昭和短編集


アスカとシンジの
カップヌードル大作戦

ー 1972 初夏 

− その2 −

 


 2006.10.16        ジュン

 
 







 アスカとシンジが狙いをつけているのは、小学校から徒歩2分、バス停の隣に設置された自動販売機だった。
 その存在は子供たちを…いや大人たちをも驚かせた。
 自動販売機といえば、煙草に…コカコーラ。
 まだホットの缶飲料自販機も世の中になかった時代である。
 そんな時代にラーメンの自動販売機だ。
 子供たちは目を輝かせ、大人たちは胡散臭い眼を向けた。
 とんでもないものを食べさせるのではないか。
 そんな思いが強いのか、まだカップヌードル自体が世間に知られてはいてもまだ市民権がなかったのか。
 ともあれ、その自動販売機を見ることはまれであった。
 それがこんな郊外都市に、しかも中心地から外れた場所に突如出現したのだ。
 そこにはタバコ屋があり、いつもお婆さんがちょこんと座っている。
 自動販売機がその場に黄色い姿を現したのは、ほんの10日前である。
 頑固な母たちにカップヌードルを食べることをあきらめていた二人がその夢を復活させたのは、
 この自動販売機の出現である。

「じゃあ、あそこで素早くカップヌードルを買って、大急ぎで走って帰るんだよね、ここに」

 シンジは胸を張って言った。
 そんな幼馴染にアスカは呆れた目を向ける。

「アンタ馬鹿ぁ?それじゃ、アンタはここでカップヌードルを食べようって思ってるわけぇ?」

「えっ、違うの?」

「あったり前じゃないっ。アンタ、うちのあのママを知らないはずないでしょっ」

 アスカはじろりと睨みつけた。
 が、まるで買い物に外出したキョウコが窓から様子を窺っているかのように振り返ってみたりもする。
 ここが二階であるにも関わらずだ。

「そ、そうかなぁ。ちゃんとゴミとか片付けておけば大丈夫じゃ…」

「じゃ、アンタの家で食べる?」

「だ、だ、駄目だよ!絶対にばれる!母さんを知ってるだろ!」

「ねっ」

 アスカは苦々しげに微笑んだ。

「あ…、そうだね」

 シンジは引きつった笑いを浮かべた。
 キャラクターは違うのだが、二人の母親は微妙によく似ている。
 ことに勘の鋭さについてはどっちが上かわからない。
 どんなにきれいに痕跡を消したとしても絶対に感づかれてしまうだろう。
 そうなれば、身の破滅だ。
 どんなにカップヌードルを食べたくても、お年玉貯金や溜め込んだグリコのおまけや怪獣のブロマイドを没収されたりなどされればこの世は闇である。
 したがって、必ず母親たちには秘密でこの大作戦は敢行されなければならないのだ。

「じゃ、どうするの?誰かの家で食べる?」

「馬鹿ね。ただでさえ半分ずつなのよ。これ以上少ないのはいやだわ」

「それもそうだね」

「ちょっと、これ見て」

 アスカはここぞとばかりにわら半紙を出した。

「えっと、100点。凄いなぁ、僕は85点だったよ」

「あ、間違えた。裏よ裏」

 わざと裏表を間違えて、算数のテストを自慢したアスカはかなり上機嫌でわら半紙の裏を向けた。

「地図」

「ふふん、時間がかなり余ったからね。ちょっと、作戦をたててたのよ」

「へぇ、凄いや。あのテストで?やっぱりアスカは天才だよ」

 天才の鼻がぐぐんと伸びる。
 
「ねぇ、ジュースおかわりする?持ってきてあげるわよ」

「いいの?ありがとう」

「ふふん、しょ〜がないわねぇ。ついでよついで」

 何のついでなのだかよくわからぬままに、アスカはシンジのコップを持って台所まで往復。
 ただしそのコップで間接キスとかそういうところにまでは考えが及ばない。
 並々と注がれたコップを手にジュースを零さぬように、ゆっくりゆっくりとアスカは階段を上がってきた。

「わっ、いっぱいだ。ごめんね」

「はんっ、ちょうどそれで終わりだっただけよ」

 アスカは嘘をつく。
 気難しいアスカの機嫌をよくするのはシンジの得意技だ。
 ただしそれは無意識に、という条件がつくが。
 意識して機嫌をとろうとするとまず間違いなく大惨事になるからだ。
 彼女はおいしそうにジュースを飲むシンジをにこにこして眺めていた。

