もう一度ジュウシマツを
− 8 − 「隣にいる人は」
こめどころ 2004.4.14(発表)5.13(修正補筆掲載) |
「へぇ、ウルムってアインシュタインの生まれた所なんだ。」
南部の明るい陽射しの街。欧州一の大きな聖堂や企業の研究所や、観光名所もいっぱいある街。漁師
の街、「傾いた家」アインシュタインの記念建造物、博物館。陽光に溢れた南ドイツの街。やっぱり
ドイツの街は綺麗だなあと感心し、次々とページを開いてく。ウルムの街並み、裏通り、公園の中に
出来たような街。どうしてこの街を惣流は僕に見せようと思ったんだろ。僕は写真をめくりながら考
える。
「どうしたのお兄ちゃん。あ、綺麗な街ねえ、惣流さんの田舎?」
「え、ああ、そうだよ、きっとそうなんだレイ。」
「何のこと?」
「そうだ、ここはきっとあいつの田舎なんだ。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが住んでるんだ。」
ここは南ドイツのウルムって街だよ。きっとここが惣流の田舎なんだ、そうレイに息を切って教えた。
何でこんなに興奮してるんだろ。惣流の秘密を教えてもらったからかな。Web.でここを見てって言わ
れたんだよ。惣流ってドイツの血が流れてるんだ。
「単純、頑固、加えて短気。理屈っぽくて血の気が多いと。そう言われればドイツ人以外の何者でも
無いわね。映画なんかでドイツ人を演じる時の類型そのものじゃない惣流さんて。ふふふ。」
レイは笑いながら冗談めかして言ったけど、その目が5年生らしからず少し意地悪っぽいのに気づいた。
あれ?レイはあんまり惣流の事好きじゃないのかな。それとも僕が興奮してるからしらけているんだろ
うか。呆れてるって目とはちょっと違うような気がする。
お兄ちゃんの馬鹿。昨日の今日でさっそく思ってた通りの展開になったじゃない。もっと冷静に振舞お
うと思ってたのに意外と私ってやきもち焼きだったのかな。こんなにムカッとするなんて思わなかった。
何よ、惣流さんの田舎を教えてもらったことぐらいが何でそんなに嬉しいのよ。
馬鹿、バカバカ。ついでに私も大馬鹿よ。何か言い訳しようとしてるお兄ちゃん、何も聞いてなんかあ
げないんだから。それにしてもどうして急に積極的に出てきたのかしら。女の子がほんのささやかな事
でも自分の事を教えるなんて、心境の大変化ね。
「ねぇ、今日惣流のお姉ちゃんと何の話をしたの?」
急に今考えてる事と別の方向から尋ねられてお兄は慌てた。お兄から何か聞きだそうとする時は、この
手に限るわ。それにしても何年もこの手が利くなんてお兄ちゃんも進歩無いなぁ。
「え、うん。レイと昨日お弁当持ってハイキング行って、一日中野原を歩き回ったっていう話と…」
あとは聞く必要も無い。それだ。惣流さん羨ましかったんだわ。単純明快、ほんとにドイツ人ね。
でも羨ましくて対抗してくるなんてとっても可愛いわ。さてここで賢い妹としてはどう振舞うべきか。
まだお兄ちゃんの事好きって訳じゃないみたい。きっとちょっと対抗してみたかったのね。困ったな。
さっきはカッとしたけど、別に惣流さんを嫌いって訳でも無いし、お兄ちゃんのガールフレンドとし
てはむしろうってつけみたいな気もするしなぁ。
もう、さっきまでやきもち焼きで済んだのに、なんでこんな事までお兄の面倒見てやらなくちゃいけ
ないのよ。この貸しは必ず返してもらおう…だめ、あのお兄ちゃんに返せるわけが無い。惣流さんに
返してもらうというのも無理がありそう…ただ働きの可能性が大きそうね。
「アスカちゃん、アスカちゃん。」
「え、何ママ。」
「さっきから何回も御飯だって呼んでるのに、心配しちゃったわ。」
何を心配したかって、それはいつも帰ってくるなり、お腹すいたお腹すいたとしか言わない娘が、
御飯だといっても返事もしなければ、ママとしてはさぞ心配だったろうと思う。
