『そうして僕らは
もう一度元に戻ってきた』



9月の後半秋分の日に、僕らはあの日から初めて、2人で揃って墓参りに行った。
ちゃんとした墓参りに来るのなんて、初めてだった。
渋る僕を、結局アスカが押し切った。
なんか普通逆なんじゃないかなんて思ったけど(僕の親なんだし)この件について妙に強引だった。
いや…強引というだけなら別にいつでも殆ど僕の意見が通るなんてことはないんだけど。
言い換えれば、彼女は優しかったと言えるのかもしれない。

朝、起きてくるとアスカはお弁当を作っていた。


「あれ?今日は何かあったっけ。」

「ねえシンジ、今日は凄くいい天気だから、アスカ山にハイキングに行きましょうよ。」


自分と同じ名前だからって言って、アスカはアスカ山を妙に気に入っている。
アスカ山は市の緑化整備計画に入っている。
だから樹林の下枝払いや下草刈りがこまめに行われていて、植木屋さんや緑化業者も入っている。
芝生の公園や、自然の沢をそのまま生かしたハイキングコースとか、軽い散策コースもある。
それにこのアスカ山(正式には飛鳥山というんだけど)は桜の名所なんだ。
春先には全山が桜で埋め尽くされる。
そういう意味では市内でもっとも有名な場所なんだけど、それ以外の時期は閑散としている。
市の中心から大分離れているし、交通の便も決してよくないからだ。
だけど、僕らの家からは近い。だって、例の御茶屋さんのあるお寺の山のことなんだ。
ふもとにはあのお寺と神社があって、その上が飛鳥山になっているというわけ。
だから僕も気楽に同意したんだ。アスカのハイキング好きは知っていたからね。


「ハイキング好きはヨーロッパ系の癖みたいなもんね。日本でもきのこ狩りとか行くでしょ。」

「ああ、よくテレビでやっているよね。」

「聞いたらさ、この山も結構きのこは一杯生えてるんですって。
ただ取ったきのこは必ず市の植物観察室で食べれるかどうかチェックすること、なんだってさ。」

「まぁ、この近辺で食用きのこかそうでないかなんて見分けられないだろうしね。」

「そういうこと。」


昼食が終わった後、アスカと僕は森に分け入ってきのこを探しながら山を下っていった。
こっちこっち、なんて呼ばれながら僕はアスカの後を付いて歩き、結構な量のキノコを取った。
藪をかき分けると、いきなり前が開けた。
なんだ、ここはいつものお寺じゃないか。


「あら、偶然ね。」

「あらじゃないよ、ここはしかもうちのお墓じゃないの!」

「不思議不思議。こんな所にこれはなんでしょう。」

「お香じゃないか。そんなものどこで買ってきたのっ。」

「デ、デパートのアニバーサリーショップよ、わ悪いっ?」

最初は得意満面で取り出したアスカは、僕の表情に焦りながら、またナップサックに手を入れた。


「こっ、これはきれいでしょ。」

「バラ、カーネーション、ひまわり、きんぽうげ、スイートピー、ガーベラ…
なんで造花なの、よくできてるけど。」

「と、時々ここに来てたんだけど、いっつもお花が枯れちゃってて寂しかったし、汚いから。」

「アスカ、もしかして君、お墓参りって行った事ないの?」

「あっ、あるわよ2−3回。小さい頃に。」

「それって、お葬式した頃じゃない?」

「う、うん…」

「そっか。アスカはずっと幼年学校の寮にいたんだものね。」


僕は、アスカの持ってきたものを受け取ると、花活けに挿した。
一杯飾ってみると、その花束は中々立派に見えた。
それにとても華やかで、物(というか常識)にこだわらず合理主義者の父さん。
機能的だから結構喜ぶかもしれないと思った。
箱に入った円錐型のお香に次々と火をともし、10個ほど香台に転がした。
インド風の香りが漂った。
これも花に似合ってたし、変わり者の父さんを好きだった母さんだってきっと変人だったろう。
気にしないに違いないと思った。


