もう一度ジュウシマツを
− 28 − 「僕らは一体どこへ向かってるの?」
こめどころ 2004.6.27(発表) |
「どういうことよこれって。」
アスカが小声で話しかけてきた。
「そんなこと僕に分かると思うっ?大体、君のパパが柔道やってたなんて聞いて無いよ。」
「あたしだって、今の今まで知らなかったわよ。どこで接点があったのかしら。」
「加持さんに話を聞いた時、嫌な予感はしたんだけど。ここに現れるなんて。」
「何聞いてたのよ。」
「いや、父さんが柔道部のOB会の中心だとか何とか――」
「そういえばあたしの担任もうちのおばあちゃんと知り合いだとか前に言ってた気がする。
ずっと海外にいるおばあちゃんが日本で知り合いって言ったらお嫁にいく前って事よね。」
「君のおばあちゃんて、どこの学校出てるんだよ。」
「大学は北海道の方の国立大学らしいけど、高校は知らないわ。もしかしたら地の塩って事も。
ああ!そういえば前に、あたしみたいなお転婆がここに転入できた訳は、とか先生が言ってた
ような。」
「父さんたちの関係や話の展開からするとそういうこともあるんじゃないの?」
「そういえばシンジのとこのリツコお母さんは地の塩学園だって言ってなかった?」
「そうだ、その関係で加持先生が呼ばれたって。でも父さんが柔道部のOBだって言う事は
加持先生に聞くまで知らなかったんだよ。」
「それにうちのパパよ。一体どこで。地の塩関係じゃないでしょうし、修永館とどんな接点が
あったっていうのか。」
混乱して、小声で話していた事が次第に大きくなっていた。周りの皆もざわざわしてたから
そんなに目立たなかったけれど。皆は迫力満点の2人に動揺してたんだけどね。
はっきり言って正業についてる人にはなかなか見えないから、父さん。
「ね、あれって、もしかしてアスカのパパ?」
「すっごい迫力ね。修永館を出てるって事でしょ、女子高を出てるわけ無いもんね。」
「一同、正面神棚に向かって、礼っ!」
父さんが叫んだのと同時に、全員が再び静まって畳に手を突いた。
一瞬、背中に電気が走った。物凄い迫力と威圧感。父さんにこれほどの迫力があったなんて。
礼は結構時間を取った。その間、咳払い一つ無い。
「なおれっ!」
頭を上げた僕らに再び加持先生が叫ぶ。シーンと静まり返った道場。静かなままで、水底の
ように冷やりとした気配が漂う。
「今日は特別講師として27期碇先輩と同じくラングレー先輩にいらして頂いた。
特別指導を求める者は、挙手しなさいっ。」
「はいっ!」
こういうときに何時でも真っ先に手を挙げるのはアスカだ。続けて僕と洞木さんが手を挙げた。
ばらばらと、数人が手を挙げた。
「うん、やはりお前たちか。だがまず俺たちが揉んでもらってからだ。碇先輩お願いします。」
父さんが立ち上がった。どのくらい強かったか知らないけど現役の選手権クラスの加持先輩に
適うものだろうか。父さんが恥をかく所を見たく無いな、と思う。
「おうっ。」
「おねがいしますっ。」
向かい合った父さんと加持さんは殆ど身長差は無い。先手は加持さんが取ったが、直ぐに差し手は
振り払われた。そのまま逆手で袖を取った父さんの身体がふわりと宙に浮いたかと思うと、加持さん
の足元に飛び込んで、その引き手が加持さんの身体を引き崩していた。あっという間に、加持さんの
身体が浮いて、斜め前方の畳に叩きつけられていた。手首、決められてた?
