなんだってば。
ぼくもおりるときにすべっておちたんだもん。
おしりでどっすんどっすんっておりたらいいのに、あるいておりようとしたからだよ」
ああ、なるほどとアスカは頷いた。
そういえばもっと小さな時にそうやって階段を降りていた記憶がある。
彼女はそのころのことを頭に描き、階段を上る幼女に声援をおくった。
「がんばれ、もうちょっとよ」
「あい」
元気よく返事をしたレイはえっちらおっちらと上っていく。
結局レイが上がりきるまでアスカはそこで待っていた。
シンジの方は部屋に入ってしまっている。
「ぐふっ、よくできました」
ぱちぱちとアスカに拍手をされ、レイは得意気に笑った。
その後ろから上がってきたユイは木製の柵をしっかりと閉める。
勝手に降りちゃ駄目よと言われ、「あい」と答えるレイ。
この柵は父親の手製でシンジが生まれた時に作ったものだ。
しっかりとした作りで、金属の蝶番や掛け金もきちんと備わっていた。
「あとでおやつを持ってきますからね」
ユイの呼びかけにアスカとレイはにっこり笑って頷いた。
「はい」と「あい」の声を聴き、階段半ばにいたキョウコの顔も緩んでしまう。
降りてきたユイに柵は頑丈なのかと訊ねると彼女は大きく頷いた。
「この家は作りは古いけどけっこういい木を使ってるんだって。
柵も出入りの大工さんに分けてもらったので作ったし、鉋とかも上手でちゃんとニスも塗ってるの」
熱を込めて話す彼女の様子を見て、キョウコは吹き出してしまった。
碇ユイという女性は本当にその夫のことを大好きなようだ。
彼女の話によるとかなり無骨で無口で無愛想で人付き合いが悪いらしいが。
そんな見事に無という字が連発する男性はキョウコ的にはあまり付き合いたいとは思えない。
まあ、これも好みの問題だろう。
「柵をよじ登るのも無理だし、下の隙間を潜るのも無理。身体で押しても跳ね返されるだけ。
その大工さんが玄人裸足だって誉めてくれたくらい」
あらあら、いつまで続くの、夫自慢。
仕方がない。
こうなったら折を見て逆襲してやる。
キョウコはそう決心した。
さて、子供部屋。
アスカがレイを待っている間にシンジはとっておきのおもちゃを出していた。
そう、あのプラレールセットである。
彼は手馴れた様子で、しかしゆっくりとした手つきで線路を組み立てていった。
レールを組み終わり、備品の木を2本と信号機に遮断機を配置して、レール上に3両編成の新幹線を置くと、シンジは満足気に微笑んだ。
さあいつでもどうぞと言いたげなほど、彼はにこにこ笑っていた。
その期待は報われた。
部屋に入ってきたアスカは日本語に聞こえない奇声を上げたのだ。
それはドイツで使われる言葉だったのでシンジはキョトンとしてしまう。
ただレイの方は日本語とドイツ語の境目がしっかりしていないため、逆に素直にアスカが喜んでいるのだとすぐに察した。
彼女はアスカの顔を下から覗きこみ、「ぽっぽ」と嬉しそうに言う。
「ぽっぽ?」
「きしゃぽっぽのことだよ。これはしんかんせんだけど、レイはまだちゃんといえないんだ」
「そっか」
ちょこんと座ったレイは「ぽっぽ、ぽっぽ」と兄を促す。
シンジは少し得意そうにアスカに宣言した。
「じゃ、うごかすね」
「ん?レイにさせないの?」
「レイはまだスイッチをいれられないんだ」
「スイッチ?」
アスカはプラレールのことを知らなかった。
だから、彼女は普通の電車のおもちゃと思って、手で動かして遊ぶものだと決め込んでいたのだ。
これだよと、シンジは3両編成の新幹線を持ち上げて、その先頭車両の前についているスイッチをスライドさせた。
するとモーターが動き出した。
「わっ」
その音と車輪の動きを見て、アスカが歓声を上げた。
「じゃ、のせるね」
慣れた手つきでレールに新幹線を乗せると、レールに沿って音を立てて走り出す。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
モーターと車輪とレールの出す音が混ざり合い、けっこう音は大きい。
「すごいっ」
「へへへ」
目を輝かせてプラレールを見るアスカはお尻が浮いてしまい、前傾姿勢で手を畳につけて支えている。
隣で「ぽっぽ」を連発するレイは手を叩いていた。
そんな様子を見て、シンジは満足気に笑った。
何しろプラレールは彼にとって一番高級なおもちゃなのだから。
そして1分ほどが過ぎた。
シンジはにこにこしながら新幹線が走るのを見守っている。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
レイは手を叩くのは止めているが、それでもじっと新幹線の動きを目で追っている。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
そして、アスカは。
彼女はすっかり飽きてしまっていた。
新幹線はただぐるぐる回っているだけなのだ。
アスカは大きな溜息を吐いた。
「おもしろくない」
「え?」
意外な言葉を聞いたとばかりに、シンジは大いに驚いた。
彼女の顔を見ると、ぷぅっと唇を尖らせて肩を落としている。
いつの間にか前傾姿勢ではなく、逆に後に手をついて足を前に放り出して座っていたのだ。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
レイも隣に座るアスカの顔を不思議そうに見上げていた。
「だって、ずっとおんなじじゃない。ぐるぐるまわっているだけ」
「しかたないもん。せんろはこれしかないんだから」
とっておきの宝物を貶され、さすがのシンジも色をなした。
しかしアスカはそんな彼の事を気にもしない。
逆に彼女はとんでもないことを思いついたのだ。
もっともとんでもないというのはシンジにとって、ということだが。
「そうだっ、アタシ、いいことおもいついちゃった。ぐふふ」
ぱちぱちと手を叩いたアスカは目をきらきらさせながらシンジに問いかけた。
「あのねっ、しんかんせんとめてよ、いいことするから」
「え…、うん、いいけど…」
シンジは新幹線の先頭を掴みあげ、スイッチを切った。
とたんに騒音が消える。
「よしっ、みててっ」
言うが早いか、アスカは線路を掴んだ。
「な、なにするのさ」
「ぐふふっ、いいことっ」
アスカは線路を全部ばらばらにしてしまった。
それを見て、シンジは不快気な表情を浮かべたが、レイの方はこれから何が起こるのかと瞬きもせずに彼女の動きを見ている。
赤金色の髪の少女はばらばらにした線路を前に、腕組みをしてうんうんと頷く。
そして彼女は線路を組み立てだした。
「だ、だめだよ!それじゃだめだってば」
「うっさいわね。しずかにまってなさいよ」
悲鳴を上げたシンジを叱りつけたアスカは思うがままに線路を繋いでいった。
そして完成したのは、いつも兄妹が見ているのとはまったく違うものだった。
「なんだよ、これ」
「ふんっ、せんろにきまってるじゃない。わかんない?」
「だって、これじゃぐるぐるまわれないじゃないか」
シンジの主張は当然だ。
アスカが作り上げたのはただひたすら真っ直ぐ伸びる線路だ。
もちろんカーブの線路を強引に真っ直ぐにすることはできない。
だから曲げて戻してを繰り返したわけだ。
いずれにしてもそんな線路などシンジとレイには考えもつかないものである。
設計図の通り、箱の写真の通りに組み立てること以外思いつかなかったのだから。
「あったりまえじゃない。どぉ〜してぐるぐるまわらないといけないのよ」
「だって…」
だって、の後をシンジは思いつかなかった。
「ほら、はっしゃさせてよ」
「でも、こんなの…」
「ああっ、もう!アタシにかしてよっ」
「あ!だめだってばぁ」
シンジの抗議などものともせず、アスカは新幹線を奪い取った。
そしてスイッチの場所を探す。
「わかった。これよね。ぐふっ、うごいた!」
アスカは新幹線の先頭と最後尾をそれぞれの手で掴む。
それから彼女の組んだ線路の手前に持っていく。
「いっくわよぉっ!」
一声高く宣言すると、彼女は新幹線を線路に置いた。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
音は同じだが、動きはまるで違う。
新幹線は勢いよく線路を走り、そしてレールの最後まで来ると畳に着地しそのまま走っていく。
しかしそんなに広い部屋ではないので、すぐに壁にぶつかってしまった。
こつんと音を立てるが転覆はせずにそのままモーターを空回りさせる。
アスカはばたばたと走ると、新幹線のスイッチを切る。
そして振り返ると、兄と妹を得意気に見た。
シンジは面白くなさそうな顔をしているだけだ。