「ちょっと宿題の事考えてたの。すぐ行く。」
あたしは十姉妹の餌入れを取り、表面を吹いて殻を飛ばし補充をし、水を綺麗な物に取り替えた。
そのままカゴを机の上に置いたままそれをぼんやり眺めていたんだ。一体何を考えていたのか、
自分でもよく分からない。何も考えていなかったような気もするし、何か大事な事を考えていた
ような気もするのだ。そういえばまだ制服も着替えていないじゃない。
そう思いながら、ママに返事をしただけで、まだそれきり動いてもいない。頭から制服のベレーを取
り、座り込んでいたベッドの枕に向かって投げた。それからブラウスの一番上のボタンを外して、銀
と紺のタイを抜き取った。はぁ、とため息が出た。ため息を吐くと幸せが逃げるっていう諺を思い出
したけど、何をするでもなく、そのまま後ろにひっくり返った。腰のホックを外してファスナーを降
ろし、お尻を浮かしてスカートを床に落とした。両足をこすって両方のソックスも脱ぎ落とした。身
体が火照ってぼんやりする。風邪をひいたらしい。こんなに身体がだるいなんてどうかしてる。風邪
薬をママに出して貰わなくちゃ。しっかりしなくちゃいけないのに。パパは暫く出張から帰ってこな
いんだから。
ペタ、と暖かい誰かの手が腿に触れた。小さな手。びっくりして目を開くと可愛い弟が笑っていた。
「あーたん、まだ、おなかすいてない?」
黒い髪、黒い瞳。あたしと姉弟だといってもなかなか信じてもらえないけど、部品の色を変えれば、
結構似ているかもしれないあたしの小さな弟。彼はあたしの小鳥を気に入っていて、直ぐに扉を開け
ようとするので、そこには鍵をかけて有る。窓が閉まっていたから良かったけど、一度カゴをひっく
り返して、全部逃がしてしまった事が有るんだ。幸いうちの十姉妹は全部手乗りだから直ぐに回収で
来たけれど、窓が開いてたらお終いだった。お母さんはあたしにすごく謝った。ごめんなさいごめん
なさいって。小さい弟のやった事であたしがそんなに怒るわけ無いのにいつまでも謝っていた。
そうか、やっぱりあたしは自分の産んだ子じゃないから、あたしが怒り出したらあたしを叱る訳には
いかないから、そんな風に一生懸命謝るんだと、あたしは思ってしまった。でも、あたしたちは血の
つながった姉弟。それだけは誰が否定しても否定できない。
「そうだね、あーちゃん、お腹すいちゃった。」
急いで上の制服も脱いで普段着に着替えると、小さな弟に手を引かれて居間に引かれていった。
ほうれん草のソテーとミニステーキのいい匂いがした。これは私の好物なんだ。
僕の妹レイは一風変わった女の子だ。リツコさんといい惣流さんといい、僕の周りには変わった女
の子が集まる宿命でもあるんだろうか。その筆頭みたいな子なんだ、妹は。
下級生の頃のレイは大人しくて引っ込み思案で僕に付いて歩いてばかりいた。レイがいると男同士の
乱暴な遊びが出来ない。森や藪をどんどん突っ切っていく遊びなんかは男の子でも小さいのは連れて
行かないんだから当然の事だった。
レイは友達も少なかったし、小さい頃は今よりもっと容貌が違うのがはっきりしていたせいも有る。
それでも一定の友達が遊びに来るのは弱々しそうに見える姿とは違って、健康優良児であった事と
一旦怒らせると男の子達がタジタジになるくらい気の強い、激しい所があったから。結構同級生に
頼られていたからなんだ。
それって何時ごろからだったろうか。こんな風に男の子っぽくなったのは。昔、公園で男の子3人組
にからかわれ、拳を握ってボクシングスタイルで睨みあいになった事が有る。僕が公園の端っこから
駆けつけたときは既に一人は大泣きしてて、もう一人は泥の塊を顔にぶつけられて口と目に入ったと
か言ってやはり泣いていた。もう一人は完全に戦意喪失して、逃げ腰になっていた。
その子達の母親達は自分の子供が泣かされるとやっと駆けつけてきて激しく文句を言って来た。
