(その壱)

 

(その弐)

 

悪魔の手毬唄

 角川文庫・初版 昭和46年7月10日 本文480P 解説:大坪直行

 金田一耕助の第15長編。
 磯川警部に紹介された湯治場・鬼首村の亀の湯を訪れた金田一耕助は、映画や歌で活躍する大空ゆかりの帰郷騒動の渦中にいた。そして次々に起こる殺人事件。それは江戸時代から伝わる、鬼首村手毬唄の歌詞に酷似していたのだ。
 映像化では金田一映画の最高傑作というべき東宝・市川崑監督作品があります。この映画がなければ横溝ブームはあそこまでの大ブレイクにはならず、また際物扱いをされずに現在へと続くことはなかったでしょう。

 

 表紙は2バージョン有ります。

(その壱)

 1970年代前半(というより私たちの世代では昭和40年代後半)のムードが漂う表紙です。サイケデリックでありながら、反面四畳半フォークの時代でした。高度成長期(大人の時代)から若者の時代へと移行しようとしていた頃の空気がこの第一期の表紙絵にはあります。といっても、これはその時代を生きていた人間にしかわかりにくいような気がします。イメージで言うなら「神田川」「太陽にほえろ!」「学生運動」「オイルショック」「トイレットペーパーで行列」「帰ってきたウルトラマン」「アイドル歌手」……。「わかるかな?わかんねぇだろうなぁ」

 

(その弐)

 この表紙絵のインパクトの強さは凄いモノがあります。ただ手毬人形を描いただけなのですが、この作品の妖しさと哀しさが見事に人形の表情で表されています。実は前後関係がわからなかったので、当時映画がヒットしたからこういう表紙なんだと私たちは錯覚していました。表紙の方が先だったのです。もしかすると映画の複数の人形がスクリーンを動き回る、あの慄ろしい場面はこの表紙からインスパイアされたのかも知れません。

 

 

 

 

 

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