【オクラホマ州での運転免許】


オクラホマでの運転免許の取得についてすこしばかりまとめました。

【免許取得を】
運転免許の試験も実に思い出深いものでありました。日本にいる時に、同じ勤務先の同僚で、UCBarkleyに受かって同じ時期に留学する人が、どこからかカリフォルニア州の運転免許の筆記試験の問題を入手しておりましたので、私もコピーをもらい、渡米前にそれを解いて練習しておりました。
内容は、常識的なもので、使われている英語もプレーンなものでありました。運転免許を取るといっても、どこに行けば良いのか?たぶん、日本と同じく警察みたいな公的機関だろうけども、そもそもofficeはどこにあるのか?
実は、アパートを決めるにあたって大学の留学生事務局で紹介された、日本人学生会の代表という人物(私がその時までオクラホマで知った唯一の日本人)から、オクラホマ州の運転免許マニュアルなるものをもらっており、それに運転免許事務所の住所が書いてありました。
買ったばかりのセントラで、地図をたよりに行ってみると、小さなショッピングモールのような所の一室が事務所でありました。オクラホマ(アメリカ全土も?)は全ての通り(street)とか筋(avenue)には番号、名称があり、地図さえあれば初心者でも目的地にたどりつくことができます。
事務所に入ってみると、カウンターに向かって行列ができています。自分の用事がなんであれ、まずは並んでみます。
既に並んでいる人の多くは何か書類を持っています。何かあらかじめ要るのか?不安になりましたが、じっと並んで自分の順番を待ちます。
ところで、並んでいる間に前の方の人と係の人とのやりとりを聞いていると、しきりに係の人の「name,address,…D.O.B…」というせりふが大きな声で聞こえてきます。名前やら住所とならんで「D.O.B」とはなにか?
想像すると、「date of birth」ではないのか?きっとそうだ!生年月日だ!…などと考えつつ、自分の番になると、カウンターの係の人が「何でしょうか?」と決まり文句を言います。
私は、せりふは忘れましたが、運転免許を取りたい、と言うと係の人は書類を出してきて、これに生年月日やら身長を書け、と言います。やはり、生年月日とおぼしき欄を指して「…D.O.B…」と云うではありませんか。やった、当たりだ!などと悦に入って、やはり語学は現地で勉強するに限る、と思いました。列に並んでいる間に、知らなかった表現を覚えて、なぜか嬉しい。
あと、後ろの列に座っていた若い女性の会話を今でも覚えているのですが、最近日本に行ってきて、車を運転したようなことを喋ってました。その隣の人の何かの質問に対して、「…私の免許を日本政府が日本の免許として扱ってくれた」ということを云ってたのをはっきり覚えています。米国到着後、英語に自信をなくした筆者は話しかけられなかった…。


【まずは受付へ】
身分証明書として日本の赤いパスポートを提示しました。米国での筆者のstatusはF-1ビザ(学生)であります。
住所や名前は簡単に記入できますが、身長はフィートとインチで書かなくてはいけません。
ここで、はたと困りました。筆者は身長178pですが、これが何フィート&何インチになるのかさっぱりわかりません。
昔、中学生の頃見ていたセサミストリートのガイドブックで1フィートは約30pと書いてあったのを思い出し、また、インチはフィートの1/10だろうと判断し、適当に書いて提出しました。すると、係の人は、書類を見るなり、こんなはずはない、と言だ します。
ああ、家に帰って何かで調べながら正確に計算しなおして明日、また来るか、と少し不安になりかけました。ここで係員が、何センチだ?ときくので、178pですと答えると、なんと背後の壁に単位の対照表が貼ってあり、それを見てフィート&インチに置き換えて、係員が書類に書いてくれました。
この時はじめてわかったのですが、インチは十二進法のようでして、単純にセンチとメートルの関係ではありませんでした。米国在住中を通して、マイルはともかく、インチとフィートだけはどうしてもなじめませんでした。
書類を書きながら、その40代後半かと思われる白人男性の係員は、「日本のどこから来たのか?私の妻は日本の○○(日本の地名を言っているようだったが、その部分は聞き取れなかった)出身だ。」と言います。
なんと、こんなオクラホマの、町はずれの運転免許事務所の係員の奥さんが日本人とは!ているとは!さっきの後ろの列にいた女性の日本に行ったという会話といい、不思議でした。

