「シンジ、好きよ」
アスカは真剣な表情で言った。
これは練習ではなく、彼女の目の前には碇シンジがいる。
愛の告白を受けた彼はきょとんとした顔でアスカを見つめ返していた。
「えっと…」
アスカは恨めしげな目で彼を睨むと、大きな溜息を吐いた。
「反応悪いわね。何とか言いなさいよ」
「あ、うん。ありがとう……って言えばいいのかな、あはは」
シンジが小さく笑い声を上げると、アスカの眉間のしわがくっきりと浮き出た。
つりあがった眉を見て、シンジが慌てて両手を合わせる。
声にならないようにしてアスカは何事かを喋った。
それで伝わったのか、シンジはうんと頷いた。
「ごめん。僕も好きだよ。アスカが。アスカがいやだって言っても将来は結婚したいって思ってるんだから」
素晴らしい愛の言葉を聞いて、アスカは赤面し舞い上がっただろうか。
いや、彼女は少し首をかしげ、そしてまあいいかという感じで小さく頷いた。
そして、息を整えると、明るい声音で喋りだした。
「ホント!嬉しい!シンジ、大好き!」
ちゅっという音が響いたが、それはキスではなく、アスカが自分の腕に唇をつけて接吻もどきの音を立てたのだ。
そして彼女はテーブルの上に置かれていたケーキの箱を冷蔵庫に閉まった。
ばたんという音が響くと、シンジはほっと肩を撫で下ろすと苦笑した。
「これでもうみんなに隠す必要ないんだよね」
「何を?」
「僕とアスカが恋人同士ってことだけど」
「どうして?今のキスの音じゃないわよ。アタシが盗聴器のことわかってて芝居してたって言えばいいでしょ。現実にそうなんだし」
アスカはにんまりと笑った。
その笑顔を見てシンジは少し考えてからにっこり笑った。
「そうだよね、僕もその方がいいかな。もう少しだけ」
「でしょ。愛し合う二人は外ではただの友達。秘密はヒカリだけが知ってるってね」
「うん。だったら、もうしばらくは僕だけのアスカってことだよね」
わわわわわっ、なんて顔して、なんてこと言うのよ、この馬鹿シンジは!
でもいいわよね、僕だけのって、アタシだってアタシだけのシンジって…どういう顔したら言えるっていうのよ、まったく!
すっかりラブラブの関係になっている二人だが、アスカはまだまだ照れが残っているのが現実だった。
それにひきかえシンジの方は恐るべき色男ぶりを発揮していた。
もっともそれはアスカと二人きりになればという条件でなおかつ、言動が無意識な場合に限定されるのだが。
少しでも欲が絡むと効果は下がってしまう。彼の欲というのは色につきる。
このように…。
「ねぇ、アスカ…。盗聴器も隠したんだから、あのさ、ゆっくりと…」
「ちょっと待って、シンジ」
色ボケセンサーが働いたアスカは色に目がくらんだシンジをソファーに座っていろと目で示すと、携帯電話を手にし短縮ボタンを素早く押す。
彼とキスをするのはまったくノープロブレムなのだが、鼻息の荒いシンジとは嫌なのだ。
アスカはロマンティックな乙女、の部分もあるにはあるのである。
シンジは素直に腰を下ろすと、アスカの動きを目で追う。
彼女は室内をうろうろしながら電話の相手と喋っていた。
「うん、アリガト。で、ヒカリ、盗聴器はあれ1個きりよね。そうそう、壊してしまいたいとこだったけどそれじゃ意味ないから冷蔵庫に監禁したわ。ぐふふ」
子供じみた笑い声を上げ、アスカはヒカリに念を押した。
預かったケーキはダブったから明日のみんなでの誕生日パーティーに食べることにしたという電話をヒカリがアスカから受けたということ。
もうひとつの誕生日ケーキはシンジが自分で買ってきたということにしておく、という設定を聞いてヒカリは不平をもらしたが、アスカは頑として受け付けない。
「いいの、いいの。それの方がリアリティあるから。アタシが作っているなんてあいつらに想像もできないでしょうしね。ああ、明日はヒカリだけ早く来てよね。うん、巧く言い訳して。そうし
