(その壱)


(その弐)


(その参)

 

悪魔が来りて笛を吹く

 

 角川文庫・初版 昭和47年2月20日 本文448P 解説:中島河太郎

 金田一耕助の第8長編。
 青酸カリを使った凶悪な強盗殺人事件の容疑者だった元子爵が失踪、自殺死体で発見された。数ヶ月後、彼は家族の前にその姿を現す。自殺死体は別人だったのか。調査を依頼された金田一耕助は、彼の遺作とされる「悪魔が来りて笛を吹く」のフルートの調べと連続して起きる殺人事件に悩まされる。
 東映映画化のCMで横溝正史本人が語った「私はこの小説だけは映画にしたくなかった」という名コピーで有名である。
 実はこの小説が私の一番好きな横溝作品なのです。

 

 表紙は3バージョン有ります。

 

(その壱)

 これは凄く意味深な表紙です。未読の方のために多くを語ることは出来ません。、実は……!やっぱり止めておきます。これだけは言えるのが、単純に両性具有がトリックでも何でもありません。表紙絵から受けるイメージの不健全さがこの小説のベースになるのです。嗚呼、これ以上説明すると、もうダメ。

 

(その弐)

 これは不気味です。この悪魔の顔は忘れようにも忘れられません。中学に持っていったとき、同級生の女の子はこの表紙絵を見たその夜、夢に出てきたそうです。そりゃぁ怖かったことと思います。悪いことをしました。卒業後音信不通ですから、その後夢に再登場したかどうかはわかりません(たぶん出てきたと思います)。この後『横溝正史シリーズ』のタイトルバックやイメージ音楽集のレコードジャケット(『金田一耕助の冒険』)に使用されました。ある意味、横溝作品のビジュアルイメージの代表作といえるでしょう。この本を買ったときは帯(『横正シリーズ』の案内)がついていたので、しばらくの間は下部に描かれている裸婦に気づいていませんでした。

 

(その参)

 東映映画版(斎藤光正監督)公開時に変更になりました。これは不評でした。だって前のバージョンと比較されてしまったからです。代表作と比較されればキツイものがあります。金田一耕助で言えば、石坂浩二と豊川悦史のようなものです。豊川が悪いわけではないのです。石坂金田一がハマリすぎたのですから。
 今回は、悪魔と言うより椿元子爵のイメージですね。ただステンドグラスと左側のカーテンに斜陽の感じがよく出ています。

 

 

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