ところがレイの方は急にぱちぱちぱちと拍手をしてニコニコ笑い出したのだ。
「うふっ、おもしろい?」
「んっ」
大きく頷いたレイの反応にアスカはすっかり満足した。
しかし、兄の方は尚も仏頂面のままだ。
「しんかんせん、だっせんしたじゃないか」
「うっさいわね。レイちゃんはよろこんでるじゃない」
「レイはまだあかちゃんだもん」
「ぶうっ」
幼児には幼児のプライドがある。
レイは兄に赤ん坊扱いをされて膨れっ面になった。
「まっ、かわいそぉ〜にっ!おもしろかったもんね、ねぇ〜」
アスカはレイに笑いかけ、赤ん坊扱いされなかったことで彼女は大いに機嫌をよくした。
うんうんと大きく頷いて、右手をびゅんと前に突き出した。
それが新幹線の動きを示していることは見ている者にもすぐにわかった。
「でしょぉ〜。あ、そうだ!」
次の思い付きが頭に浮かび、アスカはぽんと小さな手を叩いた。
「こうすればいいのよ」
アスカは新幹線のスイッチを入れレールの端に置く。
「いっくわよぉ〜!」
手を離すとごろごろと音を立てて新幹線が走り出した。
「おなじだよ。まただっせんするんだ」
「うっさい!」
叫ぶとともにアスカは新幹線が通過したばかりのレールを掴みあげた。
「えっ!」
驚くシンジなど目もくれずに、アスカは外したレールを新幹線が向かう先、つまり一方通行のレールが途切れる方へ持って走る。
そして急いで連結させ、また通過したレールを取りに戻る。
なるほど、彼女の意図はわかる。
しかし、彼女の動きよりも遥かに新幹線の方が早かった。
2回目のレール増設は間一髪である。
それでも間に合って新幹線がさらに先に進むのを見て、レイは目を見張りぱちぱちと拍手する。
蛇行しているレールなので今度は自分の方に向いてきたからなおさらだ。
その拍手がアスカの背中を押した。
もう間に合わないと思いながらも、彼女はレールを取りに走る。
そのもう一度という行為が悲劇を生んだ。
まず、レールを手にした時、焦ったために勢いよく持ち上げてしまったのだ。
そのためにレールの連結部から小さな音がして、破片がシンジ目がけて飛んできた。
呆然と見ていた彼だったが、自分の方に飛んできた青い破片にびっくりして悲鳴を上げる。
そして、連結部がねじれたために置いていたレールの方向が変わった。
レイの方に向いていた先端が、今度は廊下に向かったのである。
しかも襖は開いていた。
その上レールが大きく動いたにもかかわらず、新幹線はしっかりとレールの最後まで走り通したのだ。
がくんと畳に降りても尚、新幹線は走り続ける。
「レイちゃん、とめて!」
一番近いのはレイだった。
しかし、彼女が“んっ”と手を伸ばした時にはもう3両目が通り過ぎるところで、その小さな手がわずかに車両に触れただけである。
それも悪い方向に新幹線を進めてしまった。
少しだけ角度が変わった新幹線は襖の溝を乗り越えてしまう。
戦後すぐに建てられただけに溝がかなり磨り減っていたからだ。
そして、新幹線は階段の柵へと向かう。
だが、あの柵は下の部分が10cmほど開いているのである。
それだけの高さがあれば、潜り抜けるのにはまったく差支えがない。
木の廊下をがらがらっと走っていった新幹線は勢いをそのままに柵を潜り抜けた。
ごんっと固めの音が響き、その後がらごとがっしゃんという身の毛もよだつような音が続いた。
「おちちゃった…」
シンジが呟き、アスカは息を呑んだ。
手にしていたレールを放り出し、彼女は廊下へ駆けていく。
きょとんとした表情のレイはぺたんと座り込んだままだ。
柵に向かって突進したアスカは柵越しに階段を見下ろした。
「こらぁ、シンジ!何してるの?」
そこにいたのはユイとキョウコだった。
ユイの手には新幹線が握られている。
「ごめんなさい…」
蚊の鳴くような声でアスカは言ったが、母親たちのところまでは届いたようだ。
「アスカっ!あなたなのっ?許さないわよ!」
キョウコはユイの手から新幹線をもぎ取ると階段を上がっていく。
のしのしみしりみしりと音を立てる母親から逃げたいアスカだが、足がすくんでしまってもう動けない。
じっとアスカを睨みつけているキョウコの青い瞳は燃え上がらんばかりである。
しかもさらに事態は悪化した。
アスカにとっての事態である。
「ああぁ〜、レールがこわれてるよぉ」
シンジの哀しげな叫びが聞こえると、続いて兄妹の泣き声が響いてきた。
そのだんだん大きくなる泣き声を背にアスカの顔も見る見る歪みだす。
「駄目よっ。泣いて逃げるなんて最低!自分のやったことに責任を持ちなさい!」
段数はまだ5段ほど残っているが二階建てといっても背の低い木造家屋だ。
キョウコの手がもうすぐアスカに届こうとする瞬間、彼女の足首がむんずと掴まれてしまった。
「ま、待って!キョウコさん、お願い」
「離して!人のおもちゃを壊すなんて絶対に許さない!」
「謝ってるじゃない。ねっ?アスカちゃん、さっき謝ってたわよ」
「馬鹿娘が謝ったのは私が怖いからに決まってるわ!そうでしょっ!はっきり言いなさい、アスカ!」
鬼のような形相で目前に迫っている母親にアスカはがたがた震えていた。
ここまで怒ったのは過去にドイツにいた時の2回しかない。
庭にあった蟻の巣に如雨露で水をかけて蟻たちに多大な災害を与えたこと。
そしてもう一つは、近所に住んでいたアラブ系の子供を見て肌の色が違うと笑ったことだ。
どちらもこっぴどく叱られ、叩かれ、食事を抜かれ、本心から反省するまで教育されたのである。
その時のことが今アスカの脳裏に浮かんでいる。
確かに先ほど謝ったのは母親の顔を見たからに違いない。
ただアスカにとって幸運だったのは、ユイの握力が意外と強かったことだった。
「離して!」
「駄目っ」
キョウコの左足はしっかりと足首のところをユイの手に握られている。
右足に力を入れてキョウコはユイの身体ごと階段を上ろうとする。
アスカを掴もうとしていた両手で階段の縁を掴んでキョウコは全身の力を入れた。
足首を持って重心を低くしていたユイは驚いた。
身体が浮かびそうになる。
何という力だろうか。
これでは拙い。
そう判断した彼女は咄嗟に攻撃に転じた。
キョウコの右足は爪先に力を入れているので踵の方が大きく浮いている。
足の裏は丸見えだった。
ユイはそこに右手の指先を伸ばしたのである。
「ち、ちょっと!何するのよ!」
足の裏の感触にキョウコは悲鳴を上げ、くすぐられれ続けてはなるものかと右足の裏を段にピシャリとつける。
これでくすぐられることはなくなるが、力を入れることは不可能となった。
しかしユイは攻撃の手を緩めない。
階段を一段上がって今度は左足の足の裏を攻めたのだ。
今度は足首を掴まれているのでキョウコも容易に逃げることはできない。
「や、やめて!だめっ。あはははははははっ!か、堪忍してっ!きゃははははははっ!」
堪えきれなくなったキョウコが右足でユイを蹴飛ばそうとした。
が、そんな不自然な体勢を角度のきつい階段で取ればどうなるか。
くすぐられて身体の力が巧く調整できないキョウコに縁を掴んでいた手だけで二人分の体重を支えきれるわけがない。
きゃあ!という二人の悲鳴とともに母親二人の身体はどすんと大きな音を立てて一階まで落ちてしまった。
もっともそんなに高さはないので悲鳴の割にはそれほどの被害はない。
「あ、あの、身体をのけて。重い!」
下敷きになっているユイが悲鳴を上げる。
彼女の身体をクッションにしたキョウコはどこかで肘をぶつけて、おおぉと呻いている。
「お願い。のいてくださる?」
「おお、痛い。あのね、あなた、とんでもない人ね」
「ごめんなさい。つい」
「それにその手を退けないと、私は起き上がれないんですけど?」
「え?」
我に返ったユイは、自分の手がキョウコを羽交い絞めにしていることにようやく気がつく。
「ええっと、手を退けたら、どうします?」
「ふんっ、知れたこと。あの馬鹿娘を…」
「じゃあ、だめ」
「あのね。いい加減にしてくれる?あの子は私の娘よ。躾に教育は私の責任であり義務なの。わかるわよね?」
「わかるわよ。でも、体罰は駄目。体罰禁止!」
「ふんっ、馬鹿らしい。頭を一二発叩くか、お尻をばしんと引っ叩かないとね。そんなの当然でしょうが」
「話して聞かせればいいでしょう?うちはそうしてるから」
「おたくのお子さんはいい子だからそれでいいんでしょうけど、うちのアスカは駄目。身体に覚えこまさないと」
「でもでも」
「現にこういうことを仕出かしたじゃない」
「わざとじゃないでしょう。事故よ、事故」
「事故で済ませていいわけないでしょう。例え事故にしても加害者は被害者に謝罪して、それから妥当な責任を負わないと!」