「えっと、ここが小学校だろ。で、ここが僕たちの家だよね」

「ふふん、そのと〜り」

 僕たちの、というフレーズにアスカはご満悦で答えた。

「で、これが自動販売機か。でもさ、ここでカップヌードルを買ってもどこで食べるの?お湯はどうするのさ。まさかケンスケみたいにそのままで食べるの?」

「はぁ、アンタ馬鹿ぁ?」

 悪態は吐くが機嫌はいい。
 これくらいのことは幼馴染だけにシンジにはわかる。
 だから臆することなくアスカに対することができる。
 そこのところがわからないだけに、周囲の子供たちはこの二人を特別視しからかうわけだ。
 からかわれて男子の方は恥ずかしがり、赤金色の髪の女子の方は憤然とした表情の下で歓んでいたりする。

「まず最後の質問の答。あんな馬鹿じゃあるまいし、そんなことは絶対にするわけないじゃない」

「はは、そうだよね」

 ひとまず安心。

「真ん中のは…アンタ馬鹿ぁ?自動販売機にお湯が出るんじゃない」

「えええっ!そうなの?」

「まったくもう…。近くに寄って見た事ないの?」

「ないよ。だって母さんにばれたら…」

「自動販売機を見ていただけで?はははっ、まさか…」

 と笑い飛ばしながらも、実はアスカも自動販売機の調査に赴いたものの周囲の目を気にしてじっくりは見ていない。
 本人は30秒くらいは見ていたつもりだが、地球時間にしてものの8秒ちょっと。
 バスのブレーキ音に慌てて走り去って行った赤いランドセルのアスカだった。
 彼女も自動販売機を見ていただけで母から何かしらの制裁を受けると思い込んでいたのだ。

「あれはね、どういう風になってんのかわかんないけど、とにかくお湯が出るの。だから真ん中の答もOK!」

「やったっ。すごいね」

「へへん。アタシは石橋を叩いて渡るタイプなのよ」

 どう見ても紙の橋を全速力で走って渡ろうとする少女が言い切った。

「問題は最初の質問っ。どこで食べるかなのよ」

「えっと、誰にも見つからないところ」

「そんなの当然じゃない。アンタはともかく、アタシは目立つのよ」

 それは嘘ではない。
 この時代、白人は町中で目立った。
 もうこの町に越してきて5年になるが、最初はみんな話しかけることすらためらったのである。
 万博やオリンピックならともかく、ごくごく普通の町なのだ。
 その前に住んでいた横浜なら周りにも外国人が住んでいたのでそれほどの違和感はなかったのだが、
 ここは田圃や畑が目立つ郊外都市だ。
 父親の勤める製薬会社の新工場がこの町の外れにできたために惣流家は引っ越してきた。
 当初みんな白い目でなくおっかなびっくりであった。
 だが、そこに物怖じしない碇家の奥さんが登場した。
 30mほど離れた家の奥さんが息子の手を引いて乗り込んできたのだ。
 どこの幼稚園に入れるのか、と。
 相手が日本語がペラペラだと知って、碇ユイもシンジも安心し、そして今までの付き合いに到っている。
 現在では誰も分け隔てなく惣流家の人々と付き合ってはいるが、しかしそれでも彼ら一家は目立つ。
 外国語がペラペラの金髪碧眼、背が高い白人だから。
 髪を染める子供など一人もいない時代だから、アスカはどこを歩いていても記憶されてしまう。
 アリバイ作りには格好だが、今回は人目につきたくないのだ。

「だからこれ!パパの帽子と…ええっと、色つきメガネ」

 アスカは机の大きな引き出しからその二品を持ってきた。
 そして、サングラスをかけ、髪の毛を野球帽に押し込んで被る。

「どぉ〜お?」

 シンジは困った。
 余計に目立っている。

「えっと…あのね、芸能人みたい」

「ええっ、そう?えへへへへ」

 アスカは意味を取り違え増長してしまった。
 だが、その喜びもつかの間、シンジの言葉の真意を知ることとなり彼女は急に不機嫌に。
 
「わかったわよ、やめりゃいいんでしょうが。ふんっ」

 十数分後、不承不承にアスカは変装グッズを引き出しへと戻した。
 
「話を戻すわよ。アンタのせいでずいぶん遠回りしちゃったじゃないの」

「ごめん」

 素直に謝るのは彼の処世術か。

「まあいいわ。隠れて食べる場所は決めてるの」

 そう言ってアスカはにたりと笑った。
 その笑顔を見てシンジは盛大な溜息を脳内で吐く。
 その笑い方だけは止めてほしい。
 彼女がこんな感じで笑っているときは絶対に何かよからぬことを企んでいるのだ。
 もちろんそれを表に出さないだけの分別は彼にはある。
 付き合いは長いのである。

「どこ?」

 恐る恐る聞いた彼への答は簡単だった。

「アンタたちの秘密基地」

「ええええええええっ!」

 立ち上がったシンジには目もくれず、彼女はまるで映画のワンシーンのように地図を指差した。

「ここよっ!」

 びしっとわら半紙が裂ける音がして、100点のテストは穴が開いた。
 その穴の空いた場所はまごう事なきシンジたち3人の作った秘密基地の場所。
 高田酒店裏の空き地である。

