僕らは呟きあった。


「勝とうね、きっと。」

「ふたりで。」

「ふたりで。」


僕らは最上階まで行って、また一階まで、抱きしめあって、キスをしながら戻った。
往復60秒のせわしない抱擁とキス。
たったそれだけなのに僕らの動悸は、まるで試合の開始線に立った様にどんどん激しくなって。
扉が開いた途端、アスカは外に向かって飛び出して行ってしまった。
誰もが自分たちの試合の準備に忙しくて、女の子が真っ赤な顔で走り出ていったことなんか気づかない。
僕はもう一度唇の感触を反芻してから、両頬をバシバシと叩いた。痛いはずなのに、何も感じなかった。



もう一度ジュウシマツを

 

− 35 −

「アスカとシンジ激闘する/重なる想い」


 

こめどころ       2005.1.16(発表)









 

自分でも笑っちゃうくらいだ。こんなに単純な奴だったんだな、僕って。
アスカと久しぶりにキスして、こんなに舞い上がってる。
自分を戒める為に、真剣に柔道に取り組む為に、とか色々理由をつけてはいたんだけれど、
結局事に臨んではやっぱり僕を奮い立たせるのはアスカなんだって、思い知ってしまった。
僕は自分の中心から湧き上がってくる勇気とか、闘争意欲とかそんなものを強く実感した。
そして同時に、自分がどのくらい惣流アスカと言う女の子を――
今更言うまでも無いや。
アスカが髪を揺らしながら走り出して行く後姿を見送って、僕は両頬をバシバシと叩いた。


「よっしゃああっ!」





僕はその勢いで2回戦も勝ち抜くことが出来た。最初に勝った北の丸高校の選手が相手だった。

試合開始から45秒。背負いが得意だとばかり思っていた相手に寝技に引き込まれ、散々もがいた挙句、
運良く脱することができ、そのあと袖釣り込みが決まり、辛くも勝つことが出来たというすれすれの試合。
前の僕だったら、きっと途中であきらめていたに違いなかった。
疲れと緊張から、試合直後は殆ど動くことも出来ないほどだったわけで、本当に危ないところだったんだ。
それでも勝ったんだ。どんなにみっともなくたって勝ちは勝ちだ。約束を守れたんだ。
ベスト4に残れたんだ。

2階の席を見上げると父さんは腕組みをしたまま片手を挙げた。
リツコ母さんは、どこに隠し持っていたんだか、「碇」って書いた小旗を振って笑っていた。
レイは仲間と2階席から身を乗り出して、そこに張られた旧校旗を上下に揺さ振って声援してくれた。



3回戦。いよいよシード選手とぶつかった。相手は私立北鴎高校の惟澄幸康選手、また3年生だ。
データによれば一昨年度1年生の時にこの人はなんと準優勝をしている。その時の決め技は小外刈り。
背格好は僕と殆ど同じで、さほど筋肉質とも思えない。特に得意技ということは無く、オールラウンド。
1年で準優勝ということは、基礎がしっかりしているということで、油断出来ない強豪選手ということだ。
ここで、もし勝つことが出来たら次は決勝、ベスト4ということになる。
試合開始後も積極的に技をかけては来ない。受け身型の試合運びをする人なのだろうか。

ピッ! 笛を吹かれてしまった。もっと積極的に取り組みなさいという警告。無様。

だけど困った。どうにも相手の呼吸が読めないんだ。向こうから仕掛けてくるということも無い。
仕掛けてみても、途中で気合をずらされてしまう。


「碇どうした!」

「惟澄いけーっ!」


声援が盛んに飛ぶ、旗が振り回される。応援席は盛り上がる一方だ。そんなに煽らないでよ。
特に柔道部の応援がすごい。アスカの試合が暫く間があくため、全員がこちらに来ているらしい。
もちろん相手の応援もすごい。期待度が違うという感じだ。所詮こっちは1年生。
ここまで来れたのは奇跡みたいなもんだ。そう考えるとぐっと気が楽になった。
とにかくこの人に勝ちさえすれば決勝進出だ。

数回仕掛けてみたんだけど、どうも合わせられない。
そうか。この人、試合相手の技のタイミングをはずすセンスが良いんだ、と気付いた。
向こうが微かに誘うのに僕が反応してるから、向こうは余裕を持ってそれに反応してる。
自分で仕掛けてるつもりだったけど、本当はそうじゃないんだ。一枚上手だ。
僕は覚悟を決めた。
こういう相手にはラングレータイプの正々堂々力押しの戦いを展開しなければならない。
小技から入って切り返しを狙って行くやり方では、向こうの土俵に引きずり込まれてしまう。