「ああっ、そんな!ここは法廷じゃないんだから。あなた、検事のつもり?」
「残念、私は保険会社に勤めてたの。ご愁傷様」
抱きしめているキョウコがにんまりと笑ったのが背中越しにわかった。
「あ、でも責任なら、ほら、今、謝っているわよ。アスカちゃんが」
「はい?」
耳を澄ませると、なるほどその通りだった。
アスカの声が聞こえる。
ごめんなさいを繰り返しているようだ。
「確かに。でも、被害者は納得してないみたいだけど?」
アスカの声が聞こえにくかったのは当然である。
レイの泣き声が響いているからだ。
ところどころでシンジがぶつぶつ言っている声も混じっていた。
「ああ、もう!シンジったら。ぐちぐち言って、男らしくないんだから!叱るならシンジの方よ」
「何を言ってるのよ、あなた馬鹿?本末転倒もいいところじゃない。シンジちゃんは可哀相な被害者よ」
「被害者だろうが加害者だろうが、男なら毅然とした態度を取るべきでしょう?違う?」
「当然じゃない。でもそれはあなたが教育することでしょう?」
「わかった。今から私が教育する。だから、アスカちゃんを叩くのは待って」
「何、その屁理屈」
「とにかく、すぐに叩かないこと。それだけ約束して」
「OK、わかったわ。でも、その時が来たら叩くからね」
「了解」
そう言うと、ユイはあっさりと手を離した。
キョウコの口調に激したものが影を潜めたのを聞き取ったからである。
「なかなかいいクッションだったわ。あなた、怪我してない?」
「大丈夫。この階段には慣れてるから」
「まあ、落ちたことあるの?大人の癖に」
「越して来た時に何度かね」
あきれた、と笑うキョウコは階段を上っていく。
二階の方では未だに三者三様の修羅場が続いていた。
「シンジ、男でしょう。愚図るのは止めなさい」
「だって、ぼ、ぼくのだいじな、プ、プラレールが…」
「アスカちゃんはわざと壊したんじゃないでしょう」
「わざとだもん。むりにレールをはがそうとするから」
「それはわざとは言わないの。壊そうと思ってしたことじゃないわ」
そうよ、その通りよ、とアスカは大声で自己主張したかったが、傍らのキョウコが睨みを効かせているので開いた口を噤んだ。
彼女の目は真っ赤で、鼻も垂れ、絶えずすすり上げている。
しかし、ユイの隣にくっついているレイはまだしゃくり上げているので、アスカの鼻の音はほとんど聞こえていなかった。
「でも、ぼくの、ぼくの…」
「あなたが泣いてどうにかなるの?アスカちゃんは謝っているでしょう」
「でも、ごめんなさいっていっても、れーるはなおらないもん。それにしんかんせんだって」
シンジが新幹線のことを言うと、レイがさらに大きな泣き声をあげる。
彼女の手にはキョウコが持って上がってきた新幹線が握られている。
新幹線は1両目のモーター車のカバーが外れてしまった上に、連結の部分が壊れていた。
カバーはプラスチックが割れているので元の様にはめ込むことは不可能だ。
連結部は千切れてしまっているので、これも元通りにすることはできない。
その惨状を見た時、シンジも泣き出したが、鼻水と涙の見分けもつかないほどに泣き続けているレイはさらに大声を張り上げたのだ。
そんな娘の背中を優しく撫でながら、ユイはシンジへの教育的指導を始めたのである。
彼女と約束したので、キョウコはアスカにそこに座りなさいと命じただけだ。
もっともぺったん座りではなく、娘の苦手な正座を命じたのだが。
「じゃ、シンジはどうしてほしいの?魔法使いはここにはいないわよ。元の通りには戻せないのだから」
「だ、だから、ぼくは…」
シンジは涙ぐんだ目でアスカを睨みつけた。
あの子さえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。
「アスカちゃんの大事なものを壊す?人形さんの手足をばらばらにしてみる?それであなたの気が済むの?」
アスカがひぃっと悲鳴を上げた。
ドイツで買ってもらったお猿さんのぬいぐるみにそんなことをされてしまうのか。
死んだおばあちゃんに買ってもらったあのぬいぐるみに。
「だめぇ〜!おさるさんがかわいそう!」
「アスカ、黙りなさい。壊したのはあなたでしょう」
「だ、だって!」
アスカは痺れた足を引きずるようにしてシンジの前に向かう。
彼女の目からはぼろぼろと涙が零れている。
明らかにそれまでに流していた涙とは種類が違う。
謝罪が通じないという気持ちから零していたものから、もっと切迫したものになったのだ。
「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。おねがいっ!たろーちゃんをこわさないで!アスカをぶってもいいから、たろーちゃんにかわいそうなことしないでぇっ」
彼女の必死な願いにシンジはどう答えるのだろうか。
ユイもキョウコも、当然アスカも固唾を呑んで見守った。
泣きじゃくっていたレイでさえ、何が起きているのかと目を大きく見開いていたほどだ。
もしシンジが「そんなのあたりまえじゃないか。こわしたんだから」などと冷たいことを言えば、ユイは人生初めての子供への体罰を覚悟していた。
ところがシンジは母親たちの予想とはまったく違う発言をしたのだ。
「たろーちゃんって、だれ?」
ああ、そう来たか、と母親たちは内心苦笑した。
しかし、アスカにはそんな余裕はこれっぽっちもない。
「たろーちゃんはおさるさんなのっ。おさるさんのぬいぐるみなのっ。とってもかわいいのっ。
アスカにかってくれたのは、おばあちゃんなのっ。おばあちゃんはもうしんじゃったのっ。だからっ、だからっ!」
アスカは唾を飛ばしながらシンジに迫った。
文字通りに迫ったのだ。
彼女とシンジの顔は10cmと離れていなかった。
熱弁している間にそこまで接近したのである。
シンジは涙まみれの青い瞳をじっと見つめた。
そして、打算も何もなしにこんなことを言ったのだ。
「そんなの、どうしてぼくがこわすんだよ。ぬいぐるみのたろーちゃんがかわいそうじゃないか」
よし、来たっ!
ユイは心の中で大きくガッツポーズを作った。
日頃は情けないが、ここで馬鹿なことを言うようには躾けていないつもりだったからだ。
「ほんと?ほんとにほんと?」
「うん。だって、たろーちゃんをこわしてもしんかんせんはなおらないだろ」
「ああっ!アンタって、とってもっ…!」
アスカは言葉を捜した。
とても何だと言えばいいのだろう。
しかし咄嗟に見つからなかった。
だから彼女は言葉を発する代わりに、シンジにぎゅっと抱きついたのだ。
「ありがと!ありがと!ほんとにありがと!」
「く、くるしいよ。はなして」
抱きつかれたシンジは畳に転がって苦しがる。
そんな二人が面白かったのか、レイもちょこちょこと足を進めて兄の身体に抱きついた。
「うわっ、きたない!レイ、はなみずが!ほっぺたに!きもちわるいっ!」
じたばたと暴れるシンジだが、自分より身体の大きなアスカにしがみつかれているので逃げようがない。
どうやら当座の修羅場は終わったようだと、ユイは振り返ってキョウコに微笑みかけた。
キョウコの方は仕方がないわねとばかりに肩をすくめて苦笑したのだった。
その翌日のことだ。
風呂敷包みを背中にくくりつけた、赤金色の髪をした幼女がずんずんと歩いていた。
その包みは彼女の背中よりも大きく、結び目はその胸の所でしっかりと結わえられている。
彼女の表情はその日青空にさんさんと晴れ渡ったお日様よりも晴れやかであった。
大丈夫、これで許してくれるはずだ。
不安もあるが、それ以上に背負ったものの素晴らしさが彼女を勇気付けている。
彼女、アスカが向かうのは当然碇家。
道は覚えていると、付き添いを口にした母親を断って旅立ったのだ。
アスカの旅は10分少し。
車が走る通りはないのだが、気をつけるようにと充分に念を押されて家を出た。
そして、アスカは徐々にスピードを上げて歩いていった。
木造2階建ての碇家が視界に入った時には、遂に駆け出してしまったアスカである。
「こんにちはぁ〜っ!」
玄関扉を横に開くと同時にアスカは大声を張り上げた。
碇家には電話がまだないので、事前に訪問予告をしていなかったのである。
時間が昼過ぎだったので、台所にいたユイがすぐに玄関に飛び出してきた。
食後の兄妹は一階の居間で昼寝までのひと時を過ごしているところだった。
シンジは声を聞いて昨日の子だと知りびくりと身体を震わせたが、レイの方はプラレール破壊のことをもう忘れてしまっているのか顔を綻ばせてよっこらしょと
立ち上がる。
レイが玄関にたどり着いた時にはアスカが靴を脱いでいるところだった。
「あら、レイ。アスカちゃんが遊びに来てくれたわよ」
