昭和短編集


アスカとシンジの
カップヌードル大作戦

ー 1972 初夏 

− その3 ・ ごちそうさまでした? −

 


 2006.10.23        ジュン

 
 







「いよいよだね、アスカ」

 ごくんと唾を飲み込むシンジ。

「そうよ、敵は揃って出かけたんだから」

 心なしかアスカの声も擦れている。

 時は今、夢のカップヌードルが待っている。

 
 
 土曜日のお昼。
 惣流家と碇家の奥方二人はいつものように二人揃って隣の市へ。
 そこは隣の県の県庁所在地であり、大きなデパートもある。
 わざわざバスで20分、電車で30分。
 そこまでして出かけて行って、帰ってきた時は紙袋の中にみたらし団子だけが入っていたこともある。
 要は出かけることに意義があるようだ。

 鬼のいぬ間に洗濯ならぬ、買い食い。

 アスカとシンジは各々の手にしっかりと50円玉を握り締めていた。
 そして、シンジのもう片方の手にはお鍋。
 お湯が注がれたカップヌードルを隠すためのものだ。
 アスカは今日はジーパンにしている。
 もしかすると逃げるために走らないといけないかもしれないからだ。
 何から逃げるかというと、“何か”。
 それがわかるのなら苦労はないということだ。
 とにかくカップヌードルを食べるために考えることは全部考えないといけない。

 ただし、シンジが用意したものは却下し、それは家に置いてきた。
 彼が持ってきたのはお箸である。
 アスカは即座に駄目出しをした。

「アンタ馬鹿ぁ?カップヌードルはあのフォークで食べないといけないんじゃない!」

「で、でも、ケンスケとトウジもお箸で食べたって…」

「自動販売機で買ったもんじゃないでしょっ。あいつらが食べたのは。アタシが見たところじゃ、自動販売機にはフォークしかなかったわよ!」

 母親の目を恐れ自動販売機を遠目で眺めるだけのシンジと違って、
 アスカの方は大胆にも手で触れるところまで近づいていた。
 二人で内緒に食べることを決めた翌日のことだ。
 作戦を成功に導くためにはよく調べないといけない。
 復習よりも予習が得意な彼女ならではであろう。
 それとなく(彼女としては)近寄り、
 それとなく(彼女としては)ボタンの位置や金額を確認し、
 それとなく(彼女としては)自動販売機を離れ、
 急に思い出して、
 それとなく(彼女としては)フォークの存在を確認し、
 それとなく(彼女としては)周囲に不審人物がいないかどうか見回した。
 客観的に見ると周囲300mに存在した知的生命体の中で、彼女が一番の不審人物だったが。

「テレビのコマーシャルでもあのフォークで食べてたじゃない。あっちの方がいいわよ!」

「あ、そうか。じゃ、自動販売機からふたつ持っていけば…」

「アンタ何考えてんのよ!一個しか買わないのに二つ持っていくなんて犯罪よ!泥棒!」

「わ、わ、そ、そうだね。ごめん」

 期待されている方々には悪いが、この時のアスカは間接キスを考えたわけではない。
 この時には。
 ともかく二人はカップヌードルをあのプラスチックのフォークで食べることに決めた。

 二人はアスカの家を出た。
 その時、彼女の脳裏には『ザ・ガードマン』のテーマ音楽が何故か流れていた。
 空は青く、お日様は暖かい。
 環境的には決して似合ったBGMではないが、どうしても人目を気にしているのだから仕方あるまい。
 