「ど、どうして知ってるんだよ!」

「ふふん。アタシを誰だと思ってんのよ」

 アスカはニヤリと笑顔で彼を見上げた。

「アンタのことなんかぜ〜んぶお見通しなのよ。へへへのへ」

 いささか威厳のない笑い方だったが、ことは簡単。
 シンジの後を尾行しただけの事だ。
 だが秘密基地の秘密がなくなり、ただの基地になってしまったシンジはがっくりと肩を落とした。
 友達に何と言えばいいのか。

「あそこでばっちりよ。バス停からも近いしさ」

「う、うん」

「はっ、何しょぼくれた顔してんのよ。ばらしゃしないわよ、他のヤツには」

「本当?」

「あったり前でしょ。3年にもなって女子があんなとこで遊ぶわけないじゃん」

 アスカなら遊ぶと思うという言葉は喉元で堪えたシンジである。

「じゃ、秘密にしておいてくれる?誰にも言わない?指きりげんまんしてくれる?」

「ふんっ、信用ないわねぇ」

 指きりげんまんしても信用できないと言い返したかった。
 僕のノンスメルで当たった怪獣トランプを持っていったまま返してくれないの誰だ。
 一年生のとき、指きりげんまんをして貸したトランプのことを思いシンジは膨れた。
 但し、その時の約束では“返したくなったら”といういい加減なものだった。
 だから、彼は自分の宝物が生存していることを確認するために時々トランプで遊ぶことを要求したりしている。
 しかし3年生になってアスカの家に行っていない為、今日はこの作戦の計画が出来たらトランプをするつもりでいるのだ。

「でも、土管の中は汚いよ」

「外でいいじゃない。おっきなタイヤに腰掛けて食べましょうよ」

「あっ、あれか。うん、あれならいいね」

「雨が問題よね。降らなきゃいいけど」

「じゃ、てるてる坊主つくろうか」

「駄目。何かあるってママにバレるでしょうが」
 
「あ、そうか」

 両家の子供たちはかなり重度の母親恐怖症であった。
 
「カップヌードルにお湯を入れたらね、おなべの中に隠すの」

「どうして?」

「あれを持ったまま移動したらモロバレじゃない。
 おなべ持ってたら、お豆腐買いに行くおつかいなのって誤魔化せるでしょ」

「わっ、凄い!明智小五郎みたいだ」

「へへん。どぉお?おなべはアタシん家の持っていくわ。でも、中に零さないようにしないとね」

「うん、そうだね。ああ、わくわくしてきたよ。もうすぐ食べられるんだね、カップヌードルを」

「待った。問題があんのよ、実は」

 アスカは表情を暗くした。
 
「時間なのよ。どうやって3分計るかなの」

 シンジは息を飲んだ。
 そうか、そうだった。
 それは大問題だ。

「3分、だよね」

「そうよ、3分。お湯を入れてからどうやれば3分経ったってわかればいい?」

「アスカ時計持ってる?」

「目覚まし時計。でも、秒針なんかないわよ。アンタは」

「僕はないよ。母さんが起こしに来るから」

「ふんっ。お子様ねっ」

 唇を尖らせるが、反論できないシンジである。
 この当時、小学3年生で腕時計など持っているわけがない。
 二人は腕を組んで唸りだした。
 そして、シンジが思いついたのである。

「そぉ〜だ!数を数えながら歩けばいいじゃないか」

「駄目」

「どうしてさ」

「やってみたのよ。でもね、3分って180数えるでしょう?何度やっても、3秒くらいずれちゃうのよ」

 父が休みの日に腕時計を借りて机の前で目を瞑ってテストしたのだ。
 だが、絶対にピタリとは収まらない。

「ええっ、そうなの?じゃ、駄目だよね。3分きっかりだもん」

「そうなのよ。どうやれば3分きっかりになるのか、アタシ困っちゃった」

 再び、二人は腕組みと唸り声。
 
「ああ、ウルトラマンがいればなぁ」

「そうねぇ。3分経ったら…って、アンタ酷いヤツね。ウルトラマン死んじゃうじゃない」

「あ、そうか。かわいそうだよね」

「う〜ん。ということはウルトラマンはカップヌードル食べられないんじゃないの?」

 脱線しながら会話と時間は進むが、解決策は出てこない。
 そんな時、窓の外から音楽が聴こえてきた。

「はぁ。また始まった」

「隣のおじいちゃんだろ。うちも聴こえるよ。あ、今日はベートーベンだ」

「ふん。チェロがちょっと弾けるからっていいかっこしてさ。で、本当にベートーベンなの?」

「うん。運命って曲だよ」

「うちはクラシック聴かないからなぁ。あ、そうだっ!」

 アスカが立ち上がった。
 そしてシンジについて来いと命令して階段を駆け下りる。
 彼女ほどのスピードで降りるのは危険なのでシンジはゆっくりと。
 アスカが向ったのは応接間だった。

