「綾波さんが甘いものが好きなら、今度の学習旅行が楽しみねぇ」

「はい？」

「だって、京都は和菓子の本場でしょ」

「あ、そうですね。よかったじゃない、レイ」

「和菓子も美味しいの？」

「そうよ。自由行動の時にごちそうしてあげるわ」

　わ！マヤちゃんたら、何気なしに旅行のときの約束取り付けてるんだから、抜け目ないわね。

　私は、この時には気付いていなかったの。

　学習旅行は３泊４日。

　みんなでお泊りなの。

　……。

　泊まるってことは、夜中にシンジに変心したら、どうなっちゃうの？！

「ありがと、アスカ。美味しいよ、ホント」

「そぉ、そりゃよかったわね」

「あぁ〜！僕がこんなに感謝してんのに、アスカ冷たいんだ」

　ぷぅっと膨れてみせるシンジの心のレイは、やっぱりとっても可愛いの。

　どうしても頬が緩んじゃうんだよね。

「あ〜あ、いいなぁ。この顔なら、アスカは叩かないんだ。羨ましいな。僕なんかバシバシ叩かれてたのに」

「うっさいわね。男の顔が可愛いって思うようになったら、オバン化したってことなの」

「え、そうなの？」

「そうよ。それに…早くもとに戻んなさいよ。私の手がシンジの頭を叩きたくてうずうずしてんだから」

「ごめん。ホントにごめんよ」

　俯いて哀しげな表情のレイ。

　あぁ〜っ！中身がシンジだってわかってんのに、こんな顔されたら。

「も、もういいわよ。だからそんな顔しな…」

　そのとき、レイがペロリと舌を出した。

「あ、やったな、馬鹿シンジ！」

　キレた。キレました。完全に。

　しかもこっちは今朝のレイとの擽りあいの記憶があるから、

　ホントに何も考えずにレイに突進して行っちゃったのよ。

　まあ、シンジとも小学校までは平気で取っ組み合いのけんか（本人以外はじゃれあい）をしてたからね。

　とにかく、その調子で組み付いていったのよ。

　相手がレイという頭で飛び掛ったから、もちろん殴ったり蹴ったり引掻いたり叩いたりなんかはしない。

　ただ組み付いてレイの背中にのしかかって、羽交い絞めにしたわけ。

「やめて、やめてよ、アスカ」

　この声もレイの声なわけよ。

　だから私も別に何の気兼ねも無しに、わきの下とか腰をくすぐったの。

　しばらくはレイがひぃひぃ笑ってたけど、そのうちに静かになっちゃったの。

　やばい、悶絶しちゃったかもって、慌てて抱き起こしたら…。

　あわわわ！どうしよっ！

　レイの顔が血塗れじゃないの！

　これにはさすがの私もびっくりしちゃって、慌てふためいたわ。

「レ、レイ！だいじょうぶ？！ごめん、ごめんね！」

　レイは顔を上げ、鼻を押さえて言った。

「は、鼻血、ティッシュ！」

「わかったわ！」

　私はすばやくティッシュを用意したけど、最初に思ったほど血は出てなかったの。

　少しホッとしたけど、レイのパジャマの袖と襟に血がついているのが見えたのよね。

「ほら、レイ。パジャマ脱いで。血がついてるわ」

「え…、いや、あの、その…」

「さっさとしてよ」

　そう言いながら、私はカーペットに血が落ちていないか点検していた。

「大体、アンタはいかにも血が少なそうな雰囲気なんだから、鼻血なんか出したらもったいないでしょうが。

　あ、そうだ、最近甘いものの食べすぎだからじゃないの？よし、血は落ちてないわね。

　さ、パジャマって、まだ脱いでないの？ほら、レイ」

　私が手を突き出すと、レイは真っ赤な顔になって首を振るの。

「は！何恥ずかしがってるのよ。女同士でし…」

「……」

「……」

「アンタ、今、シンジだったわよね」

　恐る恐るうなずくレイ。

「じゃ、さっき鼻血出したのは…、くすぐったから…じゃないのね…！」

　こ、こいつ、許してやんないっ！

　私の血相に怯えたレイが鼻を押さえたまま後ずさりする。

「馬鹿シンジ！正直に言いなさいよ。今の鼻血の原因はナニ？」

「い、言えるわけないじゃないか…」

「あ〜ら、どうしてかなぁ。別に殺そうってまで言わないわよ」

「う、嘘だ。きっと、死ぬより恐ろしい目にあわせるんだ！」

　レイは身の安全を図ったのか、必死に怯えた振りをしているわ。

「何、お芝居してんのよ。そんな顔しても許してあげないわ」

「ち、違うよ。お芝居なんかしてないよ。これは本当に…あっ！」

　言ってからレイは口を押さえたわ。もう一つの手で鼻を押さえてるから、変な感じ。

　さすがにシンジは付き合いが長いから、私との口ゲンカには慣れてるわ。

　どう言ったら私が怒るか、よぉ〜くわかってるのよね。

　この場合、本当に怖がってるってのはいけないわ。そうよ、そんなの許さない。

　こんなにか弱い私をつかまえて、本当に怖いとは何事よ！

　そ〜ら、もう後がないわよ。レイは壁際に追い詰められたわ。

「さあて、白状してもらいましょうか。馬鹿シンジは何に怯えて…じゃなかったわね。

　どうして、鼻血を出したのかな？正直に言ったら…」

「許してくれる…？」

「許して…あげるわけないでしょ！さあ、早く言いなさいよ。

　言わなきゃネットで全世界にばらしてあげるわ」

「な、何を？」