 徒歩15分。
 目的地に到着。
 まずは周囲の状況を少し離れた場所から観察する。

「アスカ、どう?」

「う〜ん、たぶん大丈夫…だと、思うんだけど」

 いつもはっきりとしている彼女が言葉を濁す。
 それだけ母親たちの存在が大きく、そして怖いわけだ。
 
「じゃ、ちょっと前進するわよ」

 彼らはかなりぎくしゃくとした動きでバス停まで近づく。
 そして何事もないかのような顔をして、そのベンチに並んで座る。
 
「ね、ねぇ、もしバスが来たらどうしよう。乗らないと変に思われるんじゃないの?」

「あ、アンタ、そんなこと言われたって…」

 考えてなかった。
 だがうろたえた顔はシンジに見せるわけにはいかない。
 アスカの脳髄はくるくる回転した。
 あ、そうだ。

「お迎えに来たようにお芝居すりゃいいのよ。ママを迎えに来たようにね」

「そうか!さすが、アスカだね」

 へへんと得意げな顔は隠せない。

「でも、本当に母さんたちが帰ってきたら…」

「ああっ、もう!作戦開始!アンタにつきあってたら本当にママたちが帰ってきちゃうわよ」

「ご、ごめん」

 アスカはもう一度じろりと周囲を見渡した。
 大きな県道だから車の行き来はひっきりなしだが停車する車はなく、通行人も姿がない。
 それを確認してから、自動販売機の隣にあるタバコ屋を見据える。
 店先のガラス窓の向こうにちょこんと座っているおばあちゃんはこくりこくりと居眠りをしているように見える。
 それを見届けて、アスカは大きく深呼吸した。
 シンジの方はもう掌にびっしょりと汗をかいている。
 
「行くわよっ、馬鹿シンジっ」

「う、うんっ」

 バス停から自動販売機までほんの5m。
 その5mがとてつもなく長く感じた。
 何とか自動販売機へ辿りついた二人は思わずほっと一息。
 
「ほ、ほらっ、早くアンタも50円を!」

 いち早く50円玉を投入口に入れたアスカがシンジを急かす。
 汗で掌にへばりついた銀貨をようよう引っ剥がすと震えそうな手つきで投入口に差し入れる。
 がちゃりと機械的な音がして一瞬の間。
 するとごそんと取り出し口に、あの夢にまで見たカップヌードルが姿を現した。
 
「おおおおおっ!」

 さすがにアスカまでがシンジの叫びに唱和した。
 
「出たっ」

「やったっ!ちゃんと出てきたっ」

 いつもならここで「当たり前じゃない!」などのツッコミが入るところなのだが、
 今日はアスカも舞い上がってしまっている。

「お湯!お湯っ!」

「お、押すわよ!」

 大騒ぎである。
 もはや隠密行動も何もない。
 押さえの利かなくなった子供の声は高くそしてかしましい。
 タバコ屋のおばあさんは腫れぼったい瞼を一旦上げて、
 そしてカップヌードルの自動販売機前で声高に騒いでいる二人の子供を見据えた。
 だが、ちゃんと取り出し口を覗いている姿に鼻で笑って瞼をまた閉じる。
 どうもあの自動販売機は子供が騒がせるようだ。
 
 アスカは「お湯」のボタンを押した。
 どうなるかはまったく知らない。
 ただこのまま押せと説明書きには書かれていた。
 蓋を開けなくていいのかと不安だったが、
 馬鹿な真似をすれば作戦の全てが台無しになる。
 
 二人は息を飲んで取り出し口を覗きこんだ。
 一秒も立たずにその不安げな顔は見る見る喜色を浮かべたのである。

「わわわっ!凄い!」

「サンダーバードみたいだねっ!」

「うん!うんっ!」

 こんな風になるとは想像もしていなかったのだ。
 斜めに伸びてきた金属製のノズルがぐさっと容器の蓋に突き刺さる。
 そして、その隙間から白い湯気が微かに出てきた。

「お、お、お湯!」

「出てる!凄いっ!カッコいい!」

「うん!カッコいいよ!」

 やがて、お湯を注ぎ終え、ノズルがすっと元の位置に戻った。
 
「こ、これで終わり?」

「そ、そうじゃない?」

「じ、じゃ、歌を歌わないと!」

「そ、そうねっ。じゃ、1、2、3!」

 慌ててアスカはカウントした。
 数えながら彼女は取り出し口を開けて、カップヌードルに恐る恐る触れた。
 お湯が一杯入っているのだ。
 熱いに決まっている。
 お味噌汁だって、お湯飲みだって、お鍋だってそうだ。
 だが、カップヌードルは違った。
 ほのかに温かいだけで全然熱くはない!