【筆記試験】
カウンターの係員から、この問題をやれ、と言って試験問題を手渡されました。カウンターそばの空きスペースに、アメリカの学校でよく使う、肘掛け部分に小型の机がくっついたようなイスがばらばらと十脚くらい置いてあり、既に何人かが座って筆記試験に取り組んでいます。
試験というからには制限時間があると思い、私は、制限時間は?というセリフが思いつかなかったので、「何分以内に?」と尋ねました。係員は、関係ない、やりなさい、というしぐさでありました。すでに座っている人たち(高校生のような、若いひとが多かったようです)も、適当にやっている感じでありました。
時間制限がないなんて、なんて楽勝なんだ、と思いながら、小型テーブル付きのイスに座って筆記試験を解き始めました。内容は常識的なものだったように記憶していますが、わからないものもありました。こういう場合に登場する英語はすごくカンタンです。問題は全部選択式です。
先述の、州政府発行の運転免許ガイドは筆記試験の教科書みたいな項目も載ってましたので、それをよく読んでおいてよかったです。全く同じ問題もありました。駐車中の無人の車に自分の車をぶつけたらどうするか、という問題だけ覚えています。
時間の制限を気にしなくていいので、何度も何度も見直して、答案をカウンターの、先ほどの係員に渡しました。
すると係員は、そのままカウンターにて、目の前で即座に採点を始めました。じっと見ていると、何問か間違っていたようですが、一応、筆記試験には合格しました。
詳細は忘れましたが、その日は実技試験を受ける人がいっぱいなので、明日来るように言われたと思います。その日は、筆記試験合格を示す何かの書類をもらって帰りました。このとき分かったのですが、私が事務所に来たとき、既に並んでいた人たちのほとんどは、実技試験のために書類を持って並んでいたようです。

【実技試験】
翌日(たぶん)は朝早くかに家を出ました。アメリカ人は朝が早いのか、既に大勢の人が並んでいたように思います。
並んでいる間に、他の人の様子を見ていると、実技試験は自分のクルマで受験するようでした。試験官と一緒に事務所を出て、一緒に受験者の車に乗り込み、出かけていくようです。
しばらくすると戻ってきて、二人ともまた一緒に事務所に入り、受験者は試験官からもらった書類を持ってまた列に並んでいます。実技を終えた受験者は嬉しそうにしているので、きっと実技に合格したのでしょう。
試験官の方は、次の受験者を連れて、すぐまた外の駐車場に出ていきます。ここでまた発見をしました。実技受験のため座って順番を待っている若い女性が、実技を終えて黒人女性試験官と一緒に事務所に戻ってきた別の若い女性に尋ねていました。
「Was she tough?」
「あの試験官はキビシイかい?」という程度の意味かと判断しました。なるほど、そう言うのか。tough!ってよく登場するセリフです。
私の番になりました。白人の、がっちりした、怖そうなオッサンが試験官でした。一緒に事務所を出て、外に駐車してあるセントラの所まで来ます。クルマを見て、そのオッサン試験官殿が何かわめき始めました。フロントガラスの運転席側下部(Aピラーより)のステッカーを指さして、検査ぎれだと言っているのでした。
なるほど、日本でもルームミラー付近のガラス内側に車検済みのステッカーを貼りますが、アメリカでもそれがあり、暦年の下一桁と月数が表示してあります。確かに検査ぎれであります。全く気がつきませんでした。検査ぎれの状態で買ったようであります。
試験官は、オクラホマ州の形をしたマークを掲げているガソリンスタンドで検査を受けられるから、検査してから来い、と言います。うーん、また出費か…。検査って高いのかな?
「わかりました」と返事をすると、今度は、その試験官は、また何かわめきます。恥ずかしながら、すぐには理解できませんでした。どうやってここまで運転して来たのか、と問いただしていることがわかりました。なるほど、免許試験を受けに来る人はまだ免許を持っていないはずで、その点を指摘しているようでした。私が、国際免許証を持っている、と言うと、即座にOK、との返事がありました。ここで放免されました。試験官は事務所に戻りました。
一番最初の書類で、他州または他国の免許あり、の欄にチェックしておいたはずですが、記憶があいまいです。