「こんにちは!レイちゃん!」
「んんっ!こ、ちゃっ!」
ぱちぱちと手を叩いたレイの笑顔を見てアスカはほっとする。
追い返されるのではないかとちょっとだけ不安だったのでつい早足になっていたのだ。
「あのねっ!いいものもってきたのっ。いっしょにあそぼっ」
「んっ!」
大きく頷いたレイは私について来いとばかりに階段をよじ登り始める。
もちろんさっさと上がれるわけがないので、アスカは階段の下で待機したままユイに訊ねた。
「あ、あの…。シンジちゃんは?」
「いるわよ。シンジっ!」
母に呼ばれたシンジは不承不承腰を上げた。
いつの間にか仲直りをした昨日だったが、それでも何となく彼女を苦手に思ってしまう。
決して物事に主導権を取りたがる彼ではない。
しかし振り回されるのはかなわないのだ。
それでも母親に逆らうという選択肢は4歳のシンジにはなかった。
彼はおずおずと玄関の方に向かった。
「こんにちは…」
「こ、こんにちは!きのうはごめんなさい!」
それだけは会った時に真っ先に言えと母親からきつく言われている。
だから、アスカは少々早口で謝罪の言葉を発し、そして勢いよく頭を下げた。
「え、えっと…」
シンジは目をぱちくりとした。
咄嗟に反応し損ねたのだ。
アスカの勢いがあまりに良すぎて背中の荷物の所為で彼女はたたらを踏む。
その身体をユイは手で支えた。
そして苦笑しながら鈍い息子に口の形で言葉を教えた。
母親の口元を見て、シンジはようやく簡単な返事ができたのだ。
「い、いいよ。うん」
顔を上げたアスカは心底ほっとしてにんまりと笑う。
「あのね、いいものもってきたの。いっしょにあそぼ?」
レイに提案した時とは違い、シンジに対してはいささか気が引けるらしい。
大胆な性格の割には繊細なところがあるのだと、ユイは微笑ましく思う。
「さて、お昼寝は遊んだ後にしましょうか。遊んで、お昼寝して、それからおやつにしましょうね」
アスカは苦労していた。
団子結びされた風呂敷の結び目が解けないのだ。
自分の胸元なので余計に手が動きにくい。
結局結び目を解いたのはシンジに呼ばれたユイだった。
そして、風呂敷に厳重に包まれていたものが碇家の面々の目に晒された。
「わっ」
歓声を上げたのは兄と妹同時だった。
風呂敷から出てきたのは、プラレールのセットだったのだ。
ばたばたと這うようにしてレイはそのセットケースに近づく。
そのケースは碇家のものより一回り大きい。
「セット…えっと2番だ!」
“No.”が読めずに飛ばしたシンジだったが、本質はちゃんと読み取れている。
「ふふふんっ。これにはね、えきもついてるし、ほら!」
アスカがケースを開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは大坂レールである。
その大きさにシンジとレイは息を呑んだ。
「すっごいでしょ!へへへ」
「すごいや。うん、すごい」
兄の隣でレイも大きくうんうんと頷く。
「くんでいいよ。アタシはいえでやったから」
「いいの?」
「うん。アンタがやったらいいのよ」
アスカに言われてシンジは目を輝かせた。
「どうやったらいいの?」
「もうっ!ここにしゃしんがあるでしょう?」
アスカに言われて見れば、確かにケースのパッケージ写真にレール組み立ての模範例がある。
シンジはまず駅を出し、それをレイに渡した。
まさしく文字通り新しいおもちゃを手にした幼児はニコニコ笑いながらいろいろと角度を変えて駅を眺める。
「すごいでしょ、レイちゃん」
「んっ!」
大きく頷いたレイはアスカに笑いかけた。
「こぉ〜んなさかもあるんだよ!ほらっ!」
アスカの指差す先でシンジがレールを組み立てている。
その中で一段と目立つ長く大きな阪に吸い寄せられるようにレイが近づく。
「さわっちゃだめだよ、レイ」
「んっ!しゃか、しゃかっ」
「うん、すごいさかだよね。もうちょっとまってね」
完成写真を見ながらレールを組み立てていくシンジの横でレイは身を乗り出してその様子を見つめる。
母親としてそのような子供の風景を眺めるのは至福の時だ。
微笑むユイに斜め下から声がかけられた。
「あ、あのね、おばさん」
おばさんか!と一瞬ユイは思う。
しかし、これからは幼稚園でできたシンジの友達から“おばさん”と呼ばれることになるのだと彼女は自分に言い聞かせた。
「なぁに?」
「きのうの…どうなったの?」
「ん?プラレールのこと?」
うんと頷くアスカにユイは微笑む。
「うちのおじさんが…」
ユイはおじさんを強調して語り始める。
おじさんという呼び名がぴったりな碇家の当主は会社から帰宅すると食事中にプラレールの顛末を聞いた。
するといつものように鼻で笑って「問題ない」とだけ言い、食事に集中したのだ。
そして食後にボンドを片手に修理に取り掛かったのだ。
とはいえ、この当時のボンドはどろりとした黄色のもので瞬間接着剤というものは一般的ではない。
したがって外れてしまったレールの連結部分を元の通りにくっつけるのはかなり難しい。
ボンドがはみ出た状態で、父親はじっとレールと外れた部分を両手で持ち続ける。
しかし、簡単には固まらないので彼は1時間以上その姿勢のまま座っていたのだ。
その間、彼はその妻にいい様に玩ばれていた。
晩酌の日本酒をユイにお猪口であぁ〜んと飲まされていたのである。
接着できるまで動くわけにはいかないので仕方がなかったのだが、口ほどに嫌がっているようには見えない。
もちろんユイはそんなことまでアスカに教えるわけがない。
彼女が教えたのは「おじさんがなおした」ということだけだ。
ユイは碇家のプラレールセットを出してアスカにここだと指し示した。
確かにくっついている様だが歪んでいる上に、恐る恐る指で触ると微妙に動く。
新幹線の連結部の方は細い針金で補強されているだけで、電池カバーの方は割れたままである。
そこを固定しても電池を交換するためにすぐに割れてしまうのがわかっているからだ。
それを見てアスカは顔を曇らせた。
その反応を見て、さすがにこの子はうちの子供たちのように単純ではないなとユイは苦笑する。
「大丈夫よ、アスカちゃん。あのね…」
「おばさん、アスカのとこ〜かんしよっ。こっちのこわれたの、アスカのにする」
「えっ?でも」
「こぉ〜かんするのっ。するのったらするの!」
その真剣な眼差しを見て、ユイは仕方ないなぁと頷いた。
許可を貰ったアスカは名前を書きたいと言い出す。
「アスカちゃん、自分で書けるの?」
当然のことを聞くなとばかりにアスカはぷぅっと頬を膨らませながら大きく一度頷く。
ごめんねとユイは油性マジックを取りに行った。
その間に慎重なシンジもレールを完成させていた。
「できたっ」
うんうんと頷くレイはニコニコ笑いながら出来上がった線路を目で追っていく。
「うごかしていい?」
「あったりまえじゃない!」
「ありがとう。じゃ、うごかすね」
セットの中に入っていた方の新幹線のスイッチをシンジは入れた。
彼は駅の横に新幹線を置くと手を離した。
ごろごろがらがらしゃかしゃか。
新幹線は快調に走り、そして大坂を登り始める。
スピードが少し遅くなったので、シンジとレイは拳に力を入れてしまった。
「ぽっぽ!」
頑張れという意味で、レイは新幹線に「ぽっぽ!」を繰り返した。
やがて坂を上りきると同時に、3両編成の新幹線は坂を下りだした。
今度は早い早い。
音もごろごろがらがらしゃかしゃかではなく、しゃしゃしゃしゃしゃと滑る様なものに変わる。
「うわぁ」
シンジは歓声を上げ、レイは力いっぱい手を叩いた。
これまで彼らが遊んでいたものよりも1周辺りの時間が倍ほどかかる。
兄と妹は5周ほど新幹線を目で追った。
その間にアスカは壊れた方の新幹線の上部に自分の名前をカタカナで書き入れていた。
かなり金釘流だが、書きにくいものに大きな油性マジックを手にしてだから仕方はあるまい。
それを見届けてユイは階下へ降りていった。
その時、彼女はマジックを持っていなかった。
アスカにこれにお名前書くのと言われたからだ。
しかし、これがアスカの持ってきたプラレールセットだとは確認したが、誰の名前を書くかまで確かめていなかったのである。
「ねぇねぇ」
「なぁに?」
「いいことかんがえたんだけどさ」
「えっ」
アスカの“いいこと”には昨日で懲り懲りだ。
思わずシンジが身構えてしまうのは当然だろう。
そのことにアスカもすぐに気がついた。
不機嫌そうな表情で、彼女はシンジの前に立つ。
「いぃ〜い?これはアタシがいってるんじゃないのよ。プラレールさんがこうしなさいっていってんの」
「へ?」
プラレールさんとは誰のことか?