「し、シンジ!凄いよ!熱くない!」

 シンジの目がかっと見開いた。
 アスカに呼応したいのだが、ちょうど「友達よ泣くんじゃない」の前奏を歌っているところ。
 彼は必死で堪えて、手にした鍋を突き出した。
 おっとそうだとアスカはカップヌードルを両手で持った。
 やはり思っていたほど熱くはない。
 この当時、発泡スチロールでできた容器にお湯を入れるということは皆無に近いのが普通だ。
 発泡スチロールは火に近づけると溶けて、凄まじい匂いと煙を上げる。
 だからこそカップヌードルの容器には毒があるとまことしやかな噂が広がったのだ。
 それが母親たちの「食べてはいけない」という論法の中心だったのである。
 アスカは目を丸くし、口も尖がらせたまま、シンジが持っているお鍋の中に移動させる。
 そうこうしている間に前奏が終わり、アスカは歌い出した。
 だが、その歌はすぐに止まる羽目となった。
 何故ならシンジが叫んだから。

「熱い!熱い!あちゃちゃちゃっ!」

「ち、ちょっと!アンタ、何したのよ!」

「だ、だって、穴が開いてるから手で塞いだら…」

 シンジは泣きそうな顔で真っ赤になった掌を差し出した。
 幸いにも火傷にまでは到っていないが、半径3cmくらいが赤みをおびている。
 ただしそれでもお鍋を落とさなかったのは彼としては評価されていい筈だ。
 
「ば、馬鹿ね。そんなことしたら火傷するに決まってんじゃない!」

「で、でも。3分間、蓋をしてってケンスケが…」

「穴はいいの!穴は!た、多分だけど……。あああああっ!」

 タバコ屋のおばあさん、また薄目を開けた。
 自動販売機の前の子供二人はまだそこにいた。
 少年は鍋を持ち、金髪の少女は何故か頭を抱えている。
 おばあさんは少し頭を捻ったが、まあいいだろうと再び瞼を閉じる。
 だが、やはりこのままだと煩いと判断したのか、目の前の小さなガラス窓をぴしゃりと閉めた。
 これでゆっくりうたたねできる。

 こちらはそれどころではなかった。
 アスカは世にも悲惨な顔で手で口を押さえている。

「ど、ど、どうしよ!歌、どこまで歌ったっけ?ち、違う!そうじゃなくて、あと何分?」

「えっ、あ!そ、そうだよ!ど、どれくらい経ったの?もう3分になった?」

「ば、馬鹿!アンタが馬鹿なことするから!」

「ご、ごめん!ど、どうしよう!」

 黄色い自動販売機の前で慌てる子供が二人。
 ただし、目撃者は現場にはおらず、通り過ぎる車がちらほらあるだけだ。
 アスカは決意した。
 こんなことをしていてもどうにもならない。

