『アスカと僕のプール』
学校にはプールがある。25mの屋内プールと50mの屋外プール。
夏休みは日割りで学年ごとのプール開放がある。
その何日かは学期内の単位に認定されて、2学期3学期の体育のコマ数を減らすことが出来る。
つまりその分を受験勉強補講とかテスト休みに当てようというわけだ。
3学期はマラソンくらいしかやる競技がない。
夏のプールと真冬のマラソン。どちらの方を君だったら選ぶ?と聞かれれば言うまでもないだろう。
ということで、夏のはじめ頃は僕らはせっせと学校のプールに通った。
うちは女の子が男子の半数しかいないので、女子は大抵屋内プールを使っている。
日焼けしないって殆どの女子には喜ばれているけど、中には太陽の下のほうが好きっていう子もいる。
アスカを初めとする、40人学級女子12人のうち、4−5人くらいいる体育会系のお日様娘達。
「高校生くらいで、肌が焼けるからUVクリーム塗って屋内でしか泳がないなんてナンセンス!」
「若者の肌は太陽を求めてるっ!」
「健康な精神は健康な肉体にヤドルッ!陰険ないじめなんかするのは根性が腐ってんのよっ!」
鼻息も荒くシュプレヒコール。そんな訳で今週は男女混合水泳教室だった。男子は当然のことながら全員参加。
女子は休みたい子も多かったと思うんだけど、女子の体育教官はサボりは絶対許さない佐々木えっちゃんだ。
「月に2回も生理があるなんて子はめったにいませんっ!」
で、ほんとにその子は2回あって困ってる子だったわけで。
先生のいじめだって言われて油を絞られて平謝りなんて事もあった。
まぁでも大体において佐々木先生は人気者で、あいかわらず女の子でもずるや卑怯は容赦なくごっつん。
逆にそこがいいなんていうファンもいるんだから世の中わからない。
確かにさっぱりしてるし、男子相手にガハハなんて笑ってる屈託の無さは気持ちがいい。
混合水泳教室もえっちゃんの企画だった。
女子の200m個人メドレーとかリレーも行われ、男子の熱狂ぶりったらなかった。
女子専門の体育大を出た彼女は、健全な男子生徒の性的欲求について認識が甘かったのかもしれない。
男子がいないなら泳ぐのもいいけど、あれじゃあ見世物よね、という意見ももっともだと思う騒ぎ。
アスカみたいに、あんまりひどいと男子のほっぺたを張り飛ばせるような子ばかりではない。
バストやヒップや太腿を指差しての喚声や指笛はいくらなんでもやりすぎだ。
特にアスカに対してのそういう行為には僕も切れそうになる。
ま、僕よりアスカ自身のほうが早くプッツン来るけどね。
でも中には胸や脚を隠して、しゃがみこんで泣き出しちゃう子だっている。
あまりひどい何人かはプールから追い出された。
教室から望遠レンズで撮影してる奴なんてもう言語道断だ。
同じ男として情けない。とは言ってもそれもわかるんだけどね。
大抵の男子は女の子と共学でありながらめったに女子と仲良しになるチャンスなんかないわけだし。
それを知ってか知らずか、女子の中にはわざとチラチラさせる性質(タチ)の悪い子もいる。
(素晴らしいじゃないか)
ああ、悩みは尽きない、高校2年。16と17の夏。
「全くあいつらったら、女子をモノかなんかだと思ってるんじゃないかしらね。
只でさえ日本は変なところで男に甘すぎるってのに。」
プンスカしてるのはアスカ。大騒ぎしてるのが、中学時代のクラスメートだったりするからなおさらだ。
只でさえアスカは目立つから、どこへ行っても好奇と視姦に近いような目線が無くなる事がない。
その視線が自分の腰や胸にまとわり付いてると思うと、相当気持ち悪くなるらしい。
学校プールが終わった後は、僕がどんなに誘っても海も市民プールも頑として行こうとしない。
考えたら中学校のころは組織の基地のプールで泳いでたんだよね。
「嫌よ。男の視線がまとわり付く気持ちがシンジにはわからないでしょうけど。」
