2015年。

セカンドインパクトから15年の歳月が流れた。

但し、この世界にはエヴァンゲリオンも存在しなければ、人類補完計画も使徒の襲来もない。

すべては南極に落下した少し大きな隕石の所為。

その天災により引き起こされた飢餓や貧困が少し収まりだした頃の話だ。

 

 

誕生パーティー

 

〜 上 〜


 

2003.12.04         ジュン

 

 

 アスカがこの部屋に来て2週間になる。

 第3新東京市の郊外にある12階建てのマンション、コンフォート17。

 彼女の保護者である葛城ミサトの部屋がその11階にある。

 そして、今日。12月4日。

 この部屋で誕生パーティーが開かれる。

 それは丁度その日が14歳の誕生日に当たる、惣流・アスカ・ラングレーのために開かれるのではなかった。

 

 仕方ないじゃない。

 ミサトには私の誕生日のこと言ってないんだしさ。

 だいたい、そんなこと言える立場じゃないじゃない。

 ミサトのお情けで住まわせてもらって、学校にも行かせてもらえるんだから。

 ま、今日は29歳のおばさんの誕生日を盛大に祝ってさしあげますか…。

 

 

 その朝、いつものようにずぼらな格好で起きてきたミサトがアスカの用意した朝食を食べていたときのことだ。

「ああっ!ビール呑みたい!」

「まだ、朝の7時24分。真っ赤な顔して会社行くつもり?」

「いいじゃない!迎酒で頭すっきりって、会社にとっても私にとってもいいんじゃない?」

「よくない。はい、コーヒー」

「アスカのいじわる…。あっ!ま、いっか」

「何がいいの?」

「今日さ、うちで誕生パーティー、やるからねン」

「誕生パーティー?!」

 アスカは思わずはっとしてしまった。

 今日は12月4日。私の誕生日だ。

 私の誕生日をミサトが調べてくれていたんだ。

 何と言っていいか、アスカが戸惑っていた時、ブラックコーヒーに顔をしかめながらミサトが言う。

「まあ29歳になって誕生パーティーもないけどね。あいつら騒ぐネタが欲しいだけなのよ」

「29歳…って」

「あ、私今度の月曜日で29なのよ。12月8日ね。月曜日じゃ馬鹿騒ぎ出来ないから、休み前の今晩にしようってわけ」

「そっか…。なるほど、ね」

 アスカは苦笑した。

 私とミサトって、誕生日が近かったんだ。知らなかった。

「じゃ、お金頂戴。準備するんでしょ」

「あら、そんなことしないでいいわよン。もう手配してるからさ、お酒も料理も」

 お酒が先なのが、ミサトらしいとアスカは微笑んでしまった。

「でも、もったいないわよ。私が作っても…」

「いいのいいの。結構人数集まるしさ。それに、ボーナス出たとこだしぃ」

「無駄遣いはダメよ」

「無駄じゃないですもんねぇ。会社一番の営業実績を上げている営業三課の美人課長のお祝いなんだから盛大にしなきゃ」

「でも…」

「ま、一流ホテルの出前ってわけじゃないから」

 この数年、祖母と慎ましやかに暮らしてきたアスカにとって、出前を頼むということ自体が贅沢に感じてしまう。

 しかし、ミサトの収入はそんなアスカにすればとんでもない高額だ。

 ちょっとしたパーティーなど別にそれほど腹は痛まないのである。

 それに、アスカは気付かなかった。

 アスカを引き取ったことにより、以前のようにミサトが飲み歩くことが出来なくなり、自然と懐の暖かい状態が続いているのだ。

 ミサトの部下たちは、気前のいい上司の飲み歩きのご相伴がなくなり少し不満らしいが。

「ま、アスカはお掃除と出前の受け取りをお願いね。どうせ始めンの8時過ぎるでしょうから」

「誰が来るの?」

「いっぱい来るわよン。私、人気者だから」

「はいはい、そうでしょうね。で、私の役はそれくらいでいいの?」

「いいわよン。何なら廊下で受付してくれてもいいけど」

「しようか?」

 アスカは真顔で言った。

 そんなにたくさんお客が来るのだったら、受付ぐらいしてもいいと思ったのだ。

 何しろ彼女は居候なのだから。

「冗談よン。お掃除してくれていたらいいから。私の部屋とか」

「あそこは御免です。パーティーの間も封印しておきますから」

「あらン、どして?」

「うちの中で遭難者を出したくないですから。はい、お弁当」

「あ、ありがとねン」

 