「ぐっ、ぐうぅっ!」
あの加持さんが受身もろくに取れないま仰向けに投げ出されたが、僅かに一本に及ばなかった。跳ね
起きようとする加持さんにその間を与えず既に父さんはそのまますばやく腕ひしぎを決め加持さんの
関節を締め上げていた。
「うおおぉっ。」
僅かの間も持たず、額から汗を噴き出させ、加持さんは畳を叩いた。参ったの合図だ。
「おおおーー」
凄い、まるで子ども扱いだ。
道場に低くうなるような歓声とも溜息ともつかない声が満ちる。次の先生が立ち上がり、礼を済ま
せた加持さんに代わり立ち向かう。その先生もきれいな内股を決められて叩きつけられた。
やはり受身が取れず、げほげほと咳き込みながら次の先生に代わる。
父さんは一人当たり1分もかけないで一本を決めていく。
「凄い凄い、お父さん強いわねえ。」
拙い、アスカの目の色が変わっている。自分の父親をこんな目で見られてたまるもんか。父さんの
試合の展開は先手を取り、早い。つまりさすがにスタミナには自信が無いと見える。40後半じゃ
無理は無い。出来るだけすばやく動いて父さんを消耗させる事しか勝機が無いのは明らかだった。
「次ッ、碇シンジ君。」
「おねがいしますっ!」
初めて組んだ父さんの柔道着から伝わってくる力。これで47だなんて信じられないよ。僕は片袖を
引いて開いたまま腰を引いて曲線を描いて引きずった。父さんは、そのまま力比べにならないように、
スーッと少しも遅れずについてくる。と思った瞬間、袖をつかんで絞り上げられた。これは柔道には
無い技だ。小袖落としかっ、と次の瞬間脚を刈られた。身体を咄嗟に起こしてそれを避ける。父さん
の唇に薄笑いを見た。同時に脾臓のあたりに拳を飛ばすが、降とした肘に叩き落された。右の足首を
蹴って、体を翻して体落としから変わり、父さんの大外が飛び僕の身体がふわっと浮きかけた。急転、
ぐるりと身体を廻し、そのままもう一度体落としに入る、父さんの身体が前に揺れたが、脚を踏み越
えられた。そのまま強引に巻き込んだが、父さんは腕を引き抜くと畳に手を突き、向こう側に回転し
た。クソッ、なんて言う身の軽さだろう。明日身体が痛くなるぞっ、っと心の中で悪態をついた。
そのまま父さんの足が僕の脇腹を蹴り上げた。続けて膝の脇にも打突を喰った。
「ぐっ!」
息が詰まって身体が止まった所に、父さんの一本背負いが僕を投げ飛ばしその上に身体が落ちてきた。
どすっと情け容赦ない衝撃が僕の胃に集中して、僕はその時点で落ち、気を一瞬失い崩折れた。
抱えられて立ち上がり、やっとの思いで礼をすると、アスカの横にへたり込んだ。
「やられちゃったわね、シンジ。」
「はあっ、はあっ、ば、化けもんだよ、父さん。」
僕はともかく一線級の選手を4人、前にごぼう抜きしてるんだよ。こんな事ありえないじゃないか。
滝のように汗が流れる。
「この汗が流れてる分だけ、シンジだってまだ強くなれるわ。」
そう言ってアスカが立ち上がった。名前を呼ばれたんだ。女子柔道選手では期待されている彼女を迎え、
道場周りの廊下に立って見ている人たちからざわめきが広がった。いつの間にこんなにギャラリーが。
アスカと父さんの試合が始まった。アスカは有利な差し手を狙って、父さんの周囲を回っている。
以前は無かった男女混合無差別級。その試合では打突、蹴り、危険な関節技など、禁止されている技は
殆ど無い。そんなクラスでこんな小柄な女生徒が実際戦える物だろうか。それを実地に見たいと、皆が
望んでいるんだろう。アスカにしても、試合以外でフルで戦える相手など殆どいないはずで、父さんが
これほどやる以上、本気以上実力以上の技を繰り出してくるんじゃないか。
でも、このままじゃアスカのほうが先に体力が落ちるぞ。アスカは離れた所から脚を飛ばすようにして
牽制しているけど、それは殆ど効果を示さない。
周囲の生徒が必死にアスカを応援している。父さんが珍しく慎重であるように見えるんだろう。だけど
違う。あれはアスカが攻めあぐねているんだ。
その証拠にアスカの方の息が次第に上がってきてる。比べて父さんはじっくりと構えているじゃないか。
