もう一度ジュウシマツを
− 12 − 「僕と彼女」
こめどころ 2004.4.30(発表)5.26(修正補筆掲載) |
正月も何も雑煮を食べおせちを摘まむのもそこそこに僕は立ち上がると自室に篭った。何しろ
1月10日には内部進学考査でもっともポイントが高い進級試験があるのだ。それに反して今年
中学に進学するレイはのんびりしたものだ。何故こんなに逼迫間に差が有るかというと「地の塩」
学園はエスカレーター制の進学なので、よほど劣悪な成績を取っていない限りは自動的に進学
できる。修永館は厳しい進学考査があり、毎年約15%の生徒が高校に進学できない。内部基準
があってそこに達しない生徒は容赦なく切り落とされるのだ。合併の際もっとも問題になったの
は、この学制の差だった。地の塩は基本的に小学校6年のうち5年で小学過程を終らせ、6年で
中一の授業をする。修永館は中学1,2年できちんと基礎を学び中3と高校の2年間で高校3年
分の過程をこなすようになっている。小1〜高2の間で1年分を進める「地の塩」と、高校3年
分を中3高1の2年間でほぼ修学する修永館では授業進度に差がありすぎるのだ。
だが今年度からはカリキュラムは合同し、中高5年間で6年分を処理する事になった。つまり、
「地の塩」の中高進度が厳しくなるのだ。小等部は今までと同じく5年で終るが中学に踏み込ま
ずにゆとりの時間を多くとり、行事クラブに多くの時間を割くことになった。受験的に不利と言
う声もあったが中学受験の殆ど無い「地の塩」では余り問題はなかったのだ。むしろ中学で転入
して来たアスカが進んだ授業に問題なく付いてきていることが、むしろ不思議なことだったのだ。
さて、元旦の午後2時頃だったろうか。突然チャイムが鳴って、レイがバタバタと玄関に迎えに
出た様だった。賑やかなざわめき。誰かレイの友達が遊びに来たらしい、追い詰められ、ゆとり
のなくなっていた僕は、正月も何も関係ないと思い、いらいらしていた。
――と思う間もなく僕の部屋のドアが、いきなりバーンと開いた。言うまでも無くこういう傍若
無人な事をする奴は惣流に決まってる。
僕はかっとして振り返り叫んだ。
「試験勉強中なのがわからないのかっ?君ら「地の塩」とは違うんだぞっ!」
と言ってからしまったと思った。満面に笑みを浮かべていた惣流の顔が青ざめ見る見るうちに顔
が歪んでいく所だった。すごく綺麗な、惣流を溺愛してる彼女のお父さんが目が眩んで買い込ん
だのであろう、素晴らしい着物と帯を締めて、髪を結い上げた惣流がそこにいたんだ。え、なん
だよ。こんな時にそんな格好してるなんて卑怯じゃないか。
――うわぁぁ、まずい!
次の瞬間、僕は立ち上がって泣きそうになっている惣流の正面10cmの所に跳び出してた。
もう見違えちゃったよとか、すごく綺麗だよとか、こんなに着物が似合うとは思わなかったとか、
もう絶対誰がなんといっても最高!なんて叫び続けて惣流の両肩をバンバン叩いて叫んでた。
現金なもので泣きべそをかきかけてた彼女の顔はすぐほころんで、本当に本当?綺麗だと思う?
とかまるで女の子みたいな様子で僕を見上げて恥ずかしそうに言った。こうなると僕の方だって
惣流が可愛いって事を否定なんかできやしない。
実際赤金の髪をきちっと結い上げ、潤んだ濃い青の目で僕を下から見上げる惣流は暴力的なまで
に可愛くて、綺麗で、僕はもうノックダウン直前だった。
無言で俯いて立ち尽くしている2人に、階段を上って来たレイの奴が、ほらほらこんなとこで見
詰め合ってないでないで行きましょうよって言ってくれなかったら僕らはいつまでもそこで馬鹿
みたいに固まったままでいたに違いなかった。
階段の下でリツコさんが座敷にいらっしゃいと呼んでいる。レイに促されて惣流は床の間の部屋
の方に行ってしまった。階段を下りていく2人、と思ったら途中から足音も荒くレイが駆け上っ
てきた。声を潜めたままレイは僕の顔の正面で怒鳴る。
「お兄ちゃん!