確かにアスカは目立つのは好きだけど、好奇の目に晒されるのは物凄く嫌がる。プライドが高いから。
「何であいつらの為に水着になってやんなきゃいけないわけ?冗談じゃないわよ!」
でも、強烈な太陽に37度を越えたある日、ついに突然電力が落ち、都市全体が停電に陥った。
クーラーに頼り切っていたアスカは、真っ赤な顔をしてすでに汗だくになっている。
何かまるで動物園でグロッキー状態の白熊みたい。
「シンジッ!すぐにホームセンターへ行って、プール買って来なさい。一番でかい奴。」
「ぼくが行くのおっ?」
「あったり前でしょ。言うこと聞かないとブツわよッ!」
ホームセンターの店員さんに軽トラックで運んでもらったプール。
直径3m70cm、深さ53cm。水を張っても暫くは壁は倒れたまま寝てる。10cmを越えると次第に内側から壁を圧迫し、壁は立ち上がり始める。30cmくらいで安定する。
後は目一杯水を貯めるだけ。一階の居間の前の芝生の上に、大きな水溜りのように丸いプールが出来上がる。
水張りには結局2時間ちょっとかかった。
それが反射する光が覗き込むアスカの顔に映えてゆらゆらと光の波となって揺れている。
ひまわりとタチアオイの植わっている辺りは、時間によっては巧く木立の影がかかって具合がいい。
「凄く冷たい。」
びっくりしたようにアスカが言う。そりゃあそうだよ、水の総量が違う。お風呂だって15分もあれば貯まるもの。
お風呂8杯分強だよ。風呂には目一杯は水を貯めないからね。きみは居間から直接降りてきて、脚をその中につける。
「ああ、涼しいわー。シンジ、泳いでいい?」
「いいよ。だってそのために買ったんじゃないの。」
「そうよね。でも、本当にこんな立派にプールが出来るなんて思わなかった。」
そう言って、ざぶざぶとプールの中を回り始めた。アスカに従って、水が回る。次第に早く、洗濯機みたいに。
立ち止まると、川のせせらぎの様に脚は小さく水を波立たせ、流れていく。
「着替えてくる。」
そう言って、アスカは僕の脇をすり抜けて、濡れた脚のまま居間に飛び込んでいく。
「シンジって、魔法使いみたいね。ありがと。」
「えっ?」
振り返ると、金色の髪が波打って部屋の奥に消えていくところだった。
君こそ――と僕は思う。そこには清潔で清々しい水の香りとリンスの匂いが一緒になって漂っていて。
僕は、自分の部屋の奥から去年のスイカの浮き袋とか、ゴーグルとか簡易シュノーケルなんかを持ち出してきて洗う。
その芝生に胡坐をかき、浮き袋を膨らまし始める。半分膨らんでいるのは、冬にアスカが持ち出して使おうとした跡。
お風呂に持っていこうとして途中であきらめたんだよね。半年前のアスカの息の中に僕は自分の息を吹き込んでいく。
すぐにスイカはパンパンに丸くなった。
女の子の歓声。ピンクとグレーのワンピース型の水着。まだ今年の分は買いに行ってないよね。
膝まで水に浸かって、心臓の辺りに水をかけてすうっと水の中で底を蹴る。
まるで水棲動物のように丸く優雅な線を描いてプールの円周に沿ってアスカは水の底を素早く流れた。
「シンジィッ、スイカッ!」
急浮上した彼女に投げた浮き袋はふんわりと放物線を描いて腕の中に着地。
考えたら、アスカとスイカって似てるよね?似てないかな。
「ねえっ、後で水着買いに行こうね。この夏はここでずっと泳ぐことにする。」
「うちで泳ぐなら新しい水着なんか要らないでしょう?」
「馬ー鹿。うちには一番じいっと私を眺める奴がいるでしょっ。」
そ、そんな。僕はアスカを嫌らしい目でなんか見て・・・否定できないかも。
「その子の為に、要るのよっ!」
その新しい水着っていうのは、と、とっても、結構、なんて言えばいいのか。
元気、そう元気な水着でッ。
欧米の人たちの大好きな日光浴に適した水着だったわけで。しかも3着も買ったんだ。