「秘密基地に行くわよ!もうだいたい3分にするしかないわ!」

「わ、わかった!」

 アスカはずんずん進んだ。
 男子たちの秘密基地へ。
 お鍋の中のカップヌードルが倒れないように気を使いながらシンジも続く。
 高田酒店の前をさりげなく通り、中の様子をさりげなく窺う。
 結果から言うとこの酒店の裏の空き地とお店は何の関係もない。
 空き地の持ち主は隣町の大きな電気屋さんである。
 支店を増やそうとこの場所を手に入れたものの、地元に量販店ができたため本店の設備投資やその他諸々のために
 こちらにまで手が回っていない現状なのだ。
 しかし子供たちにそんな事情はわからない。
 トタン塀に囲まれた中がどうなっているのか。
 それだけが彼らの興味の的だった。
 そのような時、ケンスケが空き地への入り口を発見したのだ。
 空き地は2m以上のトタン塀で視界がふさがれていたのだが、
 高田酒店側の細い路地の奥に茶色のトタン塀が大きく捲れる場所があることを偶然見つけた。
 路地を探検していた時に酒店の店員が空きケースをその捲れる部分を通って運び入れている場面を目撃したのだ。
 そして、トウジとシンジの3人で酒店の休みの日にこっそりと中に入ったのだ。
 空き地の1/3は酒瓶の木製空きケースが大人の頭の高さまで積まれている。
 残りの部分には荒ゴミが置かれ、雑草が生えていた。
 彼らが目をつけたのは積まれた箱の奥の方。
 見たところ出し入れされているのは手前の方だけだ。
 奥の方は雑草が生えていたり、雨ざらしのため箱の刻印とかもやや薄れている。
 都合のいいことにトタン塀の残りだろう、大きめのトタン板が数枚放置されている。
 こんな魅力的な状況を放置できるような子供が当時いるだろうか。
 雨や雪に負けないように、トタン板を工夫して屋根を作った。
 因みに雨や雪の日にはそこに行かなかったが。
 買い食いや秘密会議やその他諸々。
 三人だけの秘密基地に彼らは興じた。
 但し、高田酒店には完全にばれていた。
 だが、彼らも空き地を無断借用している立場なのでことは荒げたくない。
 20m向こうの空き箱置き場まで歩くのは店員たちも面倒だったのである。
 そこで子供たちには見て見ぬ振りをすることに決めている。
 もちろん爆竹や大騒ぎをするようなら追い出すつもりだったのだが。
 そういう状況だったので、この時期日本国中に星の数ほど存在した中ではかなり恵まれた彼らの秘密基地であった。
 
 アスカは血相を変えてトタン塀を捲った。
 そこからまずシンジが中に入る。
 続いてもう一度周りと見回してからアスカが秘密基地へ向った。
 日差しを遮るトタン屋根の下で二人は顔を見合した。

「ど、どうしよう。ねぇ、もう何分経った?」

「わかんないわよ、そんなの。たぶん、もう2分50秒くらいじゃないの?」

「えっ、どうしてわかるのさ」

「たぶんよ、たぶん。きっとそれくらい」

 3分経ったとは言えないところが彼女の弱い部分なのか。

「じゃ、あと10だね。数えるよ」

「ま、待って。15にして」

「わ、わかった」

「あ、待って!20!」

「で、でも、あまり待ってあんなのになったらどうするのさ」

「あんなのって何よ」

「ほら、幼稚園の時にっ。チキンラーメンの蓋をとるのを忘れてとんでもないことに」

「げっ」

 アスカの脳裏にあの悲惨な状況となった丼が甦る。
 のびきった麺がキモチワルイどころではなく、しかも母親にそれを一口食べさせられたのだ。
 忘れた罰だと。

「アンタ、ラーメンを食べる前に何てものを思い出させんのよっ!うげぇ、気持ち悪い!
 ほらっ、早く蓋を取りなさいよ!あんなの、もうヤダっ!」

「えっ、数えなくていいの?」

「いい、いいっ!早く取るのっ!」

 ぺりっ。
 シンジは蓋を剥がした。
 穴の部分から熱気は漏れているので、実際問題として3分よりも少し長くした方がよかった。
 この時、お湯が注がれてから3分20秒が経過していることは、食べ物の神様以外は知らない。