 アスカがここに暮らすようになってミサトは弁当持ちの身分になっていた。

 いい奥さんが出来ましたねと部下にからかわれても、それが嬉しいミサトだった。

 ミサトはセカンドインパクトで親を失っていた。

 それからは一人で暮らしてきた。親の残した資産で大学も出、商社でバリバリ働いている。

 いい加減なように見えるが、彼女も結構苦労はしているのだ。

 ただ、ミサトの時には今の法律がなかった。

 未成年者は保護者の監督なしで独居してはならないと。

 セカンドインパクトで急増した孤児に対する法律である。

 あの後数年、貧困と混乱の中治安が乱れ、孤児たちがその中心に否応なしに巻き込まれた。

 その救済と社会の安定のために、未成年者保護法が可決された。

 保護者のいない孤児はすべて施設に収容され、脱走者は厳しく処罰される。

 社会が安定してきた今の方がこの法律に反対するものが少なくなっているということは、それなりの効果があったということだろう。

 ただし、その対象となる子供たちにはたまったものではないが。

 ドイツで誕生したアスカは孤児だった。

 セカンドインパクトの折はまだ生まれていない。

 だが、アスカが7歳の時に両親が相次いでこの世を去った。

 その時、まったく面識のない極東の地から来た老婆が彼女を引き取ろうと申し出た。

 アスカの母親の叔母に当たる女性だった。

 冬の国・ドイツに住むアスカの親戚たちは厄介払いが出来るとばかりに、アスカをその老婆に押し付けたのだ。

 それから今まで、アスカは幸せだった。

 江戸っ子気質で少し言葉ががらっぱちな老婆は、アスカをその少ない収入で必死に育てた。

 アスカは老婆のことを実のお祖母さんのように愛し、愛された。

 ところがその彼女がこの夏に突然この世を去った。

 アスカに残されたのは施設で暮らすという選択肢だけだった。

 日本の場合、施設というのは完全に隔離された状態になる。

 施設の中に学校があるため、買い物でも申請して許可を受けないと外には出られない。

 そこで教育を受けるために社会人としては戦力になると重宝がられているのだが、

 そのかわりに刑務所ではないかと思うばかりの行動の制約を貴重な青春時代に受けることになる。

 アスカはそんな生活は御免だった。

 しかし、血縁者が一人もいないアスカにはどうすることもできなかった。

 その彼女を引き取ると言い出したのが、マンションの隣室に住んでいたミサトだった。

 挨拶をする程度の面識しかなかったので、アスカは不審に思った。

 これまでミサトは、隣室の祖母と孫の関係を微笑ましく見ていたわけだ。

 ところが老婆のお葬式の時に、2人の血縁がそれほど濃いわけではないことを知った。

 そして、アスカが施設へ入らざるを得ないことを知った時、勢いで一緒に暮らさないかと申し出たのだ。

 条件は家事の担当ということで。

 施設に入るくらいならこき使われる方がマシだ。

 そう考えたアスカはミサトの申し出に乗ったのだ。

 しかし、ミサトは悪人ではなかった。意地悪でもない。

 少し生活がだらしないだけだ。

 老婆にしっかりと躾けられていたアスカは、ミサトの部屋に移ったときすぐに腕まくりをした。

 まずは掃除をしないと、自分のわずかばかりの荷物も運び込めない。

 そのアスカの頑張りで、ミサトの部屋は前日とは見違えるばかりになった。

 但し、翌日にはミサトの居室はもう乱れてしまったのだが。

 

 さて、今日のパーティーである。

 アスカは感情が出やすい方である。

 ただ、喜怒哀楽の『哀』だけは隠すようにしている。

 血縁の薄い祖母への配慮からであった。

 もちろん、ミサトが相手ではなおさらだ。

 何しろまったく血縁関係ではないからだ。

 ミサトが善人だということはよくわかった。

 アスカに対して何の気兼ねもなく接してくるからだ。

 したがってアスカもそれに応えるべく、遠慮をしないように振舞った。

 2人が実の姉妹のように仲良くなるには時間はかからなかった。

 まだ2週間しか経ってないのに、口喧嘩まがいの会話を自然にしているくらいだ。

 だから、自分の誕生パーティーでないのを少し残念に思ったことは表情には出さなかった。

 それよりも、保護者であり、心の中では姉と慕いはじめているミサトのために、いいパーティーにしようと考えた。

 アスカはお金はそれほど持ってないので…お小遣いをミサトはくれるのだが、

 まさかミサトに貰ったお金で彼女へのプレゼントは買えはしない。

 そこで祖母に貰ってたわずかなお小遣いのうちから貯めていたものを使おうと考えた。

 もちろん大金は持っていないので、たいしたものは買えないだろう。

 しかし、何をプレゼントしようかと、学校にいる間アスカは楽しい気持ちで過ごしていた。

 