しゅっ、空気を裂いてアスカの鋭い蹴りが続けて放たれた。父さんは一歩退いただけでそれをかわし続
ける。数発目の蹴りをつかむと一閃、足首を捻ってアスカを裏取りに引き倒した。
「あっ!」
アスカは小さく悲鳴を上げるとバン!と音を立てて畳を片足で蹴って撥ねた。倒れた身体が瞬時に浮かぶ
ように元の体勢を取り、身構えなおしながらそのまま体を這わせ、畳すれすれの低い蹴りを父さんの脚に
飛ばした。膝を突いてその払い蹴りを凌いだ父さんから、すばやく距離をとるアスカ。僕は、息を呑んで
その試合を見つめていた。ショートキックと打突が飛びかう、普段柔道では見られない古武術技の応酬。
その戦いの中で、僅かでも父さんの先の先で襟を取ったのは加持さんだけだった。だが遂にアスカの襟を
父さんの指が捉えた。投げに入ろうとする父さんの取り手を払い、アスカは襟を更に先につかんだかと思
うと見事に後ろから裸締めを決めた。
「そこだっ!」
僕は完全に立ち上がって叫んだ。
結局父さんはそのまま構わず背中から倒れ畳にアスカをぶつける。アスカは体重をもろに受け、顔を歪ま
せた。だが後ろから体を締め付けるアスカの両足も、食い込む腕を振りほどけない。――時間切れだっ。
引き分けとなった。激しく息を切らすアスカに対し、父さんは、まだまだ余裕が有る態度で正座をし礼を
交わした。アスカはそのまま動けなくなった。僕は急いで咳き込む彼女を抱き上げた。
「保健室に行くかい。」
「大丈夫、場外の、隅、に。」
道場の角にアスカを寝かせ、マネージャーに任せる。戻ると既にラングレー氏、アスカのパパの試合が
始まっていた。父さんのように最低限の小技で勝つのではなく、正面から堂々とねじ伏せる試合振りで
しかも関節や寝技への転換が素晴らしい。流れるような一連の動き。これがアスカとそっくりだった。
受身も取れぬような激しい投げ技は父さんと共通だ。僕の飛び込み背負いも見事に読まれて潰された。
そのまま後ろから締め上げられあえなく落とされた。さっきアスカが寝かされた所に今度は僕が横たえ
られることになった。
その後は他のOBも交え、全員で激しい乱取りとなり、現役生はいい様に揉まれあしらわれ、おもちゃ
になった。力の差を思い知らされ、特に壮年部のもうくたびれた小父さん達の小技に舌を巻くことにな
った。
その夜は別棟のホテルで懇親会ということで豪華なご馳走が振舞われた。高校生には見たことも無い
不思議な味や形をしたフルーツや、名前をテレビで聞いた事が有るだけの珍味とか、料理とか。
合宿所に来た人達だけでなく、もうすっかり柔道からは離れているけど往年の友人の顔を見に来た人も
加えると、大変な人数になった。これが皆修永館の先輩たちなのか。女性は地の塩のOB(女性もこう
いうのだろうか、それともOG?)なのかな。
父さんが持ってきてくれた濃紺のブレザーとえんじ縞のネクタイで締め上げられた僕は息が詰まりそう。
柔道を始めてから首と腿が大分太くなったんだ。
「シンジ、おまえもなかなか強くなったのだな。」
「そ、そうかな。まだまだだと思ってるんだけど。」
「当たり前だ、今のは世辞というものだ。」
「えっ、」
父さんが笑みを浮かべていた。父さんの汗の滴ってる笑顔なんて始めてみたよ。
「おい、碇、それが貴様の息子か。」
「ああ、そうだ、アドルフ。」
「ふん、どこの馬の骨かとおもっていたが貴様の息子ではな。ユイを獲っただけでは飽き足らず親子
2代でたたるとは。いやな奴らだよ、全く。」
「男子をつくらなかったおまえの負けだ。」
「馬鹿者。ちゃんとつくったわい。まだ小さいがな。」
「ふん。男の子欲しさに再婚するとはな。」
「俺はまだ5,6年前は現役で結構もててたんだ。」
「どうせチョコレートかなんかで、手なずけられたんだろう。」
「ば、そんなことあるわけ無いだろうっ!」
その後ろにいたアスカが口を必死にハンカチで押さえて、肩を震わせて笑っている。
そうだったのか、と思いながら、はっと気がついた。そうだ、挨拶っ!