命が惜しかったらもっと慎重にしなきゃだめよ。五体投地くらいじゃ収らないっ
てこと、アスカちゃん相手ならわかってるでんしょ。もう今度こそ駄目かっ、碇シンジ最後の日
かーっ!て思っちゃった。」
「わかってるよ。今回余りも突然だったからとりみだしちゃって。」
ああもう、レイにはいい出し物だったろうよ。
「ふふふふ。あの褒め言葉、本音だったんじゃないの〜?」
図星を指されて慌てた。
「ほ、本音なんかじゃ――でもわざわざ着物を見せようと思ってくれるなんて意外と可愛い所
あるし、女らしいとこもあるんだなって。」
「ほら、もう。意外とじゃなくて、せめて、時々思うけど、くらい言うの。」
「なるほど、言い方で随分違うか。」
「長生きの秘訣よ。ほらっ、お兄ちゃんも座敷にくるっ。」
レイは惣流みたいな絹の着物じゃなく朱色の絣の着物。そういうと身を翻してもう一度階段を
駆け下りていった。わが妹ながらなかなか可愛いじゃないか。シスコンを自負する僕としては
このしっかり者の妹に大分やられまくっているのだが悪い気はしない。まぁその分ちゃっかり
僕からもお年玉をせしめるような奴なんだけどね。それでもいいや。どうせ使い道の無いお年
玉や小使いが随分溜まっているからいいんだけどさ。
それから30分ほど、父さんとリツコさん、レイも交えて4人で談笑し、学校やクラブでの僕
の様子がすっぱ抜かれたりして盛り上がった。袂で口を押さえる惣流なんてはじめてみたよ。
猫っかぶりも着物の着こなしも振舞いもたいしたもんだ。ちゃんと女の子に見えるじゃないか。
そして惣流は、シンジ君の勉強の邪魔になるからと言い、鮮やかに引き上げていった。
ついでに年賀状が来ていたので、ポストから引っ張り出した。父さんのが半分以上500枚も
あるだろうか。リツコさんも100枚以上ある。レイには学校だけではなく遠く九州や北海道
からも着ている。弓道の大会か何かで知り合った人からだろうか。これもリツコさんと同じく
らいかそれ以上にある。それに比べると僕にはせいぜい30枚ほどだ。親しい連中は殆ど年賀
メールを寄越す為もあるけどやはりグッと少ないなあ。高校に進学したらもっと活動的に変ろ
うなどと決意したところで惣流からの年賀状をみつけた。自分らしい着物姿の女の子が正座し
て頭をちょっと下げてVサインを出してるイラストが可愛かった。
「試験頑張んなさいよ、か。」
28m先の36cmの的に当てる。それが近代弓道。妹は小さい頃からこの競技が何故か大好き
で、殆ど休むことなく神社脇の弓道場に通っていた。洞木に聞くまでレイがどんな事をしている
のか知る事はなかったのだが、小6の現在既に2段を持っているらしい。実力的には近くの的を
当てる競技(近的)でも遠くの的を狙う競技(遠的)でも『射型定まり、体配落ち着き、気息正
しく、射術の運用が法に従い、矢飛び鋭く的中確実の域に既に達している』という。正直言って
僕にはよく分からないのだが弓道部の先生に言わせると、既に四段五段の力が有るなどというの
だから、相当たいしたものらしい。こっそり覗かせて貰ったのだが、レイの弓が美しいと評判で
あるのはその通りだろうと思った。高等部の女子部員と比較してもその纏う雰囲気や気迫、弓を
射る弦の音などが全く違う。長身の(164ある)姿に、実力とは関係ないだろうけど、真剣な眦
が実に美しいと思った。これがあの何時も甘えてくる僕のレイだろうか。不思議に思った。
妹が試合に僕らが来ないで欲しいという理由。それは弓と関わっている時の彼女はまったくの別
人格であるように見えるからだろう。見えるというだけではない。実際別の次元に存在する別の
女性であるようにさえ思えたのだ。吸い込まれるように的に置かれていくレイの矢は弓矢という
武術の道具ではなく手を離した物がそこに転移したかのようだった。鋭い弓の音さえはっとする
程だった。レイは僕の妹で父さんの娘であるのと同時に、この弓道という競技に何かを見出して、
それに取り組んでいる。それはレイが幼いときから持っていた彼女だけが育んでいる世界なんだ。
寒稽古に続く柔道部の早朝稽古が続いていた。進級試験と口頭試問が終った次の日12日朝6時。
久しぶりに武道場に顔を出した。
柔道着はいい。これを着て帯を締めると、何かほっとして気力が充実する。準備体操をし、関節
や筋肉を念入りにほぐす。畳の隅に端座し、既に始まっている稽古を意識しながら黙想を続けた。
黙想をしているだけで、次第に凍えていた身体が温まり気合が充実し身体が滾ってくる。目を開
き、正面に向かって礼。そして神棚に向かっても深く礼をする。
「誰か打ち込みを付き合ってくれないか。」
休憩し息を整えていた部員に声を掛けると2年生の一人が手を挙げて正面に立った。次の中等部