僕がこの人に勝りそうなのはアスカ仕込みの連続速攻と、合宿以来培ってきた長期戦を耐える体力だ。
体を起こして、襟袖をしっかりつかみ直した。こちらに突然押し込まれることを恐れなくて済む。
後は攻めて攻めて攻めまくるっ!時間いっぱい使って自分の限界になるまで動きまくってやる。
惟澄さんがこの勢いに投げ技で対応を見せた時がチャンスだっ。
いくぞっ。


「うしゃっ!」


小内、小外、大内と押し捲る。身体全体をつかって揺さぶり、激しく技を連続させながら上下に振る。
惟澄さんは凌ぎ続ける。小技を返そうとする隙など与えないぞっ。
試合場のスペースをいっぱいに使って、速度をどんどん増しながら、3回続けて小外刈りを続けた。

シュッ、ザザザッ!

相手は僕のスピードに押し込まれるままでは付いて来れなくなり、すり足が乱れてきた。
こうなると凌いでいる方は主導権が取れず、押されっぱなしになる。
とうとう堪え切れなくなって、体を入れ替えて体落としに来たっ。ここだっ!
投げ落とされたと見えた瞬間、その足を踏み越え、自ら体を入れ替えて惟澄さんの前に出て反転っ。
その体落としの勢いを殺さずに巻き、畳に顔をこすりつけるような勢いで低い姿勢から背負いを仕掛けた。
同時に左足を内股のように跳ね上げてつんのめる惟澄さんの身体を巻き込んだ。
頬が畳にこすれているっ。畳に残ったのは右足の指先のみっ。その右足に全ての力を込めて跳ね伸ばしたっ。
担いだ力と自分と相手の全体重がてこの支点になった僕の頭と首にかかってくる。
ここで挫けたらっ!


「うおぉぉぉっ!」


叫びながら僕は両の手をさらに引き締め、右足先と首に力をこめてその全てを支えた。
ふわっと首への力が抜け頭が畳から離れ 身体が回転した。
2人は、三日月のような形にそそり立ち、一塊になって向こう側に弾け跳んだ。

一瞬の空白。

僕は立ち上がった。惟澄さんは四肢を投げ出したまま激しく呼吸をしている。
立ち上がったけれど世界が揺れているようだ。うわっと、急に歓声が耳に飛び込んできた。
それまで全然周囲の物音が聞こえていなかったんだ。


「勝った・・・のか。」


一本と叫んだ審判の声がまるで聞こえていなかった。やっと相対し、礼。
やっと勝った喜びが湧き上がってきた。歓声はまだ続いている。大技が決まったせいだろうか。


「碇 シンジ選手 一本勝ちっ!」

「うおーっ!碇――っ!」「よくやった―っ!」「決勝進出だーっ!」


再び歓声が僕を包んだ。礼を交わし、場外に出た。
応援団はすごい騒ぎ。ヘタヘタのまま、やっとの思いで皆に向かって手を振った。
2階から駆け下りてきたんだろう。
息を弾ませたレイが僕を迎え、腕を抱えるようにして控え席に導いてくれた。


「座って。」


そう言いながらレイは左手に持っていた救急箱を上げて見せた。え?救急箱?


「ほらここ。」


レイは指を伸ばして僕の頬に触れ、それを僕に見せた。
今の試合で畳に擦れた頬と額から血が滲み出し、レイの指を染めていた。
興奮が収まるにつれ頬はひりひりと痛み出す。


「ああ、さっきの。」

「こっち。」


レイはそういうと僕を座らせておもむろに救急箱のふたを開けた。


「い、いいよ。こんなとこで。」

「だめ。ばい菌が入ったらどうするの。」

「で、でもさ。」

「だめ。体裁なんて言ってる場合じゃないでしょ。」


こんな擦り傷くらいで、女の子に治療されてるのを見られるなんて恥ずかしいじゃないか。
僕の抵抗なんてまるで無視した妹は、アルコール綿のアルミパックを切り、小さなピンセットで
中身を摘み上げて傷を優しくぬぐった。それは強烈に沁みたんだけれど、血はすぐに止まった。
もう一度、新しいアルコール綿で傷と周囲をぬぐっていく。
ううっ、しみるっ。僕は歯を食いしばって声をかみ殺した。

ふーっ、ふーっ。

傷を吹いてくれるレイ。
痛みが和らいで、僕はため息をつき。妹はその僕の様子を見て微笑んだ。
その表情は、もう記憶の中に薄れていこうとしている母さんの顔を思い起こさせた。