こういう人がほんとにいるなんて、信じられなかったけど、いるんだなあ、と思ってまじまじ見てし
まった。レイはケロリとして、ごめんなさい、もう泣かされたくなかったら女の子をいじめないでね、
と言い放ち、くるりと振り返って家に向かった。苦笑しながら僕は後を追っかけたんだっけ。あれは
なかなか格好よかった。
高学年になるに従い今度は剃刀みたいに怜悧な部分が伸びてきたのはリツコさんの影響も有るかもし
れない。算数や理科がダントツに得意なのは一体誰に似たんだろう。もしかしてお母さん?母さんも
父さんも研究者だったけど、母さんが引退して亡くなると、父さんは研究者であること自体を辞めて
しまった。
色々理由をつけてたけど、研究所にいる事が辛かったんだ。元々科学者なんて柄じゃなかった父さん
は、営業部でどんどん出世して今の地位を築いた。(といってもどのくらい偉いのか僕には分からな
いのだけれど)父さん付きの運転手さんに言わせるとそれでも元の研究所の副所長の方が格上だった
らしいから、逆に言えば父さんの打撃の大きさがわかろうというものだ。そしてレイの怜悧な部分は
父さんに似たとも言えるのかもしれない。どちらにせよ僕自身が情け無いくらい女っぽくて、未だに
引きずっているのに比べれば、レイは父似だろうと母似だろうとよほどしっかりしてると思う。
そういう意味では僕は小鳥たちにすがる様にしてやっと心のバランスを保ったんだと思う。母さんが
最後に僕に示してくれたお父さんにお嫁さんを貰ってあげなくちゃね、と言ってくれたお年玉の事を
未だに忘れられない。母さんはもうあの時自分が2度とこの家に帰って来れ無い事を知っていたんだ。
僕の十姉妹の事を言っただけではなく、お父さんにお嫁さんを貰ってあげなくちゃという意味もあっ
たに違いない。そして僕とレイの事もその人に託していかなくてはならないと思ったんだ。母親とし
て、それはどんなにか辛い事だったろう。そして妻としてどんなにか悲しい事だったろう。
父さんは一度だけ母さんの亡くなる間際の事を話してくれた。シンジの事だけが心配、シンジをお願
い、あなた。母さんは僕の何をそんなに心配したんだろう。今僕は14歳になり、大人になりつつあ
る自分を意識している。母さんは今の僕を見てもまだ心配だというだろうか。翼の生えた夢を見たと
言っていた母さん。母さんは十姉妹になって近くにいてくれたの?それとも天使になって飛んでいっ
てしまったの?
僕はレイの中に母さんの面影を見ている。
レイは大人びて、僕を子ども扱いする事も有るくらいになった。
「シンジ。話がある。」
父さんが僕を呼んだ。父さんはサングラスの奥から僕を見つめ、僕は何時もと違う雰囲気に緊張した。
それは、父さん自身も同じようだった。
「リツコ君と再婚しようと思っている。お前とレイが同意すればというのが彼女の条件だ。」
「僕らの同意?」
「お前達が同意しなければこの話は流れる。…そういうことだ。」
リツコさんが…僕らの母さんに。
「レイさえいいなら僕は何も言うことはありません。」
「わかった。レイにはリツコ君が既に同意を貰っている。」
――母さん。…母さん、母さんはそれでいいの?
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弟、弟!珍しいでしょ。私の弟って。
すっごく可愛いよねっ!
ちゃあんと面倒見てるのよ。
どこの誰よ、小さな弟に面倒見てもらってるんじゃないかって?
はん!麗しき姉弟愛ってヤツよ。
シンジもホントは弟キャラって感じだから私にぴったりってわけよ。
ふんっ!こじつけじゃないわよ。
で、そのシンジにはお父さんの再婚話。知らぬは本人だけって感じよねぇ。さすがは鈍感魔王だわ。
でも、変に傷つかなきゃいいけどね。ちょっと心配。
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。