ないとご馳走の山をアタシが、ああっと、アタシとシンジが作ったとか、シンジに作らせたとか、そういうことになっちゃうでしょ。ヒカリに脅迫されて二人で作ったっていうほうがそれっぽい
じゃない?」
脅迫という単語を聞いてヒカリが文句を言うと、アスカは謝りながらリビングからベランダに出た。
実に自然な動きでシンジも怪しむまいとちらりと中を確認したが、予想どおり彼はのほほんとした表情でソファーに深く腰をうずめている。
アスカは小さくよしっと頷き、ヒカリに一番重要なお願いをするのだった。
「それから、ヒカリお願い!さっきの盗聴した音、どうせあいつらのことだから録音してるでしょ。それ、何とか手に入れて。うん、そう、オリジナルは消してしまって」
そんなの無理よできっこないと主張する電話の向こうにアスカは懇願する。
「だって、好きってシンジが言ってんのよ。そりゃあ毎日毎日耳にしてるけど、さすがのアタシだって愛の言葉を録音するなんて悪趣味ないわよ」
悪趣味だと思うのならいらないじゃないという反論にはアスカはまったくぐらつきもせずに自己主張を続ける。
「だぁって、自分で録音したんじゃないもん。アタシは盗聴された被害者なのよ、被害者。そりゃあ、被害者の当然の要求って思わない。それにこれって犯罪よ。アタシがおそれながらって訴え
たらあんたの旦那、手が後ろに回っちゃうわよ。そうなってもいいの?愛する旦那が逮捕されちゃうのよ。旦那のことを考えるのなら、ヒカリにはできる!」
勘弁してよぉと泣きが入るが、アスカは追及の手を緩めない。
今度は飴を用意した。
「あ、そうだ。夏休みにさ。別荘行かない?うん、ネルフ関連のでさ、いいとこあるの。違うわよ、あたしたちふたりじゃなくて、ほら、ダブルデートってやつよ。レイは文芸部の合宿で、メガ
ネは撮影旅行に行くって言ってた時期があったじゃない。アタシ、断然その日程で別荘押さえるから。温泉も近くにあるし、プライベートビーチもあるのよ。どぉ〜お?素敵だと思わない?」
でも…とまだ首の皮一枚で良識を残す親友にアスカは最後の一撃を食らわせた。
「別荘番とかいないから、その時はアタシたち4人だけよ。だから部屋割りだって好きにできるんだから。ま、アタシはヒカリとでも、シンジとでもかまわないけどさ」
無言となってしまった電話の相手をアスカは承諾と決めつけた。
日本古来の風習として、沈黙は承諾として受け取られるのだ。
レイのみならず、使徒戦以降はアスカもまた大学で学んでいたものとはまったく違う分野に趣味を広げていたのである。
従って、アスカの知識や語彙もさらに増えていた。
「ということで、ヒカリお願いね。大丈夫、ヒカリならできるってば。じゃ、また明日ね」
有無を言わさず電話を切ったアスカだが、数秒待って折り返しの抗議電話が入らないことを確認し、にんまりと笑みを漏らした。
それからリビングに戻ると、ソファーのシンジは待ちくたびれたかのように頬を膨らませていた。
「終わった?」
「うん。夏休みにさ、4人で別荘行かないかって話した。行くよね、シンジ」
「4人?」
6人のはずだがと首をひねったシンジだったが、日程上部活動をしているレイとケンスケは無理なのだと説明すると素直に納得する。
もちろんその時期をねらってのことなのだが彼には疑問をはさむ余裕がなかった。
それはそうだろう。
その4人とは、自分、アスカ、トウジ、ヒカリなのだ。そして、それぞれ男女のカップルができており、しかも熱々の恋人同士なのである。
となればトウジにも秘密を話すのかと一瞬難色を示したシンジだったが、アスカにメリットの方を主張されると別にどうでもいいと思うようになった。
恋人たち以外の邪魔者がいない中、真夏の夜を過ごすことができるのだ。
そのような甘い餌を目の前にぶら下げられれば、性に目覚めた思春期の少年に冷静な判断ができるわけがない。
もしかするとナニをナニできるかもしれない。