「これよ、これ!」

 彼女が指さす先はステレオである。
 碇家のステレオはビクター製の家具調みたいな立派なものでニッパー君がスピーカーの上に鎮座している。
 惣流家の方はオーディオマニアを自称するハインツが好みのメーカーを選んでバラバラに買っているのだ。
 アンプは山水、チューナーはトリオ、スピーカーはDIATONE、レコードプレーヤーはDENON…。
 その違いがわかっているのは本人だけなのだが、とりあえずこれはキョウコの自慢の種。
 見た目は碇家の方が豪華だが、中身は惣流家の方が圧倒的に上だと。
 対抗心の強いユイは夫に不満たらたら。
 だが、そこまでの興味のないゲンドウはチェロ弾きの息子に希望を繋いでいる。
 ただし、その息子も音の差がよくわからないのだが。

「えっと、ラジオを聴きながら?って、こんな大きいの持っていけないよね」

「はははっ、リヤカーに乗せて、コンセントをずらぁ〜と引っ張って?そういう想像はアンタくらいしかしないわよ」

「へへへ、で、どうするの?」

 ふふんと笑った彼女は、レコードの山に顎をしゃくった。

「へ?枚数を数えるんじゃないよね」

「アンタ馬鹿ぁ?歌を覚えるのよ、歌を。3分ちょうどのがきっとあるわよ」

「ああっ、そうか!絶対にあるよね」

「ただし、問題は知ってる歌であるかどうかだけど」

 二人はレコードを漁った。
 
「ちっ、なんで分数書いてないのよ!」

「アスカ?これ3分だよ。ビートルズの」

「馬鹿っ。アタシは英語駄目でしょうが」

 日本生まれで日本育ちの彼女は見かけに反して、まったく英語を話せない。
 半年ほど前に遠足で外国人に話しかけられて大恥をかいたことは彼女の屈辱の歴史である。
 だから母に頼んで英語を家庭教師してもらっているのだが、まだペラペラ喋るところにまでは当然至っていない。
 それっぽく嘘の英語で歌うことも母から禁止されている。
 間違いを覚える元になってしまうからだ。
 100枚以上あるレコードを全部チェックしたが、3分ちょうどと表記されているものは以外に少なかった。
 ビートルズが2曲と、英語の曲が3曲。
 日本語の歌はなんと1曲だけで、それは「ブルーライトヨコハマ」。
 アスカは腕組みをして唸り声を上げた。
 嫌いではないがなんとなく絵にならないような気がする。
 シンジと二人で鍋を持って行進するときに、「まちのあかりがとても…」とバラード調の歌だ。
 スリルとサスペンスを味わっている時なのだから、もっとワクワクするような曲がいい。
 アスカの強硬な意見でもう一度探しなおし、結局2分57秒の「友達よ泣くんじゃない」に決めた。
 歌う前に「1,2,3」とカウントすればいいとシンジが意見を言ったからだ。
 アスカはわが意を得たりとばかりに喜色満面。
 
 もし既にカップヌードルを食べたことのある人間がこの場にいれば、“だいたい3分くらい”でいいのだと呆れる事だろう。
 鈴原トウジならば「アホか」と一刀両断間違いなし。
 しかしこの二人はまだ食したことがない上に、小学3年生だ。
 これだけの大作戦を実施するのだから、計画にミスがあってはならない。
 つまり完璧主義者の子供はやはり完璧主義者ということなのかもしれない。
 ともあれ、それから二人は3分でちゃんと歌えるように特訓を開始したのである。
 伴奏をシンジが歌い、歌詞の担当はアスカだ。
 帰宅した母親は仲良く歌っている二人に目を細めた。
 何故この曲ばかりを必死になって歌っているのか、さすがのキョウコにも謎だったが。
 



(その3へ)





 


 

<あとがき>
 
 今回は計画立案編です。
 いよいよ次回は作戦決行となります。
 さてさて、夢のカップヌードルを食することができるか否か。
 今のカップヌードルの自販機とは少しばかり構造が違うのです。
 若い方はお楽しみに。同世代の方は思い出してみてくださいね。
 おおっと、ハインツの選んだオーディオ。
 異論がある方は時を越えて1972年の惣流家までどうぞ(逃げた)。
 実は名器と言われる山水のAU-9500は1972年の10月に発売なのですが…。
 あと何ヶ月かで惣流家では夫婦喧嘩が起きそうですね。
 

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