――なんだ、レイ。おまえって、母さんにそっくりだったんだな。

ひとりごちた僕の声が聞こえたみたいに、妹は――うん?と首を傾げた。

その顔は――とても懐かしい、本当に優しい記憶が甦って来る表情だったわけで。



――レイと外で駆け回っていて転んですりむいたり、引っかき傷を作って帰ると、どんなに
隠していても母さんは目ざとく膝とか肘とかおでこにある擦り傷を見つけ出してしまって。


「あら、どうしたのシンジ、そこ。」

「何でもない。転んだだけだよ。血止め草の汁塗ったし、大丈夫だよ。」

「血止め草?」


無論、スベリヒユの白い汁に血止め効果なんか無い。あの頃、子どもたちはそう信じていただけ。
ああ、憶えてるよ。その首をかしげる癖は、母さんの癖だよ。
ちょっと困ったような笑顔。僕やレイの悪戯を優しく見ている時の眼差し。
結局、心配性の母さんに無理やり縁側に座らされて、膝を洗われて、薬を付けられて。
あたりまえの事かもしれないけど、失ったと思っていた母さんの顔が、今のレイにそっくりだったのを
その時僕は急に思い出したんだ。


「そんなに痛かった?」

「いや、そんなことは無いよ。」

「だって、目が赤くなってる。」

「そ、そう?」


慌てて袖口で目をこすった。とんでもないぞ、碇シンジ。ここをどこだと思ってるんだ!


「ちょっと、レイっ。それってあたしの役目だと思わない?」


いきなりレイの持っていたピンセットを奪い取って誰かが言った。誰かって、そりゃ決まってるんだけどさ。
レイは取り上げた女の子の顔を見上げてちょっと頬を膨らませた。


「アスカちゃん、それもう遅い。それに、お父さんに言われて来たの。傷の様子見てこいって。」

「伯父様が?意外と心配性なのね。ね、シンジ?」

「僕だって父さんがそんなこと言うなんて思ってなかったよ。」


あのぶっきらぼうで偏屈な父さんが傷の消毒をしてやって来いなんて言うところが想像つかない。
アスカは上を向くと、2階に向かい手を振って急に大声で叫んだ。


「伯父様っ。シンジ君たいしたことありませーんっ!」


つられて上を見上げたのと、2階座席の手すりから覗き込んでいた髭面が急に引っ込んだのは殆ど同時だった。
さっきからのやり取りを聞いていた周囲の人たちの間に忍び笑いが広がった。


「ア、アスカってばっ!」


面目丸潰れって、こういうことを言うんだ、きっと。


「レイ、傷テープ。ああ、そのバンドエイドの四角いやつでいいや。」


冗談じゃない。あんなもんをでかでかとほっぺたに貼り付けて試合なんかできるもんか。


「あ、アスカ、もういいよ。血、止まってるんだから。後は乾かした方が良いんだ。」


僕は居たたまれなくなって、後方の出場選手たちが控えている席に逃げ込んだ。
たまたま隣にいたどこかの浅黒い顔の選手が笑いながら話し掛けてきた。
丸刈りの頭に、無精ひげがあごを取り巻いている。逞しい胸の筋肉にちょっと引け目を感じる。


「もてもてだな、君。2人とも可愛い子じゃないか。」

「そ、そんなんじゃありませんよっ。一人は妹ですからっ。」

「じゃあ、あの金髪の子が彼女というわけか? うらやましいぞ。」

「か、彼女って。」

「いいよな。うちは男子高だし、兄弟も男ばかりの4兄弟だ。味も素っ気もない。」


彼は苦笑して言った。


「ああ、それは辛い物があるかもしれませんね。」

「高校砂漠ってやつだ、男子高って奴は。汚い、臭い、がさつで野蛮と3拍子揃ってる。」

「あははは。それほどじゃないでしょ。」

「君のとこは地の塩学園と合併したろう? 県内の男子高、垂涎の的だよ。」

「確かに可愛い子が多いとは思いますけど・・・」


僕は彼の砕けた物言いと態度に、つい気を許して答えた。
その彼が決勝で当たる水都高校の選手であることにその時初めて気がついた。
胸に水都高校と樋山の文字。
樋山・・・樋山哲かっ!昨年、一昨年の大会優勝者。今年もぴか一の優勝候補だ。
たしかそれに続く全日本高校選手権でも4位に入賞していたはず。