シンジが首を傾げると、アスカは自信満々にプラレールセットのパッケージ写真を指差したのだ。
「ほら、みてみなさいよ。こんなにながいでしょっ。こんなかのレールだけじゃこんなにならないじゃない」
うん、とシンジは頷いた。
確かにアスカの言うとおりである。
パッケージ写真には男の子と女の子が座っていて彼らのまわりをレールが縦横無尽に広がっていた。
「だから、このプラレールとアンタんとこのプラレールでもっとながぁ〜いせんろをつくんのよ。わかる?」
手を一杯に広げるアスカの勢いにシンジは素直に頷く。
「アタシがいってんのじゃないのよ。アタシはこうしなさいって、プラレールさんにめぇ〜れぇ〜されてるだけなのよ」
自分の意見を通したいがために、アスカはわけのわからない理屈を持ち出してきた。
その主張に押されたのか、それともアスカに同調したレイが迫ってきたためか。
いずれにせよ、シンジは線路拡張計画に同意したのである。
まず、彼らはひたすら長い円形のレールを作った。
しかし、直線のレールは増設が容易だが、カーブレールは対処が難しい。
そこでまずアスカは考え付いたのはカーブを互いに組み合わせ蛇行させて直線扱いにしようということだ。
確かにそれならば巧くでき、シンジとレイはそれに満足した。
ところが、アスカはそれに納得しなかったのである。
なるほど、これならばそれまでの倍ほど長く新幹線を走らせることができる。
だが、何かが物足りない。
ううむと腕組みをしたアスカは再びパッケージ写真に目を落とす。
写真では何本もの線路が交差している。
それは坂を上がるとすぐに下りていずにしばらく高架線路が続いているためである。
交差している線路はその高架の下を潜っているのだ。
しかし、ここにある線路には高架用のものがない。
坂に上がればもう下り坂用の大坂レールしか手持ちがないのだ。
楽しく遊んでいる碇兄妹を他所にアスカはうぅむと唸り続けた。
何とか打開策はないものか。
苦し紛れに部屋の中を見渡したアスカの目にあるものが見えた。
それは本棚だった。
シンジが生まれてから毎月1冊ずつユイたちが購入してきた絵本がもう40冊を超えている。
これだ、これだ、これが使える。
アスカはその思いつきに興奮した。
だが、アスカは昨日の出来事を大いに教訓にしている。
自分ひとりならばすぐさま行動に出ていたところだが、予め計画を説明しておいた方が無難だと学習したのだ。
そこでアスカはシンジとレイにわかりやすく説明した。
あの絵本を使うとこのように素晴らしい線路を作ることができると。
もちろん、きちんと本を置けば新幹線が線路から落ちてしまうこともないとも付け加えた。
その結果、優柔不断なシンジが簡単に納得してしまったのだ。
絵本をそのような目的で使うと母親に怒られるかもしれないという方向に頭が向かなかったのである。
つまり、アスカに巧く誘導されてしまったわけだ。
彼らは高架鉄道の建設に取り組んだ。
そして見事に新幹線は坂を上り絵本の山の上に敷かれた線路をひた走った。
そこにカーブのレールを使ったので坂を上って降りるまでの動きが物凄くかっこよく彼らの目には見えたのだ。
こうなってしまうと、アスカだけではなく、シンジも調子に乗っていく。
彼が思いついたのはトンネルだった。
大きな絵本を三角形に立たせるとその間を新幹線が走れるのではないかと思いついたのだ。
背表紙を上にし、真っ直ぐな線路の上にその絵本を立たせる。
そして新幹線を走らせると見事に絵本をトンネルのようにして通過していく。
「すっごいじゃないっ!アンタ、なかなかやるわね!シンジちゃん、かしこい!」
アスカにぱんと肩を叩かれ、シンジはえへへと笑った。
彼女に誉められて物凄く嬉しかったのだ。
にこにこ笑っていると、アスカがその間に次の遊びを思いつく。
畳に寝転がって絵本の間、つまりトンネルから出てくる新幹線を見れば面白いのではないか、ということだ。
早速試してみると、なるほど暗いところから出てくる新幹線はかなりの迫力があった。
シンジもアスカにその通りだと言い、レイなどは顔を近づけすぎて新幹線が鼻に衝突したほどである。
しかしレイは泣きもせず、きゃっきゃっと笑い声を上げたのだ。
もうそれからの彼らはありとあらゆるものを使っていろいろな方法を試したのだ。
止めるものなど誰もいない。
こうして、アスカの方は無意識のうちに会得していったのである。
碇シンジという少年を自分の思う方向に動かすにはどうすればいいかを。
それは意識していなかったが、こちらは大いに意識していた。
この泣き虫、けっこういいヤツではないか。
こんなに遊んでいて楽しいとは予測していなかったのだ。
今日はあくまで昨日の弁償のために来たというのが目的だったのである。
こうして3人はお昼寝の時間も忘れてプラレールごっこに熱中したのだった。
お昼寝の催促に現れたユイは大きな溜息を吐いた。
アスカとシンジはああだこうだと線路の計画変更を討議し、部屋中に建設物資が散乱し、そして隅っこでは力尽きたレイが眠っていた。
「こらっ、あなたたち、何してるの?」
「あそんでんの」
「うん、おもしろいよ、これ」
叱られているという意識なし。
日頃大人の顔色を窺いがちなシンジまでもが目を輝かせている。
「楽しく遊んでいるのはいいけど、ちゃんとお片づけできるんでしょうね」
「とぉ〜ぜん!」
シンジが戸惑うよりも前にアスカが胸を張って答え、それにつられた彼はうんと頷いてしまう。
「わかりました。でも、レイがお昼寝しちゃったのを放りっぱなしにして遊んでいたのは駄目ね。きちんとお片づけできるまで、お昼寝もおやつもなしよ」
ユイは足場を確保しながら部屋を進み、レイを抱き上げる。
むにゃむにゃと何事かを言う娘を抱き上げ、すぐに片付けなさいと命じて彼女は一階に降りた。
もう少し遊びたかったものの母親の命令は絶対である。
もし命じたのが自分の母親ならばアスカも抵抗しただろうが、ここはシンジの家だ。
肩をすくめたアスカは片づけを始めたシンジに協力するしかなかったのだ。
しばらくして、片付けの催促に上がってきたユイは意外に思った。
ほとんど片付いてしまっているのだ。
しかし、そこで二人が言い争いをしていた。
何を争っているかを尋ねると、まさにどうでもよいことである。
同じ大きさで形状の線路がどちらのものかわからないということだったのだ。
アスカはどちらでもいいと言うのだが、シンジがぼくのは古いやつだからわけないといけないと聞かないのだ。
うわぁ、この頭の固さは誰に似たのよ、とユイは心の中で呟いた。
しかし放ってもおけないので…というのは、もしかするとシンジが意固地になっているのが眠たい所為ではないかと思ったのだ。
だからユイは折衷案を出した。
線路に名前を書いて次からはっきり分けられるようにすればどうだと告げたのだ。
するとどうだろう。
二人とも反対したのだ。
そんなことをすれば線路が汚れるではないかと。
そして、そのついでにアスカが言い出したのだ。
「あのね、おばさん。おおきなはこ、ない?これぜんぶはいるくらいのはこ」
「箱?」
「うん、ぜんぶいっしょにしたらいいのよ、もう」
「でも、一緒にしたら…」
「アタシ、きめた。プラレールであそぶときはシンジちゃんのおうちにくるから」
「え、いいの?」
「だって、まいにちあんなのせおってくるのたいへんだもん」
おい、毎日来る気か?
ユイは吹き出しかけた。
ところがシンジの方はその発言になるほどと思ったのだ。
「あ、そうか。あめとかふったらたいへんだよね」
「うんうん!かさもって、ながぐつはいて、ここまでくるのよ。あんなのもってこれないもん」
うおっ、雨の日も?
槍が降っても来るのかしらん?
