もう一度ジュウシマツを

 

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「ゲンドウ 敵軍門に下る」


 

こめどころ       2004.4.27(発表)5.24(修正補筆掲載)

 

 

 

「シンジ君の返事はどうでした。」

「レイさえいいなら奴は何も言うことはないと言っていた。」

「そう…あの子の中にはまだユイさんの事がずっと残っているのね。あなたと同じなのね。」

「俺は―――」

「いいんです。元々私が言い出した無理な話だったんですから。今までどおりで。」


リツコの顔は青ざめて見えた、私はどんな表情をしていたのだろうか。


「レイちゃんは、お兄ちゃんさえいいなら。シンジ君はレイちゃんさえいいなら。
そしてあなたは私がそうしたいと望むならと。皆家族の事を思いやって自分の事は言わない。
ほんとに誰に似たんだか。――私自身の影響だってあるかもそれませんけど。」


そうだ。私自身さえリツコと再婚する事について子供達には母親が必要だとしか考えてはいな
かった。リツコはもう家族同然の娘だ。継母となってくれるならこれ以上の女はいない。そう
考えていなかったといえるだろうか。しかし、望んで苦労する事が分かっていて俺のような男
を選ぶほど愚かな娘だっただろうか。


「愚かだとお思いだったのでしょうね。あなた御自身も。」

「いや、そんな事は無い。」

「嘘をつくのが下手ですね。あなたに告白した時からわかっていたことですが。」


そう言って彼女は笑った。私を笑ったのか、それとも自分を笑ったのか。下手をすれば娘ほど
の年の女と何故一時にせよ再婚してもいいなどと思ったのか。この娘の家がとうに崩壊してい
るのを知っていた自分は、いずれこの娘を引き取るつもりでもあったと言うのか。生憎自分は
そんな慈善家では無い。いずれ手をつけるつもりであったと言うほどの露悪家でもない。私は
いずれこの少女と家庭を作り直す夢を描いていたのかもしれない。その花開いていく様子が愛
おしかったのだ。何も自分の妻としてではなくても少女から娘へそして輝くような若い女性へ。
シンジとレイの長姉として、子供等を導いて欲しかったのだ。この素晴らしい娘に。その気持
ちがリツコに何かを勘違いさせてしまったのだ。男としての視線だと、自分を望む願望だと。


「あなたが好きです。」


耳を疑った。何かの聞き違いでは無いかと。それを口にしてしまえば受け入れるのでなければ
我々の先にあるのは別れしかない。レイやシンジは私を蛇蝎のように見るだろう。まず、その
ことに脅えている自分が哀れでおかしく笑えた。今日は何か新しく青年たちの間ではやってい
る親父をかついでもいい日だったろうかなどと記憶を掘り起こしたりした。


「笑いますか?こんな小娘が何を言ってるんだと思われますか?」


多分冗談で言っているのではなさそうだ。だがこの私は若いときでさえ亡き妻以外とは口を利
いた事さえ無いような男だ。

亡き妻、ユイ。別に自慢するわけではないが、女というものが理解できるなどと言う男とは、
根本的にDNAからして違うのだと思っていた。
そんな男に声を掛け平気でずかずかと私の中に踏み込んできた娘。貴方は私の事きっと好きに
なってくれるわと、何の根拠もなく言い放ったのだ。私はうろたえ、駆け回り、悩み、映画だ
買い物だハイキングだと連れまわされた挙句、気が付いたら彼女を腕の中に抱きよせてキスを
交わしていたのだった。


「ほら、私の言ったとおりになったでしょう?」

「君は、魔法でも使えるのか。あれからまだ2ヶ月しか経っていない。」


唇が離れた時私は息も絶え絶えにユイにそう言った。その時ユイは笑った。そのあとよかった、
私間に合って、と言うと大粒の涙があいつの目から零れた。どういう意味でその言葉を口にし
他のか、私には未だに謎だ。3回目のキスは商店街の風呂屋の2階にある私の部屋で、その日
ユイは自分の部屋に戻らなかった。その2ヵ月後には荷物ごと私の変形6畳に引っ越して来た。
大家に事情を話しに行かないと、と言うと、もう許可をもらってきたと言っていわゆる夫婦茶
碗と言う奴を渡してくれた。あのうるさい大家の婆さんがくれたという。ユイは呆れた事に、
たちまち商店街で誰一人知らぬ者の無い有名な「若奥さん」になり、始終どこかの店でアルバ
イトをしていて二人の暮らしを支えた。嫌われ者の自分までがユイさんの亭主として親切にされ
町内会の役員にまで推された。