【実技試験その2】
その日の午後(たぶん)、言われたとおりオクラホマ州を象った小さな看板を掲げている(認証工場のシンボルマークみたいなものでしょう)ガソリンスタンド(たくさんある)で検査を受けました。
どのような検査をしていたかは覚えていませんが、マフラーにプローブを差し込む検査の場面だけ覚えています。
排気ガスのテストか…もし不合格だったら調整とか何とか高いんだろうな、と不安でしたが、何事もなく合格したようで、5ドルだったか8ドルだったかの安い手数料を払って新しいステッカーを貼ってもらいました。
翌日(たぶん)、また早朝に家を出て運転免許事務所に出向きます。今日はいよいよ実技試験を受けられるだろうと緊張していました。
今度は、黒人女性の試験官でした。前回のオッサン試験官の時と同じように、一緒に外に出て、セントラの所まで来ました。前回と同じく、まずクルマのチェックのようです。車検ステッカーはもちろんOKです。次に自動車保険の加入証を見せろと言われて提示しました。保険は大事ですので、「AAA」の事務所で「FARMER'S」(後でわかったのですが、大手保険会社)という会社のに入ってました。
次に、黒人女性の試験官殿がホーン(クラクション)を鳴らせ、というので、ステアリングのホーンパッドをポンッと押してみると、なんと、いくら押しても鳴らない!え?
試験官は、たぶんヒューズだろう、修理してから来なさい、と言って、次の順番があるから自分は急いでいるとばかりに、速攻で事務所に戻ってしまいました。筆者は、ヒューズBOX内には予備のヒューズが刺さっているだろうから即直るだろうと思い、「待って、ヒューズBOXを見るから」と云いながらダッシュボードの下あたりをのぞき込もうとするのですが、黒人女性試験官は修理してから来いと云いながら、サッサと事務所に戻ってしまいました。
なんということだ、今度はホーンを修理しなくては。放心状態でそのまま運転席近くのヒューズボックスを開けて、ホーンと表示のあるヒューズを抜いて目視で点検してみましたが、ヒューズに異常はないようです。アパートに戻り、7月のオクラホマの暑い、快晴の中、駐車場でボンネットを開けて点検を始めました。停める場所は決まってませんので、2階にある自室のちょうど前あたりに停めてました。
クラクションの部品自体は、どんな車でもだいたい同じような場所にあり、セントラの場合もクラクションの部品自体はすぐに発見できました。学生時代は用がなくても毎日のようにボンネットを開けるような生活でしたので、その延長線みたいな感じです。ボンネットを開けたまま、ステアリングのホーンボタンを押してみると、カチリ、カチリとリレーと思しき音が聞こえるので、電気は来ていると判断しました。
たぶんクラクションの部品が故障しているのだろうと考え、新しい部品をを買ってきてそこに現在の配線をつなげれば鳴るだろう、と判断しました。
アパートのすぐ近くに自動車部品の店がありましたので、そこで部品を探しました。たぶん一番安いのを選んだはずです。かたつむりのような形のホーンでした。それを、部屋にあった、適当なビニールのひもで、熱に晒されない場所を選んで結わえました。
私はクルマいじりを趣味としていましたので、日本でなら、古い部品は取り外したうで、金具でステーやらを工夫して新しい部品をボルトで取り付けるところですが、米国に到着したばかりで工具も何もありません。本当に全く何もない、という状態です。
配線用コードもありませんので、なんとインドネシア人学生から中古で買ったテレビに付いてきた、VHFフィーダーを用いて活用しました。アパートはケーブルテレビが来てますので、オフィスで貰った同軸ケーブルで繋いでまして、VHFフィーダーは余ってたんです。助かった。
昔ながらの、300ΩのVHFフィーダーでこんなことするとは思ってもみませんでした。既存のホーンまでの配線の途中に線を付け足して新しいホーン本体に接続し、接続部はくねくねと撚ったうえで防水のためにテープを巻きました。
ステアリングのホーンボタンを押すと、安っぽい音色の音が鳴りました。このときなぜか、すごく感動しました。何もない状況で、応急修理で直ったのがエラク感動…。こんな修理でしたが、その後無事、2年間耐えたようです。(私はクラクションは鳴らさない人で、ましてアメリカでは鳴らすこともありませんでしたが。)

