『年が明けた途端に
春春というのは何故』

 



水仙が咲き始めるともう春だね。
誰もがそういうのだが僕は冬も春も迎えるのは初めてだ。 
だから、どこから春なのかよくわからない。 だって周囲は真冬もいいところだよ。
でも、アスカに言わせると冬って言うのはもっと厳しくて暗くて辛いものだって。


「あたしんちは一番寒い田舎だから。マイナス15度くらい簡単にいくの。
玄関も2重扉になっていてね。外の玄関に皮のブーツを 置き忘れたりしたら
カチンカチンに凍っちゃうんだから。」 

「へえ、なんか怖いね。」 

「そんな日に鉄製品を外で素手で触ったりしたらはがれなくなっちゃうのよ。」

「それに比べたら日本の冬なんてたいした事ないような気がする。」 

「日本人はそういう冬に慣れてないだけよ。ドイツにいる人達はちゃんとやってたわ。」

「ミサトさんや加持さん?」 

「まぁね。ミサトが呑み助になったのはドイツの冬を送ったせいかも。」 


思わず笑ってしまう。 
そうやって暮らしていくうちに雪は融けていき、小さな花々や梅の花なんかが開いた。
でもまだ見かける花というと、水仙、沈丁花、蝋梅、梅、馬酔木、連翹(レンギョウ)、山茱萸(サンシュユ)くらい。
それでもメジロとかウグイスとかシジュウカラとか、冬の間見かけなかった小鳥たちを見かけるようになった。 
学校帰りの大きな木の下には、冬の間中小鳥の糞とか木の実の滓が一杯落ちていた。 
この木の実を食べたり、ここをねぐらにしていた小鳥たちが結構いたんだと思うけど、雪がなくなると 同時にその痕跡が次第になくなっていった。 
そんなある日、僕はまたあのお寺を訪ねた。その日は一人だけで。 


いつもの茶屋は既に緋毛氈を敷いた台を日当たりのよい事務所の隣の池端に出していた。 
茶釜が高いところに置かれ、その向こうでは蒸し饅頭が湯気を上げていた。 
僕は坂の途中にある花屋で買った質素な花束を水桶と柄杓、箒と線香を持って慎重に歩く。 
日陰ではまだ薄く氷や残雪が残っているときがあるからだ。 
何回もここには来ている。だが、中々お参りをする機会はなかった。 
アスカと一緒だったからというのは理由にならない。別々に行動する日だってある。 
むしろ、今日こそは行こうと思っている日にアスカの周りをうろついて「一緒に帰ろうか?」
と言わせているのは僕の方だった。 
そう。僕は迷っていた。来なければいけない場所ではあったが来たくなかったのだ。 
今日こそは、と思いながら今日もアスカと来ればよかったと、まだ思っている。 
だが、もう花を買ってしまったし、線香も用意した。逃れるいいわけはない。 
目を瞑って、まっすぐに石畳を進んだ。 
そこにある墓の前に立ち、古い花の滓と燃え残りの線香をさっさと取り除き墓を磨いた。
花束を2つに割って活けた。 
水を足し、線香に火をつけた。これでおしまいだ。義務は果たした。 
僕は振り向くと、さっさと石畳をもと来た方に戻りはじめた。 


「待ちなさい。」


うわぁっ、何でこんなとこに。女の子たちとパフェ食べにいったんじゃなかったのっ。 


「やっぱ、シンジじゃん。あんた都心に買い物に行ったんじゃなかったの。」 

「もう、行ってきたんだ。」 


アスカは立ち上がってこっちにやってきた。年明けに急遽決まった制服だから縛りがあまりない。 
規定はイエローのセーターと淡いブルーのカッターシャツ。
僕らはグレーのズボンで、女の子は濃いエンジのスカートだ。 
色は大体そうであればいい、ということになっているのでクリームからカドミウムイエローまで色々ある。
アスカは丁度今盛りの水仙のような上品な黄色のセーターを選んでいる。
といっても僕も彼女が買ってきたのを 着せられてるのでおそろいなんだけどね。
アスカは妙に着るものに煩い。 
自分だけじゃなくて、僕が着るものまでおせっかいを焼く。

僕なんかその辺のスーパーで売ってるセーターで済ませたほうが気楽なのに、素材と品質で上品さが違う、公的な服はできるだけいいものを着るのが当たり前だ、なんて言うんだ。
特にあんたは行動を共にする事が多いんだから変な服は許さない。
これは無駄遣いじゃないんだからなんて。
コートは学生としての常識レベルなら何でもいいので、逆にもっと煩かった。
そのアスカが僕の前にのしっと立ちふさがった。


「な、なんだよ。」 

「気に入らないわね。」

「な、なんでだよ。」

「シンジ、あなた私に嘘ついてるでしょう。」


いきなり決め付けられた。


「う、嘘なんかつくもんか。」

「そう。」


アスカはもう一歩近づいた。そしてもう一歩。待って、待てよ。
そして、もう半歩。僕とアスカの顔はぎりぎりまで近づいて、もうほんとにもう少しで。


「白状したら、シンジくん。」


アスカの息の匂いが僕の顔にかかった。ぼ、僕は昼飯のあとで歯を磨いたっけ。
そんなことじゃなくて、まっすぐにこんな近くでアスカに見つめられるなんて初めてだったからっ。


「何も白状することなんかないってばっ。」


僕は目を瞑って横に顔をそむけて叫んだが、アスカの冷たい手が僕の両頬をしっかりつかんで、
正面に向かせなおした。く、首がぁ。


「こらっ、目をそむけないっ。」


誰も逆らえるもんか。



年が明けた途端に春春というのは何故 −了−


挿絵:六条一馬

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