「で、できてる?」

 頭をくっつけるように中を覗き込んだ二人だったが、テレビのコマーシャルでしか中身を知らない。
 だから今の状態がどんなものだかよくわからないのだ。

「のびてはいないみたいだよ」

「馬鹿っ。だからそんなこと言わないでってば!」

 アスカは手にしたフォークでつんつんと上の部分を突付いた。
 すると盛り上がっているように見えた麺が中にふわっと沈んだ。

「わっ。できてる!…んじゃない?」

「わかんないよ」

「う、う〜ん、じゃ、シンジ」

「なに?」

「アンタに最初に食べる権利をあげるわっ。歓びなさいよっ!」

「ええっ!それって人体実験じゃないの?」

「何ですってぇっ?こいつ、生意気にっ!ほら!食べろっ!」

 アスカはフォークで麺をすくい上げ、シンジの鼻先に。
 彼は悲壮な顔をして、しかしその麺にがぶりと食いついた。
 ずずっ。
 すすり上げてもぐもぐと噛む。

「どう?まずい?」

「う〜ん、まずくはない、かな?」

「えっ、ホントっ?」

 アスカは顔を輝かせた。
 だがもう一度念を押した。
 彼女にとっては珍しく。

「身体おかしくない?毒とか入ってない?ジャミラみたいになりそうじゃない?」

 怪獣化した人間の例を持ち出すあたり、アスカも時代の申し子といえよう。
 赤白帽のひさしを上にしてウルトラセブンになったり、体操服の襟を頭のところに引っ掛けてジャミラだと変身できる世代であった。
 
「大丈夫。フォーク貸してよ」

「ダメ!」

 ずっとフォークを手にしていたアスカは、ここぞとばかりにぐさりと麺に突きたて思い切りすくい上げる。
 がぶり。
 麺にがぶりもないものだが、まるで年に何度も食べることもないステーキにかぶりつくようにアスカは麺を頬張った。

「ああっ、酷いよ!そんなに一度にぃ!」

 むしゃむしゃむしゃ。
 生まれて初めての味を口一杯で確かめてみる。
 アスカは大きく何度も頷いた。

「ぐうんぐうん、ごげばげっごぶぐぎげぐばびょ」

「ああっ、感想はいいから僕にも食べさせてよ」

 そこまで彼女も意地悪ではない。
 アスカはあっさりとフォークを手渡した。
 すかさずシンジも口一杯に頬張る。
 それを見てアスカも慌てた。
 フォークを奪いかえすと彼以上の収穫を狙うのだった。



「ふう、まあ、あれね。おいしかったわね」

「うん。さすがに夢の食べ物だよね」

「あっ、先に言わないでよ、それ」

「へへへ」

 容器の中はすっからかん。
 ネギがちらほらとスープのカスが底の方に少しだけへばりついているだけ。
 食べていた時は周りの目を気にしてトタン屋根の下だったが、満足感に溢れた今は青空の下が似つかわしい。
 そこまで考えたわけではなかったが、とにかく二人は基地の外に出て空き箱に腰掛けていた。

「こんなにおいしいのにどうして母さんは駄目って言うのかなぁ」

「さあね。知らない。どうでもいいわよ」

「でもさ、これでまた食べられなくなったんだよね。カップヌードルを」

 その時である。
 アスカの頭に素晴らしい計画が浮かんだのは。

「そうだっ。じゃあ、こうしましょうよ!食べたくなったらまたこの秘密基地で二人で食べましょよっ!ねっ!」

「あ、そうか。そうだよね」

「うんうん、名案名案!」

 理由はわからないが胸のあたりが物凄く温かくなったような気がして、アスカはとても嬉しくなった。
 
「あっ、それからね!このことは鈴原や相田には秘密にしとくのよ!」

「え、そうなの?」

「秘密基地のことはさ、私何も喋らないから。このカップヌードルの大作戦だけは二人だけの秘密にするの」

「う、うん。それならいいけど」

「じゃ、指きりっ!」

「うんっ、指きり!」

 まだまだ細く小さな指がしっかりと絡み合った。

「指きりげんまん。嘘ついたら針千本飲〜ますっ!指切ったっ!」

 アスカとシンジは笑い合った。
 微笑みあうような年齢ではない。
 思わず声も一緒に出てしまう。
 そして、二人は証拠隠滅にかかった。
 と、言っても証拠は空になった容器とフォークだけ。
 その容器は自動販売機の横にゴミ箱が置かれていたからそこに捨てる。
 フォークの方は…。

「これはアタシに任せて。ちゃんと処理してあげるから」

「うん。じゃ、それはアスカに任せたね」

「へへん。だいじょ〜ぶ、ってね」

 行儀も何もあったものではない。
 問題のフォークを口に咥えて上下にぶらぶら。
 ただしそこは小学3年生。
 そんなアスカを見ても別にシンジは行儀が悪いとは思いはしない。
 いつもの彼女、そのもので別に何の不思議もないわけだ。