 放課後、アスカは忙しかった。

 ミサトへのプレゼントを買って、部屋の掃除をして、パーティーの準備。

 逸る心を抑えられず、アスカは師走の街を駆けた。

 もちろん地軸が変動しているので、常夏の師走の街を汗だくになって。

 ミサトは料理はいらないと言っていたが、やはり何か作っておきたい。

 サンドイッチとかがいいかな…?

 自分の誕生日に、他の人のための誕生パーティーの準備をする。

 それでも結構アスカは楽しんでいた。

 去年までのささやかな誕生パーティーを思い出しながら。

 小さなバースデーケーキを2人で半分づつ食べた記憶。

 そんな記憶と共に、何故か将来の夢も思い浮かべる。

 一生懸命勉強して、ミサトのように自活したい。

 そして、結婚したら自分たちの子供以外に孤児を2人引き取る。

 本当は大勢引き取りたいところだが、社会人一人に非後見者は一人と法律で決まっている。

 だから、結婚するにはそういうことに理解を示してくれる男に限る。

 容姿よりもそのことが優先事項になっている、14歳になったばかりのアスカだった。

 アスカは学校では人気があるのは事実だった。

 金髪碧眼の上に整った顔。成績優秀で運動神経もいいほうだ。

 だが、彼女には友人が少ない。

 親のいる子供ばかりのここの学校の中で珍しい孤児だから。

 自分で壁を作ってしまっていたのだ。

 それに容姿だけで付き合いたいと言ってくる男子はどうしても好きになれなかった。

 断った時に『孤児の癖に』と捨て台詞を吐いた馬鹿どもも少なからずいた所為もある。

 ともかく現在はまだ恋愛をしようとは思っていないアスカだった。

 