真っ黒なビキニ、慣れるまで、僕はとっても水着になんか着替えられないような過激な奴。
まっ赤で正面はワンピース型で、背中の方はウエスト近くまで大きく開いた奴と。
でも、僕が一番感じちゃったのは結局清楚な白いワンピース。(でもハイレッグだ)
どうして男の脳って勝手に妄想しちゃうんだろう。
その下にあるアスカの肢体を一番生々しく感じてしまうんだ。
僕は、駄目な男だ、と思った。勝手にすぐ反応するあそこを殴りつけたい時だってあった。
こ…これを僕のために着るって?ア、アスカなんて何考えてんだか僕にはさっぱりだ。
結局、夏の間プールの脇には、2台のリクライニングチェア、麦藁帽子と浮き輪とか。
テーブル付きの2つのビーチパラソルとか、サングラスとか、UVクリームとか。
大きなタオルとか、プラスチックビーズの枕とか文庫本とかいろんなものが転がってた。
毎日塩素錠剤を一粒入れて、3日ごとに水を流してデッキブラシで洗ってまた水を張って。
水を張る待ち時間に、ビニールのデッキチェアをプールにいれ、黒のビキニで足を高く組むきみ。
パラソルを挿して、君はまるで僕を挑発するように色々なポーズをとる。
僕の表情を伺おうとするから、僕はすぐ後ろを向くしかない。
そうすると面白くないのか、やたらと用事を言いつける。
アルコール抜きのフルーツどっさりのカクテル造って来いとか、パラソルの位置を直せとか。
何が何でも僕の目にアスカのビキニ姿が入るようにしてるんだ。絶対。
水を流すと庭は洪水になる。脱ぎ散らしたTシャツや蛸焼きの船とかまでが流れていく。
それがまたアスカにはお気に入りで、流れていくいろいろなものを追いかけていく。
水を流すときだけは君は手伝ってくれる。まるではしゃぎまわる幼稚園生みたいになって。
夕立。出しっぱなしのプールの水面も激しく波立ち、強い風はプールの外へと波を打ち出す。
激しい雨が水面を叩き、粟だって底が見えない。
大きな雷が一瞬世界をモノクロに換え、窓の内側にいる僕らをガラス窓に写し出す。
世界をつんざくその大音響は沈黙の後にやってくる。
僕とアスカは1つの大きな綿の毛布に包まって、そんな世界を眺めている。
アスカの胸で僕の手は指を一本握られている。どうしても冷えた体が僕にくっつく。
稲妻や落雷がそんなに怖いならもっと奥の部屋に行けばいいのに。
そう言っても、アスカは首を振るだけだ。
「そんなことしたら、せっかく番犬がいるのにセキュリティー付けるみたいなもんじゃない。」
そんな風に訳のわからないことを言う。
まぁ、僕もそれがちっとも嫌じゃないんだけど。
庭の塀に沿ったぐるりは背の高い木が塀を見せないような配置で植えられている。
まるで森の中にいるようだ。
森の開けた一角、3.7mの泉のほとりに、僕とアスカは棲んでいる。
日が昇り日が沈み、月。その銀の光もまたプールが吸い込む。
その夜の中、月光が差し込む水の中に二人で沈んで両手をつないでいたこともある。
濡れたきみの肉体。黒を背景にして輝く波打つ長い髪。
冷たい夜の風が吹きそしてまた朝が来る。
庭に面した部屋に大きなマットとシーツを一杯に敷く。
毎日同じように目を覚まし、シーツを巻いたまま挨拶を交わす朝。
その太陽と月の光を吸い込んだ水の中をアスカも僕も毎日泳ぐ。
緑に反射した太陽の光の中。輝くような純白の雲と真っ青な空の下。
午前の爽やかな涼しい空気の中、セミの声が降る夕焼けの中。
余りどこにも出かけないまま、この区切られた世界が僕とアスカの世界。
誰もいない、誰も訪れてこない、静かな僕らの領地。
僕らはそうやって、二人だけの夏を十分に楽しんだ。
その年の夏。
アスカと僕のプール −了−
挿絵:六条一馬
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