ユイは訊いてみたかったが自重した。
それよりもこの二人のやり取りをもっと見たかった。
「そうか、そうだよね。あのプラレール、おっきいはこだもんね」
「そうよ!それにさ、これからもふたりでぷられーるをふやしていくほうがいいとおもわない?」
「ふやすの?」
「あたりまえじゃないっ。ほら、はこにはほかのでんしゃもあるし、レールもいっぱいあるもん。ふたりでふやしたらもっとたのしいわよ!」
そりゃあ楽しいでしょうよ。
でもそれを買うのは親なのよ、アスカちゃん。
「きょ〜、もってきたのはね、アタシのおこづかいでかったものなのよっ。おじいちゃんからもらったおとしだまとかそ〜ゆ〜のをママがだしたの」
「そうなんだ。アスカちゃん、すごいや」
「へへん!」
だから、それって親たちのお金なんだってば。
うちにもそういう貯金があるんだけど、嫌な予感がするわ。
「アタシ、たんじょ〜びにプラレールをかってもらうのにきめたわ」
胸を張るアスカを見て、シンジもその気になった。
「ぼくもそうしてもらおうかなぁ。アスカちゃんのたんじょうびはいつ?」
「12がつ4にちよ!アンタは?」
「ぼく、6がつのね6にち」
「じゃ、アンタのほうがはやいわね。よしきた。それじゃアタシはアンタにプラレールをプレゼントしたげる」
「えっ、ホント?」
「うれしい?」
「うん、うれしいよ。じゃ、ぼくもそうする」
「やたっ!トンネルとかしゃことかいっぱいあるもんね」
「そうなの?」
「あるわよ!えっとね、たしか、はこのなかに…」
おお、神様。
そんなものが箱の中に入っていたのですか?
我が家が買ったセットの中にはそのような悪魔の誘惑が記された文書など入っていませんでしたよ。
神様は子供の味方で、親の財布の心配はしてくれないのですね?
「あった、あった。ほら、これよ!」
アスカは箱の中に入れてあった一色刷りのカタログを取り出した。
そんなものを見てしまえば、シンジの眠気など完全に吹き飛んでしまう。
「うわぁ、すごいや。ゆうえんちセットなんかもあるんだって」
「アタシ、そ〜ゆ〜のよりもせんろがいっぱいのほうがいいっ。そっちのほうがいろいろあそべるもん」
「うん、そうだね!」
すっかりハイテンションのシンジはほらこれだよとユイにそのカタログを渡した。
苦笑しながら受け取ったユイは、母親らしくまずは金額のチェックから始める。
なになに、トンネルは150円。
全国価格って何よ、これ。
もしかしてこういうの書いてない場合は、田舎の方は玩具屋さんにぼったくられているわけ?
おお、気をつけましょ。子供たちに乗せられたりして、旅行先で玩具は買わないようにしなきゃ。
150円ねぇ、けっこう高いじゃない?
でも誕生日のプレゼントに150円ってちょっと少なすぎるような…。
って、それがこの会社の狙いかもっ!
うぅ〜ん、難しいわよね、これって案外。
頭の中ではそのようなことを考えていたのだが、表面上は「ふぅ〜ん色々あるのね」と微笑むユイだった。
「これからたのしみねっ」
「ぼく、きかんしゃもほしいなぁ」
「アタシ、でんしゃがいい」
「あ、そうだ。レイがもうすぐ2さいなんだ。3がつのおわりがたんじょうびだから」
きらきらした目で喋りだすシンジをユイは溜息混じりに見下ろした。
何を考えたのか読めたからだ。
「うんうん」
「でねっ。レイがこのなかのなにか…そうだなぁ、きかんしゃかな、やっぱり」
「こらっ、馬鹿シンジ」
こつんと頭を叩かれ、シンジはきょとんとした表情をした。
体罰というには程遠い小突き方ではあったが、母親に手を下されたのは生まれて初めての経験だった。
叩いたユイの方も「あらまぁ、やっちゃった」といった感じで小さく舌を出す。
「なぁに?おかあさん」
叩かれたと思っていないシンジは呼ばれたものと誤解して顔を上げた。
しかし、体罰常習者(らしい)アスカには今のが何かすぐにわかったようだ。
「ああっ!ばかなんてダメなのにぃ〜!シンジちゃん、かわいそ〜!ばかシンジなんてかわいそ〜」
アスカに言われて、母親に“馬鹿”と呼ばれたことを彼はようやく知った。
しかし、泣き出すかと思われた彼はユイの予想とは違う言葉を発した。
「えええっ、ぼく、ばかじゃないもん。アスカちゃんにかしこいっていわれたもん」
「うんうん、アタシいったよ」
「えへへ、すごいでしょ」
何なのだ、うちの息子のこの変化は。
すっかり天狗になっている。
「おばさん、いけないんだぁ。ばかなんていったら、だめなのに」
「えっと、あのね、アスカちゃん?今の馬鹿はね、普通の馬鹿とは違うのよ」
まっすぐにアスカに見つめられて、ユイは少し冷や汗をかく。
しかしここは大人たるもの、引き下がるわけにはいかない。
なんとしても言いくるめないと。
「どうちがうの?」
「つまりね、特別な人だけが言っていい馬鹿なの。わかる?」
「わかんない」
それはそうだろう。
今の説明でわかるようならば、アスカはもう充分大人の女だ。
しかし幼稚園に通う寸前の幼女にはそんな漠然とした説明では無理というもの。
「とくべつって、なにがとくべつなの?」
「えぇっと、つまり、その人にとって特別ってこと。シンジだったら、私とかお父さんとか」
「おとうさんはばかっていわないよ」
そのうちに言うわよ、馬鹿息子とか。
ユイはシンジを軽く睨みつけた。
「あ、でも、おかあさんはおとうさんにいうよね。そのこと?」
おお、それそれ。
でも、それを例にするのは拙いんじゃない?
「なにそれ?シンジちゃん、おしえてよ」
「あのね、おかあさんがおとうさんに“おばかさん”っていうんだよ。で、ほっぺにチュッってするの」
そこまで言うな、馬鹿シンジ。
ユイは頬を赤くするが、なんとその説明でアスカは了解したのである。
「あ、なんだ。それ?うちもするよ。ママがパパに『アタシのかわいいおばかさん』ってチュッって」
「ほっぺに?」
「ううん、おくちに」
うぉっ!流石欧米人!
しかし、子供たちの見ている前で自分たちはキスなどできない。
負けず嫌いのユイは少し腹が立った。
「おほんっ。アスカちゃんもお母さんに馬鹿って言われない?」
気を取り直したユイに問われて、アスカはぷぅっと膨れる。
「いわれる」
「でしょう。だから、いいのよ。好きだから馬鹿っていうのだもの」
「じゃあ、アタシもママにばかっていってもいの?」
「それはダメよ。子供が親に言うのは世界中で禁止なの」
「ぶうっ」
「あ、じゃ、ぼくがレイにいうのは?」
おいおい、こいつら勘弁してよ。
どこまでこの話題を引っ張るの?
「う〜ん、レイはまだ小さいからね。それに大きい人…じゃない、年上の子供が年下に言うのは駄目なの」
「じゃあ、シンジちゃんがアタシにいうのもだめってことね。アタシのほうがちいさいもん」
「アスカちゃんのほうがおっきいじゃないか」
「アタシのほうがたんじょうびがおそいもん。だからシンジちゃんはいっちゃだめなの」
「ええっ〜、それじゃぼくはだれにもいっちゃいけないの?」
「ぐふふ、そうなの。アタシはシンジちゃんにいってもいいの」
「でも、アスカちゃん?それはシンジが認めないと駄目なのよ。特別な人だって」
うわっ、これって拙くない?
私、とんでもないこと言ってない?