「ね、ねえっ。私何か、致命的な間違いをしたんじゃ…」

「大丈夫。日本の神様や仏様は極々大らかだから。細かいことは気にしないよ。」


そうそう。祈る気持ちが大切なんだ。苦笑しつつも喜んでいる2人の顔が浮かんだ。
アスカは、皆にお墓参りの習慣を聞いたに違いなかった。
それで行こうとしない僕の拘りを解そうとしてこんなことを企画したに違いない。
それはありがたいことだ。
僕も、いつかアスカを彼女のお母さんのお墓に連れて行かなくちゃならない。

その日は、僕もアスカと同じくらい熱心に拝んだ。



「ねえ、アスカは父さんや母さんに何をそんなに熱心に祈っているの。」

「うーん、まあ日常生活かな。学級日誌みたいなものよ。
何、気になるの?人のお祈りの内容なんて。」

「いや、決して無理にとは。」

「○月X日。今日はシンジとお風呂に一緒に入りました。
シンジは凄く嫌がりましたが、無理やり一緒に。
声をかけると真っ赤な顔して振り返り、私がタオルの下に水着を着ているのに気づくと、
怒ったような顔をして後ろを向いてしまいました。変なの。

「X月○日、誰もいないと思って手をつないで帰ろうとすると、養護と担任が一緒に歩いて来ました。
シンジッたら急いで手を離そうと振ったので、私は意地になって手を離しませんでした。
顔を見合わせてくすくす笑い、自分たちもつないだ手を私に見せて、しーっというポーズをしたの。
あたしはウインクをして同意しました。シンジはちょっと青い顔をして緊張してました。」

「も、もういいってば。何だよ恥ずかしい。僕とアスカの話ばっかりじゃないか。」

「だって、業務日誌ですもの。」

「業務?」

「あなたを一人前にするって、わたし最初のときにご両親に誓ったんだもん。」

「ああ、そうだけど。それって報告義務があるわけ?随分堅いんだね。」

「そりゃあ、応援も必要だし。」

「応援て?」

「あなたは手がかかるからッ。天国から助けて欲しいじゃない。」

「母さんはともかく、父さんは天国にいるのかなあ。多分いないんじゃあ。」

「罪深き魂ほど救われるという話は多いわね。ま、私はあなたさえ。」


アスカは慌てて口を閉じたけど。なんか不思議なお彼岸だった。
その日は、もちろんオハギを食べて帰った。
中からご飯が出てきたので、凄く驚いていたけど、味はとても気に入ったみたい。
その後、アスカは御茶屋のお姉さんと、お墓参りについて長いこと話し込んでいた。
僕は、長いこと拘っていた。結局2人は僕を捨てていってしまったわけだからね。
最初は母さんは事故で死んだのだと思っていた。
けれど結局科学者としてなのか、形而上学的な疑問だったのか。
母さんも僕を捨てた事に変わりはない。
父さんは、僕を捨ててまでその母さんを追った。その二人を赦そう。
初めて、そう思ったんだ。

いつの間にか、うちの水盤には白百合とかリンドウとか白菊。
こぼれる程の萩とかが飾られていた。
アスカはいつでも前に進み続けている。




二学期。僕らの学校では後期とも呼ぶ10月がやって来た。
旧世紀に比べて一ヶ月ほど季節が早いと先生は嘆く。
でも、若い先生たちはそんなに違和感は無いという。
旧暦はもう感覚的に誰にもぴんとこなくなっていたはず。

昔の資料なんかを読むと、太陽暦に明治維新以降変わった時の記録として、
正月が生ぬるくていけねえや。正月はもっとピリッと締まらなきゃよ。
なんて話が載ってる。
そうすると、寒さが早くなったということは太陰暦の感覚に近くなったということなのかも。

10月には紅葉が盛りとなるのは前に書いた通りだけど、夏も8月半ばになると外では泳がなくなる。
夏休みというなら、7月早々にはじめなきゃ。でも8月半ばから授業っていうのもなあ。
今年はアスカと2人、湯沸かし器の蛇口にホースをつないでプールに貯めた。
熱めにしてお風呂みたいにして、夜中にも泳いだりした。
かなり熱くして、本当に温泉気分に浸ったこともあったんだよ。
アスカに乗せられて、裸になって入ったこともあった。
そこにアスカがお銚子にカルピスを作って来てくれたりして。あれは面白かったな。