「シンジッ!次の試合相手と何馴れ合ってんのよっ!」

「いてててっ!アスカ、痛い、痛いよっ。」

「可愛い子が多いって、シンジって他に誰が可愛いとか思ってるわけ。そーなんだ。」

「そんなことないよっ、ごめん、ごめんってば。」


アスカは耳をぎゅうぎゅう引っ張って僕は悲鳴をあげた。
その上、そのままパチッと頬を叩くようにバンドエイドを貼られてしまった。


「大体、君のほうの試合はどうなったんだよ。」


耳をさすりながら僕は口をとんがらかして尋ねた。とにかく話題を変えなくちゃ。
水都高校の彼が、声を出さずに笑っている。
大体君のせいなんだぞ、と恨めしそうに樋山さんを見てしまったかもしれない。


「へっへーん、シードの3回戦もちゃんと勝ったもんね。珍しく対戦相手が女の子だったんでびっくりしたけど。」

「女の子っ!?じゃあ、その子も地区予選と県大会の一回戦勝ち抜いてきたわけ?」

「そうよ。県立湖南高校の1年生。しかもあたしより小柄な子よ。さすがに面食らったわね。
女子柔道の方では、春の大会から一部で注目されてたらしいわ。」

「そんな子がなんでいままで大きく話題にならなかったんだろう。」

「それがさ、フランスからの帰国子女らしいのよ。
フランスは柔道盛んだからそういう子がいても不思議じゃないけど。結構強かったわよ、打撃系の技も冴えてた。
技も厳しかったわ。投げ打つ時に同時に当て身入れてくるんだから容赦ないわ。見て、ここんとこ。」


そう言うとアスカは柔道着の前を広げて、僕に右の胸筋を示した。ブラの線のちょっと上。腕の付け根に近い。
内出血らしい痣が白い肌に広がって浮かんでいる。かなり痛そうに見えた。


「大丈夫かい?」

「うーん、さっきまで氷で冷やしてたから今のところ痛みは無いけど。」

「お兄ちゃんってばっ!」


いきなり頭を抱えられて首をひねられた。


ぐきっ。


「痛たたたた。今ぐきっていったよ、ぐきって!」

「何よ、アスカちゃんのおっぱいじっと見つめちゃって、やらしいんだっ!」

「そんなとこ見てないよっ!その左上の怪我のとこ見てただけだってば。」

「アスカちゃんも、そんな風にお兄ちゃんのこと誘惑しないでっ。」

「あ、あたしは別に。」


アスカには本当にそんなつもりは無かったんだと思う。(少しはからかうつもりはあったかもだけど。)
でもレイはそう思わなかったみたいだった。中1のレイは高校生の僕らより潔癖だし・・・とは言っても
僕とアスカが中1の頃は、もっと無邪気で、男女の意識なんてほとんど無かったから。
レイは13歳の時点では僕らよりは大人だってことなのかな。
アスカなんか胸無かったし。考えてみれば僕らがお互いに男とか女を意識したのはつい最近のことだし。
柔道の事になると今でもアスカはかなりストイック過ぎるくらいだ。だから逆に今みたいな事も起きる。
確かに気をつけなきゃいけないことだって言うのは事実だけど、問題はアスカの意識よりもアスカ自身が
周囲から見ると、知り合った昔の頃の、色の浅黒いやせっぽちのチビ助ではないってことなんだ。
確かにあの頃のアスカに比べたらレイはお姫様みたいに女らしい。(これはアスカには内緒だよ。)
レイは睨むしアスカは困惑してる。間に挟まった僕はおろおろしてる。困ったなぁ。


「でも、その子に勝ったってことは、とうとう決勝ってことだね。」


僕は無理やり話題を元に戻した。とたんにアスカの鼻は得意気にぴくぴく動いた。


「ふふんっ、あったりまえよ。」

「お、お兄ちゃんだって決勝に進出したんだからっ!」


今日のレイはなんだかずいぶんアスカに対抗心燃やしてるなあ。


「知ってるわよ。ちゃんと全部見てたもの。試合。」


アスカはそう言って僕を見た。そうか、どこからか見ててくれてたんだ。


「シンジ、約束守ってくれたんだね。格好よかったわよ。」

「2試合ともかなり危ない橋だったけどね。面目ないよ。」

「ま、その点は許してあげましょ。同じ高校の男女セットで決勝進出だからねっ。」

「あ、そういえばそうだね。」


シンジらしいってアスカが笑った。レイはため息をついて僕に言った。


「何、今ごろ気付いたわけ。お兄はほんとに鈍いんだから。じゃ、私お母さんたちと西館に行くから。」

「ああ、ありがとうな。」


僕とアスカはざわついている館内の一番隅の方に並んで腰掛けた。


「決勝戦は何時から?」

「いま、もうひとつの準決勝をやってるとこだから。それ終わって4時からの予定。まだ40分あるわ。
東会場もシンジの後は重量級準決勝で終了だから、西会場でいっしょに決勝戦やるのよね。」