「ふ〜ん、そうなんだ。じゃ、シンジちゃん?アタシはとくべつ?」
「とくべつってわかんないよ」
「アタシだってよくわかんないわよ。でもね、シンジちゃんのママとかパパとおんなじかどうかじゃないの?」
「あ、そうか。じゃ、とくべつじゃないや。うん」
「そうよね、アタシ、シンジちゃんのママじゃないもん」
よしっ、いいところに収まりそうだ。
ほっとしたユイはこの話題を切り上げようと明るく言った。
「はいはい。じゃお昼寝しましょうね。その間に大きな箱を見つけておいてあげるから」
「はぁ〜い」
「あとでおやつだよ、ねっ、おかあさん」
「わかってます。はい、下に降りて」
先に階段を下ったユイは、降りてきたアスカに声をかけた。
つい余計な言葉を付け加えてしまったのだ。
「このままシンジとずっとお友達だったら、いつか馬鹿って言えるかもね」
その時、アスカはきょとんとした顔で首を傾げたまま何となく頷いた。
昭和53年の4月になった。
シンジとアスカは揃って中学2年生に進級している。
朝、7時30分。
いつものように赤金色の髪の制服を着た娘が碇家の玄関を開いた。
「おっはよ〜ございます!」
しかし、出迎えの人間は現れない。
返ってきたのはユイの声だけだ。
「おはよう!」
「おじゃましまぁ〜す!」
声だけの出迎えにもかかわらず、アスカは平然として靴を脱ぎ、そしてきちんと揃える。
それから一度うんと頷くと、階段をさっさと上がっていく。
あの共有の子供部屋だった4畳半はシンジの部屋となっている。
アスカはその部屋の襖をがらっと開いた。
いつものようにシンジはまだ夢の中にいるようだ。
アスカは襖をしっかり閉めると、そっと布団に近づく。
そして彼の寝顔を確かめた。
「おぉ〜い、起きてる?」
小声の問い掛けに返事なし。
アスカはニヤリと笑った。
数秒後、気配に気がついたアスカは顔を上げ振り返る。
その瞬間、襖が僅かだが閉まるところが見えた。
明らかに誰かに覗かれていたのだ。
そのすぐ後に軽い足音が階段を下りていくのが聞こえる。
「ちっ、レイね」
はしたなくも舌打ちすると、アスカは大きく深呼吸をした。
「起きろぉぉっ!馬鹿シンジぃっ!」
「わわわわ、見た、見た、見ちゃった」
台所に突進してきた娘が目を輝かせて叫ぶ。
「何を見たの?レイ」
「キス!キス!アスカお姉ちゃんがぶちゅうっと」
「覗き見したのね、はしたない」
「見えちゃったんだもぉん。ねっ、私、いつおばさんになるの?」
「馬鹿ね。どうせホッペにちゅっで、シンジは眠ったままだったんでしょ」
母親に素っ気無く言われて、レイはつまらなさ気に食卓につく。
「早く食べなさい。あと10分しかないわよ」
「あぁ〜あ、私も早く中学生になりたいなぁ。集団登校なんてもういやだよ」
「がたがた言ってないで食べる。はい、トースト」
「おまけにどうして私が登校リーダーなのよ。男子がするもんでしょう、普通」
「あなたの尊敬するアスカお姉ちゃんもリーダーだったでしょ。プラレールの先頭車両みたいなものじゃない」
レイはそれには答えずバターをトーストに塗り、あんぐりと開けた口に程よく焼けたトーストを放り込む。
早く食べないと本当に間に合わなくなってしまう。
登校リーダーが遅刻しては様にならないではないか。
急ぐレイだが、パンだけではなく、目玉焼きとフランクフルトもしっかりと食べ、ごくりごくりとコップの牛乳を飲み干す。
右手の指先で唇を拭うと、彼女は「ごちそうさま!」と言うが早いか洗面所に突進した。
それを見送ってユイは腕組みをして苦笑する。
「もっと大人しくて無口な性格に育つと思ったのになぁ。どう見てもアスカちゃんに似たのよね、あれって」
その呟きが聞こえたのだろうか、今度はアスカが階段を下りてきた。
足音が一つだから例によってシンジはまだ着替え中なのであろう。
「おはようございます」
いつもと違って少しばかり神妙な挨拶になっているのは、何をしていたかをレイから報告されているに違いないと踏んだ所為だろう。
そんなアスカにユイはいつも通りの言葉で応じた。
「コーヒーだけでいいの?」
「うん、食べてきてるから」
「あ、そ」
すかさず出されたコーヒーカップにアスカは唇をつける。
しばらくの沈黙の後、アスカが大きな溜息つきでコーヒーカップをテーブルに置いた。
「聞いたんでしょ、レイに」
「アスカお姉ちゃんがキスしてた!って?」
「やっぱり…」
がっくりときたアスカはテーブルに頬杖をついた。
「見られちゃったか」
「いいんじゃないの、別に」
「ぐふぅ…」
アスカの正面に座ったユイはにっこりと微笑む。
「問題は私たちに知られることよりもシンジに知られることでしょう?」
はぁ…とアスカは溜息をつく。
幼馴染となって、6年。
小学4年生の春にシンジに恋をしたアスカだった。
その恋心に当のシンジはまったく気がついていないが、両家の他の人間はすべて気がついている。
寧ろそれを待っていたようなところもあった。
小学生のレイまでがアスカを応援しているのだ。
しかし、アスカは煮え切らない。
もし告白して幼馴染という立ち位置すら失うなどとんでもない。
まずシンジに恋愛感情というもの自体が芽生えていないというのが彼に一番近い存在のアスカの判断だった。
その判断は間違っていない。
シンジの恋愛感情を自分に抱かせる。
それを目的にして彼に始終密着しているのだ。
虫除けの意味もあった。
だが、彼に自分の感情を悟られるのは拙いと思っている。
もし彼の臆病者の部分が顔をもたげてしまえば、アスカを避けてしまうかもしれない。
そう思って、彼女はみなに口止めをしていたのだ。
その時、背後にスポーツバックを担いだレイがやってきた。
「アスカお姉ちゃん、何なら私が馬鹿兄貴に教えてあげようか?キスされてたって」
「駄目よ!」
立ち上がったアスカはレイを捕まえようとするが、身軽な彼女はその手をするりと潜り抜け、玄関に向かった。
「大丈夫っ。何も言わないから。その代わり、今度ハンバーガーでも奢ってね」
にんまりと笑ったレイは「いってきます!」と元気に出て行く。
その背中を見送ったアスカはあぁ〜あと天井を仰いだ。
「相変わらずうちの娘は色気よりも食い気ね。初恋はまだなのかしら?」
「まだ小学6年生になったばっかりじゃない」
「アスカちゃんに比べたら思いっきり遅いと思うんだけど?」
にっこり微笑むユイから目を逸らせたアスカは二階を睨む。
「遅いわねぇ、男の癖にどうして着替えに手間取るのよ」
「さあ?シンジの教育は惣流家に任せてるから、おばさんはわからないわ」
わざと嫌味を交えた口調で言うユイをアスカは唇を尖らせて睨みつけた。
「あら、どうして訊かないの?何故惣流家なのかって?」
「ユイさんの言葉遊びに付き合ってられないの、アタシは。それにもうすぐ降りてくるじゃない」
「降りてきてもいいじゃない。いっそ聞かれた方がいいでしょう。アスカちゃんがシンジをお婿さんに貰うつもりだって」
「ああっ、駄目駄目!ほら、降りてくる!」
なるほど、階段がみしりみしりと音を立てている。
頬を赤くしたアスカが手を振ってユイの口を塞ごうとした。
くすくすと笑ったユイは椅子から立ち上がり、シンジの朝食を用意にかかった。
その後姿を見ながら、アスカは溜息混じりにコーヒーを啜った。
「おはよう…」
欠伸交じりに現れたシンジは自分の定位置の椅子に腰をかける。
「遅いわよ、馬鹿シンジ」
「別に遅くないじゃないか。まだ8時前だよ」
「いくら中学校が徒歩5分でも別にぎりぎりに行く必要はないじゃないのよ」
「早く行く必要もないだろ」
「うっさい、黙れ。アンタはアタシの言うとおりに動いていればいいのよ」
「よく言うよ。アスカの計画なんて大抵企画倒れじゃないか」
「証拠ある?」
「プラレールだってそうだろ。アスカが組み立てたら絶対にレールが足りなくなったじゃないか」
「ふん、アンタ馬鹿ぁ?あれはレールを買い足すための作戦じゃない」
「おかげでプラレールの箱は3つだよ、3つ。僕の押入れ、あれがかさばってて大変なんだぞ」
アスカとシンジ、それにレイも加わって買い足されていったプラレールは彼が言うように大きな段ボール箱が3つになっていた。
もっとも最後に買い足されたのはもう3年ほど前になるのだが。
「母さん、あれ処分できない?親戚の誰かに…」
「馬鹿シンジっ!」
アスカはじろりとシンジを睨みつけた。
その眼差しを見て、シンジは慌てて母親から渡されたトーストにかぶりつく。
彼の知る限り、かなりの勢いで幼馴染が怒っているのがわかったからだ。
「プラレールはアンタの所有物じゃないでしょうが。あれはアタシのものでもあるのよ。
勝手に処分したらぶっ殺すわよ」
「じ、じゃ、アスカの家で保管してよ。うちの3倍以上大きいじゃないか」
「うっさいわね。あれの保管係はアンタなの。多数決で決まってるでしょ。民主主義じゃない」
「多数決ったって、2/3じゃないか。レイは何でもアスカの言う事を聞くんだから、こっちはたまんないよ」
ぶつぶつ言いながらシンジはコーヒーを飲んだ。
もっともアスカとは違い、彼のは限りなくコーヒー牛乳に近い、甘く牛乳をたっぷり入れたものだが。
「仕方がないわね。使ってないから処分なんて考えるのよね。わかった。今日はプラレールの日」
「ええっ、もう中2なんだよ、僕たち」
「去年もしたじゃない。夏に」
「でも…。あれ、やると僕の寝るところなくなってしまうじゃないか」
