私はレイを外泊させるって聞いたときから、胸騒ぎがしてたの。 レイに聞かれたら困る話。変心の話をするに違いない。そう確信してたから。 そして、食事が終わって、片付けもすんだ。 ソファーに私とおば様は向かい合って座ったわ。ママは私の隣。 おば様はじっと目を瞑ってる。 そのまま時間が過ぎていく。デジタル時計の音が聞こえてくるくらい、部屋の中は静まり返ってる。 私は喉がからからになってきたわ。凄い緊張感。きっと、きっと…。 そのとき、おば様が眼を開いた。その眼はあの、科学者の冷徹な眼だったの。
「アスカ。あなたはシンジとレイのどちらかを選べって言われたら、どっちを選ぶ?」
「え…」
おば様の眼。 真剣な眼。冗談で言ってるんじゃない。 シンジか…レイか…。 二人のうちどちらかを選べって…。 じゃ、選ばなかった方はどうなるの? 消えてしまうってこと? 私がずっと心配してた、心が消えてなくなるってこと? 嘘…。 ちょっと待って…ね、お願い。 周りの光景がぐるぐる回っている。 息ができないよ…苦しい…。 駄目。 リツコおば様の顔がどんどん遠くなって…。
「アスカ…アスカ…」 ん…。 「起きなよ、アスカ」 え…この声…シンジ…? 目を開けると、シンジがいた。 「シン、ジ…」 「そうだよ、アスカ。僕だよ」 にっこり笑うその顔は、ホントにシンジだった。 懐かしい、あの日のシンジ。 あの日の…まま…の…。 「アスカ、大きくなったね」 別れた…空港で別れた、あの時のままのシンジ。 あの時でも私の方が5cm大きかった。 今は…首ひとつ違う。 シンジはあの日のままで、私だけが成長している。 そんな…。 「アスカは僕を置いていってしまったんだね。僕はずっとここにいるのに…。 置いていってしまったんだ。僕を残して…」 シンジは…中学1年のシンジが目に涙をためて私を見上げる。 「違う…違うよ、シンジ。私は…」 「いいんだ。仕方がないもの。時間は止められないから…」 そして、シンジは少しづつ透明になっていく。 私はシンジの身体をつかまえようとしたけど、手は空を切るだけだった。 「さよなら…アスカ」
はっ! 目を開けると、リビングだった。 気を…失ったの…私? 「やっぱり、リツコ。あなたの切り出し方がまずかったのよ」 「はぁ…アスカはもっと気丈かと思ってた」 「そんなことないわ。そんな風に見えるけど、あの子はまだ15歳よ」 「私は15歳であの子を産んだわ」 「あなたは特別。いっしょにしないで」 「あら?クローン学では世界的な権威だったキョウコ先輩の血をひいてるなら…」 ママ…クローンって…。 私はのそのそと身を起こしたわ。 ママとリツコおば様はダイニングテーブルで向かい合って真剣に話している。 「私はちゃんとアスカに話した方がいいと思うわ。最初からそう主張してたでしょ」 「確かにそうかもしれない。でも、先輩。シンジの言うことも…」 私はシンジの名前が出てきたとき、思わず立ち上がったわ。 「アスカ!」 「ママ…シンジと…レイのどちらかを選べって…おば様…教えて。どういうこと?」 よろよろと歩く私の肩を飛んできたママがささえた。 「アスカ。とにかく座りなさい。ね」 ソファーに座らされた私は、もう一度反対側に腰掛けたリツコおば様に詰め寄ったの。 「お願いします。おば様。私にもわかるように話してください。シンジの事」 「わかったわ、アスカ。落ち着いて聞いてね」
シンジは…シンジの肉体は死んでいる。 あの事故でシンジは即死した。 ところが不思議なことに、 その瞬間同じ敷地内で収容されていたレイの身体にシンジの心が飛び込んだ。 そして、生まれて以来ずっと眠りつづけていたレイが目覚めたのだ。
リツコおば様の説明を私はまるで夢の中の話のように聞いていた。 シンジの心は生きているのに、肉体はこの世にない。 そんな…そんなことって…。 シンジはそんなことは言ってなかった。 そっか…言えなかったんだ。 あ…おば様がまだ話してる…聞かなきゃ…。