散々お預けを食らっているナニの可能性をちらつかされては鼻息が荒くなるだけであった。
「ま、レイがかわいそうだから、家族旅行くらい計画しなさいよ。息子からそういう打診されたらあんたのパパ、涙を流して手を打つわよ」
「泣く?父さんが?まさか?」
晴れやかに笑うシンジにアスカはわかってないなぁとばかりにおでこをつつく。
「サングラスで涙が見えないのよ。その間はアタシはお邪魔虫にならないようにドイツに帰ってるからさ」
あ…と、シンジは真顔になり、そして微笑んだ。
「じゃ、空港への送り迎えは僕が絶対にするからね。あ、お土産も準備するから持って行ってね」
「ふ〜ん、それはドイツのお土産を忘れるなって謎なのかしらぁ?」
「違うよ。そうじゃなくて…」
からかわれていると思わずにシンジが言い訳しようとすると、彼の唇は柔らかいもので塞がれた。
その感触は毎日幾度も味わうものだが、何回経験しようが恋人とのキスは心も身体も浮立つものだ。
最初の頃はぎこちない二人だったが、バードキス中心の現在はすっかり熟練したカップルであろう。
もっともその先に進もうと暴走しがちなシンジに対しアスカは厳しく彼を戒めている。
ヒカリには同居の条件がそれなんだから仕方ないじゃないと愚痴をこぼしているが、条件を承知で手を動かせてしまうシンジは本能に弱いのかそれとも親を甘く見ているのか。
その意味ではアスカの方が親という存在を見くびっていなかった。
だいたいシンジの箍が外れたらあっという間に妊娠までに至るであろうというのは簡単に想像できた。
自分だって快感で我を忘れてしまい、二人揃って歯止めが利かなくなるに違いない。
そういう意味ではヒカリとトウジのカップルの方がしっかりしていそうだ。
それなのに、別荘計画を立てるところが揺れ動く乙女心というものである。
ぴしゃりと拒否しているものの、シンジがもう一歩強引に進めばすべてを許してしまうかもしれないとアスカはいつも思っていた。
ぴしゃっ。
「痛っ」
「調子に乗って胸触るんじゃないわよ。このエロシンジ」
「ご、ごめん。つい」
「ついぃ?」
「だって、誕生日だし。僕の」
「はぁ?」
アスカは立ち上がって背中を向ける。
「誕生日のプレゼントでアタシの身体を差し出せですってぇ。何考えてんのよ、まったく」
何ってナニなんだろうなぁとアスカは思いながら肩越しにシンジの様子を伺う。
がっくりうなだれているシンジは相変わらずの反省モードだった。
彼女は肩の力を抜き、攻撃を受けても反抗しないことを身体で表現した。
ほら、来なさいよ、馬鹿シンジ。後ろから抱きしめたら、アタシ抵抗しないわよ。アタシ、誕生日プレゼントになってあげるから!
ソファーからシンジが立ち上がる気配がした。
アスカは深呼吸をし、その時を待った。
3秒、5秒、10秒…。
「へへ、やっぱりアスカのつくったポテトは美味しいね」
張りつめていた緊張の糸が切れたアスカはがくりと膝から力が抜けてしまいそうになったがすんでのところで踏みとどまり、苦笑しながら振り返る。
狼から羊に戻ったシンジはテーブルの上に置かれたご馳走をつまみ食いしていたのだ。
彼としては空気を和らげようと考えたのだろう。
それはそれで成長したのではないかと、アスカは結果を残念に思いながらも嬉しくなってしまった。
二人の時間、未来はまだまだ長いのだ。
「あったり前じゃない。アタシは料理の天才なんだからねっ。ポテトも煮込みハンバーグも一級品よ」
「でもさ、最初に食べたあのポテトは…」
「いつまで覚えてんのよ、しつこいわねぇ。プレゼントした弓で首をぎゅっとしめてあげようかしら」
そんなことを言いながら冷蔵庫から飲み物を出そうと彼の傍らを通り過ぎるとき、アスカはちゅっとシンジの唇を奪った。
今度のキスは、ポテトにまぶした塩の味がした。
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