「だからアンタの寝る場所は我が家で提供してあげてんでしょ。今日は金曜だから…ま、二三日くらいは泊めてあげるわ」
ユイは吹き出したくなるのを抑えた。
なるほどプラレールを作るという名目でシンジを惣流家に泊めようという作戦か。
いろいろと考えるものだ。
若いというのは羨ましい。
「それは、まぁ…。いいけどさ」
ここで素直に幼馴染の女の子の家に泊まってもいいと考えるところがシンジの晩生さを表している。
普通ならば一緒に登校するという事自体を恥ずかしく思い嫌がるものだ。
それを苦々しく思う一方で、自分の思い通りに動いてくれることをアスカは嬉しく思った。
「よし、決まり。ユイさん、レイが帰ってきたら伝えといてね。今日はプラレールするって」
「レイだってもうイヤだって言うかもしれないよ」
「残念でした。この前も作りたいって言ってましたよぉ〜だ。アンタもレイの机に飾ってある新幹線は見てるでしょ」
「まあね。置きっぱなしにしてるだけかもしれないけど」
「それも残念でした。ちゃんと埃を拭ったりしてますよぉ〜だ。あれって、アタシの所有物だったのになぁ」
「はいはい。僕が悪いんです。もう500万回くらい聞いたよ」
「ぶぶぅっ!1000万回は言ってます。そもそも…」
「あ、顔洗わないと。ごちそうさま!」
「あっ、逃げたな、馬鹿シンジ」
洗面所に逃れたシンジの背中を追ってアスカも移動する。
歯を磨く彼の背後で、彼女はいつものように新幹線の話をするのだろう。
ユイは今でもよく覚えている。
あの日、アスカが弁償用のプラレールセットを背負ってやってきた日のことだ。
彼女は前日に壊した新幹線の一両目に自分の名前を書いた。
その二両目にシンジが自分の名前を書いてしまったのだ。
それはアスカよりも先に昼寝から目を覚ましたシンジが壊れた方の新幹線を見たからだった。
彼はその新幹線の所有権がアスカに移ったことを知らなかったのである。
だから彼は一両目に彼女の名前が記されたことを別の意味に取ったのだ。
シンジはマジックを探し出し、二両目に自分の名前を書いた。
そして目を覚ましたアスカは二両目がシンジのものだということに不満の意を示す。
だが彼女はその時「いいことをおもいついた」のだ。
三両目にレイの名前を書かせようと考えたのである。
レイはまだ字など書けない。
お絵描き用の紙に殴りがきの抽象画を描くレベルである。
そんなレイにアスカは無理矢理名前を書かせた。
最初はレイの手を上から持って名前を書こうとしたのだが、これはレイが拒否をした。
なんと自分で書きたいというのだ。
だから紙に何度も練習しようやく三両目に清書とあいなったのだが、もちろん書かれたのは何とか判読できるかどうかというものだった。
しかし、レイは大いに満足した。
さらに、3人の名前が書かれた新幹線の側面にはユイの字で“昭和44年1月10日”と記されたのだ。
その時アスカは充分納得していたのだが、彼女は事あるごとにシンジを責めた。
「アタシの新幹線に落書きした」と。
もちろん、それは彼女なりの友愛精神の発露である。
さて、その新幹線はレイの学習机の上に飾られている。
そして、その隣にはスタンドに飾られた写真があった。
それは昭和44年3月31日のレイ、2歳の誕生日で撮られたスナップ写真だ。
真ん中に座るレイはにんまりと笑って、その手にはプラレールの機関車が鷲掴みされている。
その右側にはシンジが車庫を持って、左側にはアスカがトンネルを掴んでいた。
レイへの誕生日プレゼントだとそれぞれが(親の金で)購入したプラレールの情景部品である。
この写真はレイの一番のお気に入りだった。
「あ、そうだ」
玄関を出たばかりのところで、アスカがぽんと手を叩いた。
「どうしたの?」
シンジが振り返ると、アスカはニヤリと笑っている。
その笑顔を見た瞬間に、彼は察知した。
また、はじまった、と。
「あのね、アタシ、とってもいいことを思いついたの?」
きたきたきたっ。
出逢った時から、いつもこうだ。
彼女は絶えずいい事を思いつき、そして大概の場合シンジはそれに巻き込まれて大変な目に合ってしまう。
大阪万博に家族同士で行った時も、彼女の思いつきのために半日迷子になってしまった。
幼稚園のプールでは水の中で会話をしようとして溺れかけた。
運動会では絶対に早くなるからと両手を飛行機のように広げて走る羽目になった。
数え上げればきりがない。
今日のいい事はまずプラレールに関することに違いない。
シンジは聞きたくなかったが、幼馴染の儀礼として質問をする。
「どんな?」
「ふふんっ。15両編成の超ロング電車!」
シンジは溜息を吐いた。
そして、歩きながら面白くなさそうな口調で喋る。
「前にやっただろ、重すぎてほとんど動かなかったじゃないか」
「はんっ!このアタシが同じ間違いを犯すと思う?
今度はね、途中にモーター車を入れるの。3つくらい」
「無理だろ、それ。だって、モーター車には前に連結がついてないもん」
「それをつけるのよ」
「どうやって?」
「アンタが考えなさいよ。やるのアンタだもん」
「はぁ?」
シンジは立ち止まって振り返る。
アスカも彼の動きに合わせて足を止め、にんまりと笑っていた。
「どうして僕なんだよ」
「だって、アンタは手先が器用じゃない?おじさんに似たのかしらね」
シンジは考えた。
これは、褒められている、のか?
手先が器用だなんてくらいで褒められても…。
ああ、駄目だ。
アスカに誉められて嬉しくなってきている自分をシンジは意識していた。。
「細い針金かなんかでできるかも。でも、モーター車の速さは微妙に違うから…」
「さっすがシンジね。じゃ、20両編成の件は任せるわ」
「さっきより増えてない?」
「知んないっ」
アスカは満足気に笑うと、肩で風を切るようにシンジの横を通り過ぎた。
彼は鼻の頭をぼりぼりと掻くと彼女の背中を追う。
紺色のブレザーの上を赤金色の髪が左右に揺れ動く。
彼女の歩き方はまるでモーター車のようだ。
さっさと信念を持って真っ直ぐ歩いていく。
そんなことを考えながら、シンジはもし今彼女の肩に手を置いて歩けばどうだろうかと考えた。
連結だ、とふざけて言ったならアスカは…?
そこまで考えて、14歳になろうとする少年はぱっと顔を赤らめた。
女の子に背中からいきなり手をかけて「連結だ」なんて、とんでもないではないか。
これが小学生の頃なら別に何ということもない言葉だ。
しかし中学2年生ともなれば、物凄くいやらしく感じてしまう。
このような類のセクシャルな連想など日頃ほとんどしないだけに、シンジは自分に驚いていた。
おお、実行しないでよかった。
もしそんなことを言えば、アスカに頬を引っ叩かれていた事だろう。
シンジは苦笑した。
苦笑して、すっと真顔になった。
アスカになら…。
この日の朝、少年の心の中で幼馴染の存在が違ったものに変化した。
そのことをアスカはまだ知らない。
「こらっ、馬鹿シンジ!何ぼけっとしてんのよ。置いてくわよ!」
「あ、ご、ご、ごめん!ちょっと考え事をしてて…」
「25両編成のこと?」
「また増えた。そんなにないよ」
「じゃ、アンタの誕生日、プラレールでも買ってあげようか?」
「今年も、くれるの?」
この数年、シンジを異性として好きなアスカは彼の誕生日に気合を入れてプレゼントしている。
しかし、彼女の誕生日には気合の入っていないお返しが渡されるだけであった。
今年の誕生日にはその数年分を充分埋め合わせしておつりが来るほどの心のこもったプレゼントを貰えるとは、この時点では想像もできないアスカだった。
だから、彼へのプレゼントはあくまで儀礼に過ぎないのだと強調したのだ。
「う、うん。一応、幼馴染だしね。家族以外からも欲しいでしょ、プレゼント」
「あ、うん。欲しいよ、絶対」
「あ、そ。じゃ、あげる。もうっ、行くわよっ」
照れたことを知られたくないアスカは踵を返してさっさと歩きはじめた。
シンジはその後に続きながら思った。
アスカからのプレゼントなら絶対に欲しい。
この時芽生えた彼の感情はやがて実を結ぶことだろう。
しかしそれは今すぐではない。
二人が互いの感情に気がつくまでもう数ヶ月時間が必要なのだが、この話はここで終わる。
シンジはアスカの後姿を見つめた。
プラレールと違って自分たちの人生にはレールはない。
だけど、そのレールのない道をアスカと一緒に歩いていきたい。
そう自分に誓った彼は、彼女と自分の間にある、見えない連結器をしっかりと繋いだ。
彼女がどこに行っても絶対にはぐれないように。
すぐ前に揺れる金髪が朝日に煌き眩しく見えたので、目を細めたシンジはしっかりとした足取りで歩を進めた。
これから先も、もっともっと「いいことを思いついた」と自分に告げてくれることを祈って。
(おわり)
<あとがき>
我が家のプラレールは段ボール箱に2つでした。
それは前の職場の同僚のところにお嫁入りしました。
もったいないとは思いましたが、貸すっていうのは変でしょう(笑)。
今のものとは違い、昔のプラレールはより硬質の素材だったためかよく欠けました。
それに電池がすぐになくなるし、親はほいほい電池など買ってくれませんから、毎日のように遊ぶというわけにはいかなかったですね。
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