覚醒したレイは二つの人格を持つようになっていた。 シンジの心と、まったく別の…おそらくもともとの心。 そしてだんだんシンジでいる時間が短くなっていったのだ。 リツコたちは研究を重ね、 ある薬を投与することでシンジの心を維持することができるようになった。 しかしその薬の効果もなくなってきて…もっと強い薬を試すしかなくなった。 だが…。
「でもね、その薬を使うと、レイの本来の性格、心が壊れてしまう可能性が高いの。 それにそれでシンジの心が固定されるという保証は何もない。 だけど、そうしないと、シンジの心は完全に消えてしまうわ」 冷静に話すおば様の声が頭の中にがんがん響いた。 そんな…ひどいよ…。 シンジ…シンジが…。 「シンジはね、アスカが決めて欲しいって言ってるの」 「えっ…!」 「アスカが決めたことなら、どんな結論でもそれに従うって、そう言ってアメリカから日本に向かったのよ」 「じゃ…じゃ、シンジは最初からその覚悟で私に…」 リツコおば様は軽く肯いた。 「もし消えるにしても、アスカにもう一度会いたいってね。消えるまでの間をアスカと少しでも過ごしたいと」 「今こうして話しているのもシンジは…知ってるのね」 「そうよ。自分が近くにいれば決心が鈍るからって。私が真相を打ち明けるときにはそうする約束だったの」 私は2ヶ月前からのシンジの言動を思い出した。 そういえば、なんとなくいつも寂しげだったような…。 それはこんな状態になってしまったせいだと思い込んでた。 でも…でも、こういうことだったんだ。 シンジは私にお別れをするために帰ってきたんだ。 それなら…どうして最初から話してくれなかったのよ。 酷いよ、シンジ。 私はアンタの恋人なんだよ。 こんなことなら…レイの身体でも…キスしてあげればよかったよ。 ごめんね、シンジ。ホントにごめん。 「じゃ、レイは?レイはこのことを知ってるの?」 「知らない。あの子はシンジのことはまるで知らないわ。ただ日本に行くように言われただけ」 私は判決を少しでも遅らせようとするように、矢継ぎ早におば様へ質問を浴びせたの。 「で…レイは結局何者なの?生まれてから眠りつづけていたって」 「それは…アスカ、絶対に他言しないでね」 さらに真剣みを増したおば様の表情に私は圧倒されたわ。 そして、私は肯くしかなかったの。 「レイは…あの子はね、クローン人間なの。 それだけしか私にはわからないけど、ずっとあの研究所で生まれてから昏睡状態だったわけ。 それが何故かシンジと波長が合った…というか、まあ、そういうことなの」 はっきりものを言うおば様が言葉を濁すってことは、ホントにわけがわからないのかな? 「クローンってことは…でも、親がいるわけよね。 ね、それもわからないの?」 「うん…そのあたりの資料がどこにもないのよ。資料がすべて消された可能性が高いわ。 もし証拠があれば関係者は刑事罰を受けるからね」 「じゃ、ママは?ママは知らないの?」 私は隣のママに質問した。 「え?どうしてママが知ってないといけないの?」 「だって、さっきリツコおば様がママのことをクローン学の世界的権威だって言ってた」 「そう…聞かれたのね」 ママが喋ろうとした時、おば様が遮るように話し出した。 「ふふ、アスカは知らなかったのね。惣流キョウコといえば、世界中の研究機関から引っ張りだこの科学者だったわ。 今でもスカウトが来るくらいよ。でも、あのクローン禁止法が国連決議で可決されたから身をひいたわけ。 ただね、先輩は確かに当時のクローン学の第一人者だったけど、 すべての研究を知っていたってことはありえない。 おそらくレイの年齢から考えても、禁止法の施行後に作られたのは間違いないから、 キョウコ先輩が引退してからのことだわ。だからレイのことは知らない。