【実技試験その3】
ホーンを修理して、翌日の早朝、またまた運転免許事務所に行きました。国際免許証があるので、急ぐ必要はなかったかもしれませんが、そもそも有効期間は1年間ですし、米国では実に頻繁にIDを提示する機会があり、いちいちパスポートなど出すのも煩わしく(普通のOklahomanにとっ<て、日本のパスポートなどわけがわからん代物のはず)、早く免許は取っておきたいと思いました。また、大学での講義やらが始まる時期までに、勉強以外の用事はなるべく完了させておきたいという思いもありました。
3回めの実技試験では、前回と同じ黒人女性試験官でありました。ホーンのテストでは、意気揚々と、修理したホーン鳴らしてみせました。これでようやく、試験官を助手席に乗せる段階までたどりついたわけです。
乗るとすぐに、試験官が、開口一番、「この駐車方法ではいけない。駐車枠からバックでクルマを出すところを観るので、駐車し直しなさい。」とおっしゃる。
私は、指定されたルートを走るのだけが試験だと思っており、クルマを出しやすいようにと、日本流に、バックで駐車していたのでした。ところが、試験の第一段階は、頭から駐車したクルマをバックで出すのを観る、というのでした。
米国(とくにオクラホマのような、いまだ米国流クルマ生活の原風景を留めているような所)では、ほぼ、全てのクルマが頭から突っ込んで止めています。
私は日本流にバックで駐車していたのでした。私は試験官の指示に従い、せっかくバックで駐車したものを、一旦、枠から出して、改めて頭から突っ込んで駐車しなおしました。この状態になって初めて、試験官が助手席に乗ってきました。
バックでクルマを取り出すのが試験の第一段階であります。後は試験官の指示とおり、一般道路を走りました。
ところで、筆記試験を受ける前に書いたapplication_form に「他州または他国での運転免許保持状況」を記入する欄があり、持っていると記入したと記憶しています。
Oklahoma DOS(Department Of Safety)のガイドブックによると、米国内の他州の免許の継承制度はないようでありました。州をまたいで引っ越したら、その州で免許を取り直すんでしょうか?免許事務所でいろいろな年齢の人が列に並んでいる様子を観察していると、他の州から引っ越してきた普通の米国人の受験も多かったということか。
そういうことを考えると、他の州から引っ越してきた米国人の受験も結構ある状況の中で、私も一応、外国で免許を持っており、運転できることを試験官は分かってくれているだろうから、本日の実技試験はまあ、単なる確認のようなものと思ってくれているだろう、と勝手に判断しました。
左右確認とか、基本的な交通ルールは共通のはずですが、それでも初めての右側通行ですし、外国でありますので、やはり緊張しました。何といっても、英語の指示を理解してそのとおりに運転しないといけません。一旦停止、左折・右折など、大げさに首を振って安全確認を行いながら安全運転に徹しました。
隣で黒人女性試験官がチェックシートのようなものになにやら書いているのがものすごく気になってしまいます。ここで私は日本で運転免許を取ったときの実技試験を思い出しました。日本の大都市では実技試験免除の自動車学校(当時約20万円超)に行って免許を取るのが普通のようですが、私が学生時代を過ごした九州では、学生は安い教習所(当時約7万円)で運転実技だけ習い、仮免も本免も公安委員会で試験を受ける、という昔ながらのやり方が主流でありました(1980年代なかばの話)。
夏休みに関西に戻ると、友人はそんなやり方は知らない、とのことでありましたが。佐賀の中心部から離れたところに試験場があり、本免の公道試験もオクラホマと同じようなカントリーロードで行われました。 しかしあの時は日本語だった…。
話がそれましたが、無事、指示とおりのルートを走行し、駐車場まで戻りました。また頭から突っ込んで駐車します。
試験官のコメントは、忘れた部分もありますが、「あなたの運転は結構だが、左折のときに中央に寄りすぎる」と指摘されたのだけは覚えています。左折(日本でなら右折)のとき、心もち、中央に寄るようにしていました。日本でそう習ったように記憶していましたので。しなくてもよかったのか。
なにはともあれ、無事、実技試験にも合格し、その場で何かの書類を試験官からもらって、再度、事務所内のカウンターに並びました。筆記試験も実技試験も合格しているので、今回は意気揚々状態です。カウンターでは、先ほどの黒人女性試験官から貰った書類を提出したはずです。さらにその場で作ってもらった書類を「tag agency」という市中の事務所にもっていって、運転免許証を作ってもらえ、と言われました。
「tag agency」とは、委託を受けた民間事業者のようでして、運転免許以外にも、自動車税の納付とか、クルマの個人売買(セントラを買ったときもお世話になった)などを取扱っているようです。
「tag agency」はいくつかあるようですが、大学の近所にある、tag agency(名前は忘れました)で無事、オクラホマ州の運転免許証を作ってもらいました。免許事務所から貰った書類を提出し、さらに何か身分証を、と云われたので、たぶんパスポートを提出したと思います。受付の白人女性が大げさにパスポートをかざして筆者と見比べながら、「It's you!」と叫んでいたのを覚えています。(笑顔で、「間違いなくアンタだわ!」のニュアンス)
そこで写真を撮ってもらい、はれてオクラホマ州の運転免許証を手にしました。嬉しくてしょうがなかったことをいまでも覚えています。ニコニコしながら、セントラを運転してアパートに帰りました。


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