 この日。
 アスカとシンジは生まれて初めてカップヌードルを食べた。
 その味は数年も経つと忘れてしまったが、
 この日のことはいつまでも覚えていた。
 掌に食い込まんばかりの、汗でギラギラしていた50円玉。
 取り出し口でカップヌードルに刺さった金属ノズル。
 空きっ放しの穴からゆらゆらと上がる白い湯気。
 丸く赤くなったシンジの掌。
 秘密基地へと続く路地。
 トタン塀の色と大きく開くその入り口。
 高く積まれていた空き箱の山。
 シンジたちの秘密基地。
 カップヌードルを頬張るアスカ。
 食べた後の指きり。
 そして、フォークを咥えているアスカの笑顔。



 

 この日の想い出は二人にとって淡く美しいものであったのだろうか。

 それが違ったのだ。
 容器はゴミ箱に、そしてフォークはアスカのポケットへ。
 二人はアスカの家に戻って、そして誰も帰ってきていないことを確認した。
 それから一生懸命に歯磨きをした。
 もちろんシンジの歯ブラシなど持ってきていないから、アスカのものを交代で何度も何度も。
 その後でコーヒーガムをくちゃくちゃ噛んで、カップヌードルの痕跡をとにかく消した。
 二人で互いに確認し合い、これなら大丈夫とひとまず安心する。
 そして、母たちが帰ってくるのをどきどきしながら待ち続けたのだ。
 
 午後3時前に玄関の扉が開いた。
 
「あれ?いつもより早いじゃない。ま、いっか。いい、シンジ?いつものようにしてんのよ」

「う、うん」

「わざわざ玄関までおかえりなんて言いに行ったら不自然だからね。このまま人生ゲーム続行よ」

「で、でもさ、僕もう貧乏農場決定だし」

「まったくもう。いつもだけどアンタは弱いわねぇ。車に乗ってる奥さんや子供が可哀相よ」

 アスカはつんつんとシンジの青い車を指で突付いた。
 
「こういうの、子沢山っていうのよね」

 シンジの車にはびっしりとピンが全ての穴に突きたてられている。
 彼はぽりぽりと頭を掻いた。

「どうしてかわかんないんだけど、子供が生まれるコマにすぐ停まっちゃうだよね」

「アンタと結婚する女って不幸ねぇ。貧乏農場行きが決まってるようなもんよ」

「はは、そうなのかなぁ」

「そう、そう!絶対にそうよ」

 その時、階段をとんとんとリズミカルに上がってくる足音が聞こえた。
 「来たわよ」とアスカが小声で囁くと同時に、惣流キョウコが開かれたままの扉から顔を覗かせた。

「まあ、仲のいいこと」

「はっ!そんなことないわよ。行くとこがないって言うから遊んでやってんのよ」

 アスカの背中が答える。
 目と目を合わすと、全てを見抜かれてしまいそうだったからだ。

「あらまあ、そうなの?でも、ちょうどよかった」

 キョウコは真向かいのシンジに微笑みかけた。
 その瞬間、つつぅっと彼の背中に冷たいものが走った。
 しかし、それは罪悪感に包まれている少年の自意識過剰だったのだが。

「シンジ君。お母さんも下にいるの。二人にお土産があるからいらっしゃい」

 その微笑をちらりと見たアスカも冷汗をどっぷりとかいたのだ。
 もちろん、こっちも彼女の自意識過剰。

 階下におそるおそると降りた二人はリビングルームに入った。
 そこに待ち受けていたのは、碇ユイの満面の笑顔と、そしてカップヌードルの山だった。
 アスカも、そしてシンジもテーブルの前で立ち尽くしてしまった。
 そんな二人の様子を嬉しさの余りと完全に誤解して、母たちは漫才のように喋りだしたのである。