 午後8時。

 最初のお客様が来た。

「いらっしゃいま……せ」

 語尾がおかしくなったのは、玄関の前に立っていた女性の所為だ。

 薄暗い廊下に、白衣の女性が突っ立っている。

 金髪のショートカットなのだが、眉毛が黒い。

 その眉毛の下の目が冷たくアスカを睨んでいる。

「あの…」

「あなた、私の真似をしたわね」

「はい?」

 それっきり、その女性は黙り込んで憎憎しげにアスカを睨んでいる。

 はっきり言って、怖い。

 まだ誰もいないのだ。

「あの…どちら様…」

「問答無用。歳を考えなさい」

 わからない。いったい何者なのだろう。

 お客様(多分)に玄関先で腕組みをされて睨みつけられる展開など予想もしていなかった。

 しかし、生来の負けん気の強さからアスカもじっとその女性を睨み返す。

 緊張の糸がピンと張り詰めた瞬間、間延びのした声がエレベーターホールの方から聞こえてきた。

「せんぱ〜い、置いていかないでくださいよぉ」

 ショートカットで黒髪の可愛らしい女性が両手に荷物を持ってあたふたと駆けてきた。

「あ、こんにちは。あら、いやだ。こんばんは、ね」

 その新来の女性はにこやかに笑ってアスカに話しかけた。

「マヤ、何を愛想振ってるの。ミサトったら酷いのよ。私の真似をして金髪に染めて」

「はい?ミサトさんじゃありませんよ」

 と、軽くいなして、マヤと呼ばれた女性はアスカにウィンクした。

「わぁ、それ本物の金髪でしょ。先輩、はいこれ」

 マヤは手にしたバックからメガネケースを白衣の女性に渡す。

 度の強そうな黒ブチのメガネをかけると、険しそうな目がすっと細くなった。

「あら、ミサトじゃなかったのね。こんばんは、私、赤木リツコ」

 謝罪の言葉なしに、リツコと名乗った女性はずかずかと中に入る。

 膨れっ面をしたアスカにマヤが手を合わせる。

「ごめんなさい。あれ、間違えたから照れてるの。許してあげて」

「ショックぅ。29歳のおばさんに間違えられたなんて」

「それはそうね。でもあまりおばさんって言わないでね。先輩、ミサトさんよりひとつ年上だから」

 くすくすと笑うと、マヤは玄関に入っていった。

 どうやら2人とも勝手がわかってるようだ。

 アスカが二人を追いかけて中に入ると、リビングの真ん中でリツコが呆然と突っ立っている。

「先輩、どうしたんですか」

「家が違うわ。これはミサトの魔窟じゃない」

「わっ!綺麗に片付いてる。あなたがしてくれてるのね」

 振り返ってアスカに笑いかけるマヤ。

 そうか、この二人は前の惨状しか知らないんだ。

 そう思うとアスカもおかしくなってきた。

「あの、ミサトの部屋には入らないでくださいね。あそこはあのまま…」

 アスカの言葉を聞かずに、リツコが魔界の扉…ではなく襖を開けた。

 彼女は慌てて襖を元のように閉めると、ずれた眼鏡を整えてきっぱりと言った。

「間違いないわ。ミサトの部屋だった」

「だから開けないでって言ったのに」

 アスカは自己紹介をし、2人のお客の正体を知った。

 二人はミサトの会社の情報システム部に勤務しているのだった。

 しかも、リツコの方はその若さで部長だという。

 だがとてもそんなお偉いさんだとは見えないリツコは、

 マヤに促されて白衣を脱ぎコンタクトレンズを嵌めに洗面所に消えた。

 リツコはともかく最初の客がマヤでよかった。

 フレンドリーなマヤの存在はアスカの気を軽くし、後続の客も巧くさばく事ができたのだ。

 

 宴たけなわ。

 午後10時くらいである。

 到着した出前のご馳走はアスカの度肝を抜き、そして彼女は自分の作ったサンドイッチのお皿をそっと自分の部屋に隠したのだ。

 あまりにみすぼらし過ぎる。

 ミサトは文句も言わずに食べると思うが、アスカ自身が恥ずかしかったのだ。

 お酒と料理でパーティーは盛況だった。

 お客の数は全部で10人程度。

 ほとんどが会社の同僚や部下だ。

「アスカ、呑んでるぅ?」

「呑んでます。これをね」

 アスカはウーロン茶の入ったグラスをミサトに見せた。

「もう!こういう席なんだから、あんたも呑みなさいよ!」

「呑みません」

「ミサト、未成年者に飲ませると罪になるわよ」

「がははっ!法律が怖くて営業ができるかってっ!」

「アスカ、これ食べなさい」

 またリツコがご馳走のお皿を持ってきた。

 これで何度目だろう。

 いささか失礼な初対面の侘びのつもりだろうか。

 それとも…。

「アスカ、リツコに気に入られたみたいね。てことは気をつけたほうがいいわよン」

 小声で囁くミサトにアスカは疑問符を浮かべた。

「リツコはぁ、子猫ちゃんがだ〜い好きだかんね」

 へっへっへと笑いながら壁際のアスカから離れていくミサト。

 まだ子供とはいえ14歳。

 そういうことも少しはわかる。

 そういえば、マヤはリツコのそばを離れないし、話しかけてくる男には冷たい態度をとっている。

 へぇ…、あれが子猫ちゃんか。

 そう思って見てみると、マヤが子猫のように見えてくる。

 ふ〜ん、話には聞いてたけど、実際に見るのは初めてね。

 まあ、私は願い下げだけど。

 壁に背中を預けて、アスカはパーティーの様子を観察している。

 今日は壁の花になろうと、アスカは決めていた。

 ベージュの壁紙の前に立つ、黄色いワンピースの少女。

 パーティーの主役はミサトなのである。

 たとえ、今日がアスカの誕生日であっても。

 そんなおとなしめのアスカに、ミサトは疑問を持っていないみたいだった。

 ま、いっか。でも、これって後片付け大変そうね。

 

 

後編に続く


<あとがき>

 アスカの誕生日記念SSです。

 いくら天災とはいえ、とんでもない法律を作ったもんです。

 いやSSの都合ってやつか。

 私としては、どうせそういう法律を作るならぬくぬくと育っている連中の方を隔離したほうがいいと思うんだけどね。

 気分を害した方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。

 

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