さまざまな、大人から見たらくだらない思い出が僕らの身体にしみこんでいく。
僕たちがずっと、本当にもしかしてだけれど、一緒にいたとすれば。
こういう夏や秋や、冬や春の思い出をきっと懐かしく思い出すことだろう。
それがどんなにか輝くものであったかがわかるんだろう。まだそれは想像でしかないけれどもね。

僕たちがよく通っている、例の御茶屋さんのあるお寺の隣には神社があって、今はお祭りをしている。
その参道の両脇には昔ながらの縁日が並び、うちの生徒たちも遊びに来ている。
そこから境の森を抜ければいつものお寺の境内だ。神社側とは異なり、雑踏もなく子供達の歓声も無い。
僕らは参道でお祭りを楽しんだ後、いつものようにこの茶店に腰掛けている。


「早いわね〜、もう一年経っちゃったのかぁ。」


ため息をつくような感じでアスカが口に出した。
僕らはこのごろ、前のようにあまりべらべら喋らない。
学校で仲間と一緒にいるときは別として、なんていうかあまり喋る必然性を感じないというか。
却って話せば話すほど距離が開いてしまうような気がしちゃうんだ。
いや、それは僕だけの話。アスカは不満に思ってるんじゃないかなんて心配もしてるんだけど。


「そうだね。」


僕は緋毛氈の台の上に仰向けに転がった。ああ、空が青い。まるでアスカの瞳のような空だな。


「どうしたの、ぼけっとしちゃって。」

「別になんでもないんだけどさ。」

「だけどなによ。」

「そうだなぁ。アスカが空からのぞいてるみたい。」


そう言うと、アスカも空を仰いだ。


「…たまにはロマンチックなことを言ってみようとは思うわけね。」


くすっと笑ってアスカは残りの1/4の饅頭を口に入れ、目を細めて満足そうにした。


「不思議だよね。」

「何が。」

「アスカが、僕の」

「僕の、何よ。」

「僕の世界に現れたってことが。」


なんだ、という表情をする。


「私にすれば、あなたが世界に急に現れたってことになるじゃない。」

「そりゃあ、そうだけども。」


僕が言いたいのはそういうことじゃなくて。(思っただけで顔が熱くなってしまうんだけど。)
なおも思う。君とこれからもそうやって一緒に、変わって行きたいってことを。
突然、アスカが僕の前に現れた。
そのことは僕の人生、多分退屈なばかりの平穏無事な世界に大きな変化をもたらした。
淀んでいた空気や、僕の生き方を根底からひっくり返した。
君の植えたセージやミントの一叢の香りが僕を変えたのかもしれない。

去年と同じように紅葉が美しい。
木々もやっと季節に順応したのか、その紅や黄は去年よりもずっと彩やかに見える。
でもそれは去年と全く同じじゃない。
ループを描いて持ち上がったり軸線をずらして行ったりしてるんだ。
紅葉だけではない。同じように見えても皆少しずつ変わっているんだ。
木の幹の太さも、その付けている実の数も。寺の屋根の色も、庭石の苔も広がってるし。
僕の前でお饅頭を食べている、このアスカ自身も。
髪の色も艶やかさも、ふっくらした頬や瞳の潤いも、唇の輝きも。
そんな風に彼女を見ている僕の心も去年と違う。
自分で触って感じる肩の筋肉の大きさ、早くなった脚。
アスカの家庭教師のお陰で20番繰り上がった成績。
変化。変えたもの、変わった事、変えようとしてること。変わらなかったこと。
そんなものが、少しずつ僕の将来とアスカの未来を結んでくれることを祈っている。
アスカの微笑みの意味。僕が彼女から離れない訳。
少しずつ確認しあっている今の僕らは子供ではないけどまだ大人でもない。
ただ、変わり続けてる。僕らにはそれが全てだ。変わり続けているというのは可能性だから。
手をつないで、歩いている。このモミジの境内を。通学路を、今という時間を。

その意味に、気が付き始めている。僕らは。 

そうして僕らはもう一度元に戻ってきた −了−


 

挿絵:六条一馬

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