もちろんそれは使いっ走りの若い衆としてだが、アーケードの季節ごとの飾り付けや、台風
の後の修理やお祭りの仕切りなどをやることに自分でも意外な才能を見出した。何より驚いた
のは、ユイと一緒だと自分は人と関わるのが何より楽しく思える人間だったという事だった。
卒業し、その開かずの踏み切りで有名な商店街を離れる時、人々は私達のために季節外れの餅
つき大会まで開いてくれた。ピンクと白の餅が全員に振舞われ、万歳三唱の中その街を離れた。
ユイは新しい街へ向かうトラックの中でずっと泣き続けた。
私はこの時限りもう2度と彼女を泣かせまいとそれだけを決意し、この街に向かった。だが。


「君は――何を求めてる、私に。」


私はそう尋ねた。私はユイに何を与える事ができたろう。一体何か与える事ができたと言うのか。
ユイは、私に何を求めていたのだろう。僅か10年にも満たない結婚生活だった。ユイは満足し
て死んだのだろうか。ユイが最後に残した言葉はシンジを、だった。シンジは私に似ている。
人を真に信じ切れていない所がある。常に何かを疑っている所が有る。ユイはその事を多分心配
したのではないかと思う。常に愛されているという事を信じているものは強い。そして真っ直ぐ
に走っていける。その姿は美しい。自信に満ち溢れて真っ直ぐに育ったもののみが持つ強さだ。


「愛される事を――」

「私はかつて愛される事で救われた男であったかもしれない。だが、それを君に同じように与え
られるかどうか自信が無い。だが、それでも構わないと言うのなら。まずは努力から始めよう。
互いに。君が子供達に与えてくれたように。」

「もちろんです。ゲンドウさん。」


リツコは首を傾げるようにして笑った。それは奇しくもユイと同じ癖だった。






「いつリツコさんに相談されたんだよ。」

「うーん、かれこれもう2年前になるかなあ。4年生になってすぐだったよ。」


じゃあ、もうずっと前からじゃないか。僕なんかつい最近だ。リツコさんも水臭いじゃないか。


「大分ご不満みたいね、お兄ちゃんは。」

「だってしょうがないじゃないねぇ、女の子同士の秘密ってあるじゃない。そのリツコさん
だってシンジのお父さんの秘密情報とか知りたいのは女として当たり前じゃないねぇ。」


おい、どうでもいいけど、どうしてこんな話に惣流が同席してるんだよ。


「そうよ。兄貴なんかぜんぜんそういうことには役に立たないでしょ。失敗してたらと思うと
ぞっとしちゃうもん。」


しかも、レイは関係ない惣流の発言をかさにきて言いたい放題。


「レイ、惣流の前だからって調子に乗るなよ。」

「乗りますよ〜だ。お兄ちゃんなんかアスカちゃんの前では何にも言えないくせに。」


そういわれると苦笑するしかない。確かに惣流の前でレイに拳骨を振るうような真似をしたら
只ではすまない。だが一言言っておかねばならない。


「はっきり言っておくけど、僕と惣流は彼とか彼女とかいう関係じゃないんだからなっ!」

「ちょっとシンジ。じゃああたしはどういう関係者なのよ、はっきりして欲しいわね。」


もう、混ぜっ返すなよ。


「そ、惣流は…惣流は惣流だよ。誤解招くからシンジって呼ぶなって言ってるだろ!」

「そう言い張ってるのは、もうお兄だけだよ。」

「周りに流されて付き合い始めるなんて真似は僕は絶対しないからねっ。」

「うん、シンジ君、それは立派な考え方だよ、うん。でもね、あんたも日本男子なら責任を
ちゃんと取って欲しいわね。あんたには責任があるのよ。」


落ち着き払って惣流が言い放った。


「なんだよ。後ろめたいことなんて無いぞ。キス一つして無いからな。後ろめたい事はない。」

「キス!そんな言葉が堂々と例えで出てくるとこがすごいわね。でもそんなことじゃないわ。
あたしがあんたの事を好きになるように仕向けたってとこに責任があるってことよ。」