「さて、何にしようかな。そうね、小学校４年の運動会で…」

「駄目！やめてよ！」

「じゃ、小学校２年の冬休みに…」

「わぁっ！わぁっ！わぁっ！言っちゃ駄目、言っちゃ駄目だ！」

「それなら小学校５年の時のアンタの恥ずかしい写真を…」

「えぇ〜っ！アスカ、あれ破いて捨てたって言ったじゃないか。約束破ったな！」

「うっさいわね！あれは私の宝物なんだから！大事にしまってあるわよ」

「そ、そんな、宝物だなんて…僕の女装の写真がどうして宝物になるんだよっ！」

「がたがた言うな！私はあの写真を種に一生アンタに勝ちつづけるんだから。

　あんな写真を見られたら…きっとおじ様は出て行けっておっしゃるでしょ〜ね」

「やめてよ、アスカ。お願いだよ」

「しかも“お姫様”の格好で、にっこり微笑んでるんだから」

「あ、あれはアスカが笑えって脅迫して…」

「うっさい！そんなこと写真には写ってないもんね〜。

　あそこには自分の美しさにうっとりしてる馬鹿シンジが写ってるだけだもん」

「ぐっ！」

「その上写真にマジックで“ぼくはきれい？”って書いてあったっけ」

「あれはアスカが無理矢理書かせたんじゃないか！」

「さあね、私が書いたんじゃないもん。あれはアンタの字だよねぇ」

　たぶん、今の私は“邪悪な笑み”が満開だったと思うわ。

「……」

「どぉ〜お、わかった。わかったなら、白状しなさいよ」

「……」

「ふ〜ん、そうなんだ。じゃ、まず回覧版でご町内に…」

「胸が…」

　蚊の鳴くような声でレイが言った。

「聞こえないわよ。何よ」

「胸があたって…」

「はい？はっきり言いなさいよ。アンタ男でしょ！」

　今女だけどね。

「お、怒らないでよ。アスカの胸が背中に当たって。

　ほ、ほら、二人ともパジャマだからさ。ははは」

　レイは引きつった愛想笑いをしてる。この情けなさは、どこか少しシンジの表情に似てるわね。

「あ、あのさ、生地が薄いだろ。それにアスカ、ノーブ…きゃっ！」

　枕がレイのお腹に炸裂！

　はん！ちゃんと胃袋は避けてるし、鼻血出してる頭部は狙わないわ。

　はい、お腹を庇うから背中ががら空き。元から狙ってたのは背中だからね。

　一番痛くないから。

　ばしっ！ばしっ！ばしっ！ばしっ！ばしっ！

「ごめん、ごめんよ、アスカ」

「ふん！許してやんない！」

　ばしっ！ばしっ！ばしっ！ばしっ！ばしっ！

「助けてよ。何でもするから」

「じゃ、じゃ…」

　その時、私の目に涙が溢れたの。

　そして、レイの背中にしがみついたわ。

「帰ってきてよ、シンジ。お願い、早く帰ってきてよぉ…」

　もう止まらなかった。

　だって、ずっと我慢してたんだもん。

　私が泣いたらシンジが困るだけだから。

　そう思って我慢していたんだけど、一度泣き出したら止まらなくなっちゃった。

　胸が当たるとかそんなのは全然考えずに、私はレイの背中で泣き続けた。

「あ、アスカ。そんなに泣かないでよ、ね、あやまるから。ごめんよ」

「ひっ、あ、アンタは、ひっ、何も、ひぃっ、悪く、ない、ひっ、事故、じゃない、ぐすっ…」

　レイは体勢を変えて、私の方を向いた。

　私は崩れるように、レイの膝に顔を伏せて泣いたの。

　その私の髪を優しく撫ぜるレイの手。

　そのうち、私は眠ってしまったわ。

　大失敗だった。

　シンジの心のまま、レイを放ったらかしにして眠ったものだから、

　シンジの時間が終わってレイに変心したときに彼女は状況が飲み込めずうろたえたの。

　枕はボロボロ。

　自分のパジャマは血がついていて、鼻のまわりも血だらけ。

　しかもかわいているから肌がつっぱってるのよね。

　膝の上では私が安らかに寝息を立てて眠っているし、そりゃホントに何が何だかって感じよね。

　仕方がないから私を起こそうとしたんだけど…。

　案の定、人を起こしたことがないからわからなかったんだって。

　私は安眠中に思い切り頬を引っ張られたの。

　これって、わざとしてるんじゃないの？

　私は赤く腫れた頬を擦りながら、レイに悪態をついたわ。

　ま、甘いものの食べすぎで鼻血ってことで納得させたけどね。

　でもね、やっぱりシンジの心って問題おおありね。

　そう、例の学習旅行よ。

　さっきので思春期の男の子の心がとってもいやらし〜のがわかったから、

　旅行中の深夜に何も起こらないように注意しないといけないわね。

　ヒカリに頼んで、レイと同じ部屋になるようにしなきゃ。

　うん、楽しい旅行になるように私ががんばんなきゃ！

　そうね…あの時、眠っていくときにふと感じたの。

　レイの手ってママの手みたいに暖かくて、気持ち良かった…。

第６話　「そして、レイは赤い血を流す｣　−終−

第７話に続く　

　ジュンです。

　少し短めの第６話です。赤い血って鼻血かい！そのうちＪＡＲＯに訴えられそう。誇大題名で。

　今回はアスカにもちょっと気を抜いてあげました。ずっとがんばり続けさせるのは可哀相でしたから。

　旅行は関西。すみません。ホームグラウンドなので、ついそういう設定にしてしまいます。

　次回は旅立てるはずです。では！

２００３．１／１６　ジュン