「あのね、ユイと中央駅の改札を出た時なのよ。そこのお嬢さんお二人…いい?お嬢さんよ、ふふふ」

「あら私たち人妻ですのよ。小学生の子供もいますのって、すぐに言ったの」

「お茶でも一緒になんていつものかと思ったら、違うの。マイクを突き出されて、テレビカメラが回っててね」

「回ってないわ。写してたの」

「あれを回ってるっていうの。本当にもう日本人の癖に」

「それでね、お母さんたちにこれを食べて観想を言ってくださいって頼むのよ」

「そうそう。で、言ってやったの。こんな毒が入っているようなもの食べられませんって」

「私も言ってやったわよ。こんなのお金を払ってまで食べるものじゃないって」

「するとね、タダだから是非試食してくださいって言うのよ。ホント、困っちゃった」

「主婦のツボをわかってるわね。まあ、一口くらいなら大丈夫よねって」

「それが一口じゃなくて全部食べちゃったのよ、ユイったら」

「キョウコも残さず食べたでしょう。その上、マイクに向って喋り捲って」

「あなただって同じでしょう?それでね、ママたち、アスカたちがいつも食べたいって言ってたの思い出して」

「それでその場で買ってきたの。1割引きキャンペーンだって…えっと何だったっけ?」

「キャラバン!全国展開で回って宣伝してるの。ママたちもしかしたらテレビに出るかもよ!」

「あ、もう3分!砂時計が全部落ちてるわ」

「大変!ほら、早く食べなさい!お湯を入れといてあげたのよ」

「この砂時計いいでしょう?宣伝の人がくれたのよ。ちょうど3分なんですって」

「もう!何してるの?ずっと、食べたい食べたいって言ってたじゃない」

「はい、お箸。シンジも行儀よく食べるのよ」

「おかわりしたかったら言いなさい。今日は特別に許してあげるから」
 
 母親たちのマシンガントークにアスカとシンジは為す術もない。

 数分後。
 二人は精一杯の作り笑いで箸を置いた。

「ごちそうさまでした」




 

( おしまい )






Taku様

おとと様

−−−

奈々氏様
ゴジラゴン様
Adler様
EVE様
かものはし様
hAma様


 


 

<あとがき>
 
 お粗末さまでした。
 因みにあのフォークはとりあえずアスカの宝物箱に入れられました。
 月日が流れ、平成の世になって、実家に子連れで遊びに行った彼女はそのフォークを見つけます。
 その夜、仕事から帰ってきたご主人の前にはカップヌードルが置かれていたそうです。

 また、昭和短編集においてはネタを頂戴させていただいた方に巻末に献辞させていただくことにしました。
 私も忘れていることが多かったりします。

 最後に今回のカップヌードルの初代自動販売機ですが、
 お金を入れて出てくるカップヌードルが、どこに出てくるのか判然としませんでした。
 私の記憶ではお湯を入れる取り出し口に直接出てきたようなそうでないような。
 フォークはケースに縦置きで入っていた筈です。
 そこのところをはっきり覚えておられる、おじさんおばさん!そう、そこのあなたです。
 もし、覚えていらっしゃればご連絡くださいませ。

 下記キャンペーン(笑)は終了いたしました。
 あしからずご了承くださいませ。
 変更なしです(きっぱり)。<1972+34年、10/28> 

いち早く50円玉を投入口に入れたアスカがシンジを急かす。
>汗で掌にへばりついた銀貨をようよう引っ剥がすと震えそうな手つきで投入口に差し入れる。
>がちゃりと機械的な音がして一瞬の間。
>するとごそんと取り出し口に、あの夢にまで見たカップヌードルが姿を現した。

>「おおおおおっ!」

>さすがにアスカまでがシンジの叫びに唱和した。
 
 このあたりを修正いたしますので。
 お礼はありません(おい)。上記の「」にお名前が入る程度です。
 申し訳ございませんが、ご記憶のある方はよろしくお願いいたします。
 あ、初代ですよ。カップヌードルしかなくて、左側の真ん中あたりに取り出し口が集中して縦に並んでいる黄色いアレです。
 わかりづらくて申し訳ありません(汗)。

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