「お前のように女子高生のときから手懐けたりはせんよ。まあお前の面相ではそうでもしないと。」
「その御面相でわしに敗れたのは誰だったかな。ラングレー君。」
「ユイさんは素晴らしい女性だったが、美的感覚では認知機能にやや問題があったのだ。」
「いや、正常だからこそ、おまえの魔の手を逃れる事ができたのだ。」
ちょ、ちょっと父さん、アスカのお父さんだよ。僕は立ち上がると最敬礼。
「ラングレーさん、初めてお目にかかります。碇シンジです。ご挨拶遅れて…」
アスカのパパは少し目を細めて僕をじっと見つめた。うっ、冷たい視線だ。
後ろから、出し抜けにアスカの声。
「あ、あのさ、パパ。この子が――」
「わかっているよ。おまえの大好きな男の子なんだろう。」
「そっ、そんな、大までつけてはっきり言わないでよ。ね、シンジ。」
綺麗な薄い生地のミニドレス姿。アスカが髪を結い上げて、ぎこちなく僕に向かって笑った。
――ぼ、僕に振るなよ。
僕だって小父さんの言葉に真っ赤になってたわけで。アスカ、そんなこと家で言ってるの?
――どうしよう、リップを塗っただけだろう濡れたように光る唇から目が離れないよ。
小父さんが見てるのに。
頬を染め、やや俯き加減に下から見上げる、透明に澄んだ、真っ青な瞳。
4年目を迎えた、僕とアスカとの年輪。これからも、ずっと刻み続けたい君との間の時間。
「あ、あのっ。」
「なんだ。」
父さんが信じられないけどニコニコしてこっちを見ているし、アスカのパパは渋い顔だ。ぼくはもう
頭に血が上って、アスカの顔を見て、何回もきょろきょろ見回した。アスカの顔が次第に赤く、まずい。
口をパクパク、え?何を言ってるの。『チャント、オツキアイサセテモラッテマスッテイッテ?』
違うの?『・・・サセテクダサイ?』
え、そんなのまだ早いよっ!何?まだなんか有るの?『お付き合い?約束?』約束させてくれって?
もしかして、婚約の事かな。あ、なんかますまうアスカの顔が赤くなってきた。もしかして、怒ってる?
ど、どうしよう。何言ってるんだろう。
「あ、あのっ!」
「だからなんだ。」
「だから、あ、アスカさん―――」
アスカのパパは、何を言ったって許しはしないぞという顔だった。アスカは半分もう叫びかけながら
ローキックを放つ用意をしてるのに違いない。ちらっとアスカを見る。『ハヤクイイナサイッ!』っだって?
その時既に、この部屋にいた全員が静まり返って、僕ら(僕とアスカとアスカのパパ)を見つめていた事に、
僕はまるで気付いていなかったわけで。
「アスカサンヲ、ボクニクダサイッ!」
え?
虚を衝かれて、ぽかんと大きな口を開けたアスカのパパの顔が目の前に。
え。どうしたのかな、もう一度はっきりと言わなきゃっ!
「アスカを、僕にくださいっ!!」
言ってから意味を考えた。…えーっと?
作者のこめどころ様に感想メールをどうぞ メールはこちらへ |
わわわわっ!
し、シンジったら、いきなり何てことを!
って、嬉しいじゃないのさ。
プロポーズもしないうちに、パパに私を下さいだなんて。
物事には順序ってものがあるのよ。
シンジはもう…こんなこともわかんないのぉ…。
ああダメ、思考回路がとろとろに溶けちゃってる。
でもさ、プロポーズよりも大変だって言う父親への挨拶を済ましちゃったんだから、
もう怖いものは何もないわね、ねっ、シンジ!
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。