そうよね、先輩」 ママが知られちゃったかというように、ため息をついて肯いた。 「ということは、レイが何者かは全くわからないってことなのね」 「そうなるわね」 「おば様?シンジの気持ちは間違いない?アメリカを出たときから話してないんでしょ」 「それは間違いないわ。覚悟しての帰国だから。 それにもし気が変わったなら、昨日の夜に私と話をしようとする筈。違う?」 「そう…よね。あ、おば様、シンジが変心しなかったことがあるんだけど…」 私は必死だったの。 何か少しでも二人とも何とかなるような…そんな虫のいい解決案が出てこないか。 そのために、おば様を問い詰めていったわ。 でも心の隅ではあきらめてた。だって、世界でも有数の人たちが散々考えて駄目だったんだから。 「ああ、関西への旅行のときね。 ごく稀にそういうことがあるみたい。多分レイの体調に関係してるんじゃないかしら」 「あら、そんなことがあったの?」 あれ?ママに話してなかったっけ。 はあ…。これも駄目か…。
そして質問する内容も、回数も、どんどん減っていったの。 節目がちに黙り込んでしまった私の手をママが優しく包んでくれた。 そのママの掌を私の目から零れた涙が濡らしていく。 私が洟を啜る音だけがリビングに響いていたわ。 「あの…しばらく、一人で考えさせてください」 「そうね、よく考えた方がいいと思うわ。しっかりと、後悔しないように」 私はママの返事を聞いてソファーから立ち上り、階段の方へ歩いていった。 自分でも夢遊病者のような不確かな足取りだったと思う。 「先輩…?」 「大丈夫、アスカは馬鹿じゃないから。きっとよく考えてくれると思うわ」 二人の声を背中で聞きながら、私は階段を上っていった。 最後にママは階段の下で、私に声をかけたの。 「アスカ、ママはあなたの味方だから。どんな結論を出してもママは味方するからね」 私はぎこちなく肯いたけど、多分ママには見えなかったと思う。
ベッドにうつぶせになったまま、私はしばらく泣いた。 こんな選択を私にさせるなんて…。 みんな酷い。酷すぎる…。 あのレイを…渚のヤツと相思相愛になって、あんなに幸福なレイを… 私のために消し去ることなんかできるわけないじゃないっ! でも…そうしないとシンジが…。 畜生!結局、レイかシンジのどちらかを殺すってことじゃない。 私にその判決をさせるってことでしょ。 そんな…そんなの、冷静に考えれば、答えはもう出てるじゃない。 もし薬を使って失敗すればレイもシンジも駄目。 成功すれば、レイは心を失い、シンジはとりあえず心を維持できる。 でも、その先の保証はまるでなし。 それじゃ、答えはシンジを…シンジをあきらめるしかないんじゃないのよっ! どうして答えの出てる問題を私に解かそうとするのよ。 まるで拷問じゃない。 それとも…私にシンジをあきらめさせるために、わざと仕組んだわけ? あ、これはシンジなら考えそうなことだわ。 はん!ご立派なことで。自己犠牲ってヤツ? それなら…シンジが私をあきらめさせようと思ってるなら、いっそ…。 シンジのいない世界なんて、生きていく価値なんてないわ…。 そして、私は仰向けになってじっと考えたの。 そう…生まれてこの方初めて、全脳細胞をフル稼働して考えたわ。
数分後、私は結論を出した。
2時間後。 ママとおば様は私の様子を見に部屋に入ってきた。 でも二人には私の姿を見ることはできず、開け放たれた窓と風になびくカーテンが目に入るだけだった。 シーツを撚り合わして作ったロープが窓からぶら下がっている。 そして、机の上には私の置手紙が…。
第14話 「さようなら、シンジ」 −終−
<あとがき> ジュンです。 第14話です。何も言えません。最終回でまた会いましょう。 2003.1/26 ジュン |
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