「どうすればそんな事が出来るって言うんだよっ。」

「十姉妹を送り込んで、その元の飼い主って事で油断させたって言うのはどうよ?
私あれで結構クラッと来たけどなぁ。」

「あの時十姉妹を貰ってくれたのは80人近くいるんだよ、半分女としてもクラス全員くらい
の人数が僕に迫ってきてるかい?そんなに単純じゃないよ。」

「手紙までつけてさ。」


レイは茶々入れない!全くこいつはだんだん扱い辛くなるな。


「書こうって言い出したのはお前だろっ。」

「実際書いたのは殆どお兄ちゃんでしょっ。私ほとんど自分の友達の分だけだもん。」

「問題は私のとこにある分は誰が書いたのかってことよ!あれは?」

「…ぼ、僕のだ。でもそんなつもりで書いたわけじゃないよっ。」


その後はほとんど叫び続けながら、声を掠れさせて家まで帰ったわけで。







その年の10月。父さんとリツコさんは無事結婚式をあげた。新婚旅行先はなんと九十九里浜。
仕事が忙しいからと、ホテルだけはすごく豪華なところにしたけど、新婚旅行は2人で砂浜を
てくてくと歩いて行くだけで。せめてどこか南極でもグリーンランドでも行けばいいのにと思う。
その辺からして、一瞬のうちに別の大陸に行く事ができる現在、変わっていると言えるに違いな
い。その事を聞いた人達からは20も年下の方と結婚する方はやっぱり違いますねなどと言われる。


その後の話になるけど、とても若い母さんが学校の父兄参観にやってくるのは妙に恥ずかしいもの
で。なのに結婚して最初の授業参観の時はご丁寧にも2人一緒にやってきたのだから参ってしまう。
父さんも妙にそわそわして、いつものふてぶてしい態度が嘘みたいだ。貫禄も何もあったもんじゃ
ない。父さんも父さんだよ、堂々としてれば何もおかしいことなんか無いのに、普段は大口叩いて
る癖に偉い人の前じゃ何も言えなくなる若いチンピラみたいに肩すぼめちゃってさ。幻滅だよ。
だけど…
ご機嫌で手を振るリツコさんに、僕も何も言えなかった。薄笑いを浮かべ、只気弱に手を振り返し
ただけで。




結婚式の時の父さん?
あの時の父さんなんか、思い出したくも無いよ、赤くなってずっと俯いてただけさ。まったく!
サングラスを披露宴で掛けるわけに行かないからね。目元まで真っ赤にしちゃってさ。横で優勝者
みたいにきらきらしてるリツコさんが、若くてかっこいいだけに余計みすぼらしく見えてさ。
さすがにレイが立ち上がって父さんの所に行って耳打ち。ちょっと活を入れたみたい。
その後はさすがに姿勢だけはしゃんとしてたけど。


「なんて言ってきたの。」

「碇ゲンドウ、そのざまではユイ母さんが泣くぞ。」


ボソッと答えたレイ。うっ、――レイはいつでも的確だな。


「ぜんぜん進歩しとらんな、あいつは。また恥をかかせおって…」


呆れたように、どこかの白髪のおじいさんが言った。でも赤くなってる父さんを見てレイはにんまり。


「お父さん、可愛い。」


レイもろくな男を連れてこないんじゃないかという気がした。

 

 

 

 

第11話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 こ、こ、告白しちゃった!これって告白よね。
 
「あたしがあんたの事を好きになるように仕向けたってとこに責任があるってことよ」
 ちゃあんと言ってるのに、シンジったらよくわからない反応してくれちゃって。
 ま、それがシンジだからね。
 それより、私も結婚式に出たかったよぉ!
 ねぇ、シンジ。一つだけ教えて。どうして、南極かグリーンランドなの?
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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