「うん。これからそっちに行くから。決勝ではアスカの応援ができるよ。」

「やっと行ったり来たりしないで、落ち着いて見れるわね。」

「正直、ここまで来れるとは思わなかったよ。君のおかげだ。」


アスカの横顔をこっそり眺めながら、僕はアスカにお礼を言った。
本当に彼女がいなかったら僕はここまでやれなかったと思っていたから。
すると会場を見すえて前を向いたまま彼女は応えた。


「何であたしのおかげ?シンジが頑張ったからじゃない。
パパもよく言ってるけど、あんたはもっと自分に自信を持った方がいいわよ。
柔道に限らずなんでもそうだけど、自分で汗をかいた以上の事は、人間手に出来ないものだと思う。
棚から牡丹餅的なことなんて世の中には無いの。」


アスカは振り返り、まっすぐに僕を見つめると、一気にこう言った。


「シンジは頑張った。あたしとシンジはいつでも一緒にいたけど、どのくらい頑張ったかなんてことは、
本当のところはあたしにもわからないし、世の中の誰にもわからない。
わかってるのはシンジ自身にだけでしょ?
自信過剰は駄目だけど、自分はこれだけ頑張ったからこれだけの結果が出せたんだって思っていいと思う。
これだけ頑張ってこういう結果が出て、結果が出たなら、その結果を次にどう繋げていくのかって。
シンジはそういうふうに考えることだってできる人だと思ってる。
男の子は一気に伸びる時があるってパパも言ってた。でもそれは技とか肉体的な成長のことだけじゃない。
心だって同じことだよ。強い意志は強い肉体を育む。その意志を育てたのはシンジ自身。
もっと自信を持って前に進んで。決勝戦でも強い心で必ず勝って。強い心は全ての源だもの。
結果には必ず原因があるわ。頑張らなかったら絶対に今日の結果は出てない。
シンジが優勝できたなら、それはあんたがここにいる誰よりも頑張った証(あかし)なんだから。」


アスカは僕の腿の上に手を置いた。その手から温もりが伝ってくる。


「シンジ、あたし、そんな強い心を持って頑張ってくれたシンジが好き。世界で一番好き。」

「僕は・・・」


搾り出した声がかすれた。
今までそんなふうに僕のことを言ってくれた人はいなかった。
そんなふうに僕の事を認めてくれた人はいなかった。でもアスカが言ってくれたことは本当は僕の事じゃない。
アスカには僕の事がそんなふうに見えただけなんだ。
僕は、本当は、カヲルくんに君を奪われたくなくて、嫉妬と卑しい心で頑張っただけなんだ。
君に好かれたくてやっただけなんだ。君の前でかっこいいところを見せたいと思っただけなんだ。
強い意志で、より高邁な高みに在る結果に向かって頑張った、そんな立派な人間じゃないんだ。

でも、アスカ、君がそう言ってくれるなら、僕はこれから、もっと頑張れる。
動機は相変わらず君に好かれたくてやるだけなのかもしれない。君に格好いいところを見せたくてやるんだ。
本当は、苦しくて苦しくて、もっと楽に流したいと思いながら、怠けたいとか、だらけたいとか思いながら
するんだ。君に軽蔑されたくないだけの、見栄とやせ我慢なんだ。
それでも、それでも君が僕の事を信じてくれてるなら、僕はそのことを決して裏切らない。
君の為に僕は頑張る。だって、それが今の僕の真実なんだ。一番正直な心なんだ。
でも、それを積み重ねていけば、いつか君が信じてくれてるような自分に成れるかも知れない。
いや、きっとなってみせる。だから今は君に嘘をついている僕を赦して欲しい、アスカ。


僕は、腿の上に置かれたアスカの手の上に自分の手のひらを重ねた。


「ありがとう。アスカ。」


その重ねた手で、小さな手を強く握り締めた。
僕の中で、その時、まったく新しい何かが燃え上がったように思えたんだ。










第36話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 ぐふふふ!
 
二人とも勝ち進んだわよっ。
 私はまあ当然としても、
 シンジは自分の力をまだ意識してないのに、
 充分実力を発揮しているわよね。
 いよいよ、決勝。すっごい強敵が相手でしょうけど、
 がんばろうねっ、シンジ!
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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