部長になった奴だ。飛び込み背負い、体落とし、大外刈りなどの打ち込みを50本ずつほどこな
すとようやく身体が温まり汗ばみ始めた。
「碇さん、相変わらずの引きですね。三ヶ月も休んでたのに全然なまってない。」
「暇があればサーキットの一部をやっていたけどな。練習終ったらどうなっている事やら。」
「じゃ、そろそろ行きます?乱取り。」
「そうだね。」
「ようし、各自乱取り始め!」
体を瞬間ひねって背負いから体落としに巻き込んで一本。
「次っ!」
「お願いしますっ!」
小柄な影が飛び込んできた。速いっ。
「惣流ッ!」
「退屈だった。やっと復帰すんの?」
「ああ。」
言い様体落としを3回連続、惣流はまるで体操選手のように技をかわしてくるくると体を回して
逃げる。まるで連続して側転を打っているようだ、投げても切られて手をついて立ってしまう。
ムキになってつかんだ所を払い巻き込みで引き倒され、ひしぎ技に持ち込まれた。
関節技の得意な惣流のいつものパターンだ。しまった。自分の脚を使った腕ひしぎ脚固めは非力
な女子には向いている。我慢すれば靱帯が切れる事になるので、決まった段階で大抵は参ったを
することになる。惣流の場合は手加減無しだから急がないと余計危ない。高等部の先輩が実際に
切られてしまった事が有る。荒っぽいのいが身上の学校だから、何の問題にもならなかったが、
それ以来みな直ぐに参ったをすることにしている。けどその時は惣流が自分で腕を放して立った。
ちぇっ、これくらいじゃ物足りないってことか。アスカの弱点は背の高さだ。結局彼女の身長は
162cmで止まってそのことで彼女を大いに悔しがらせた。小6で164cmもあるレイが身近に
いるのでなおさらだった。僕が172を越えた時は食って掛かった。生意気だとか、頭が空っぽ
だから背が伸びるんだとかむちゃくちゃ言われたな。体格差がある相手には関節技が一番という
事で、一層磨きがかかったという事だ。だからお前のせいだ、と仲間は言う。
それは常々、何が悔しいってシンジに負けるのが何より悔しいってあいつが公言してるからだ。
はっとした途端飛び込まれて背負いを喰らっていた。惣流の背負いは背負い巻き落としに近い。
男子とやるときには特に自分の体重と身長差を埋める事ができるからだ。逆に奥襟をつかんで
大外を掛けられれば意外と脆い。左手での逆内股も有効だ。寝技ならもっといいが練習の最中に
は、直ぐにHとかすけべとか悲鳴を上げたりするので余り使えない。ずるいよ。
たっぷり30分惣流とやったらもう汗だくになった。心臓が苦しい。やはり大分なまっているな。
端座して帯を解き、汗を手ぬぐいで拭う。横に激しい息遣いのまま惣流も座った。僕から手拭い
を取ると、胴着の裾から手を入れて背中を拭いてくれた。ああ気持ちいい。けどおい、そのまま
自分の顔や身体、拭くなってば。こいつ全然自分が女だって思って無いのか、僕を男扱いしてな
いのか、まったく。
「どうだった試験。電話、しようと思ったんだけどさ。止めといた。」
「どうして。」
「昨日こっちに顔、出さなかったじゃない。疲れてるんだろうなって、思ったの。多分寝てるん
だろうって思って。」
まだ息が荒れたまま、2人で喋った。久々に柔道着を着たのと同じような感慨が胸に溢れる。
「そうなんだ、飯食ったら寝ちゃって、気づいたら朝だった。」
「それで、結果はどう?」
「やるだけはやった。自己採点では78くらいかな、平均。」
「大体80取れれば確定とか聞いたわ。」
「そりゃ厳しいかな。平均が72,3の問題を出すって数学のケサミさんは言ってたけど。」
「じゃあ、やっぱりそのくらいじゃないの80点。78なら多分大丈夫じゃない?」
「だといいけどね。もう済んだことだからどうでもいいや。駄目だったら落第しようか。」
「じゃあ、あんた後輩になるんだ。それも楽しいわね。あはは。」
ひとしきり笑ったあと、彼女は真顔になって僕の横に少し寄って言った。
「大丈夫。あんたはいつも結果を内輪に見る奴だもの。合格はあたしが保証したげる。」
汗が一筋、額から顎まで伝って落ちた。その言葉はすごく信憑性があって、僕は思わず
うん、なんて言って肯いていた。
結局1月の20日、僕は見事に合格した。その年は皆大変頑張ったらしく15%ではなく
僅か6%の非推薦率だった。職員室でこんな会話を聞いた。思わず吹いた。
「これも女生徒効果ですかな。」
「女の子に発破を掛けられると、男は際限なく頑張りますから。」
「彼女のいる奴いない奴で成績の統計を取って見ましょうか。面白い結果になりそうだ。」
同じくその日、僕は帰り道で惣流に何とか合格したよって、報告した。
「そう。」
「だからまた、3年間一緒に学校に通うことになる。」
「そう。」
「それだけかよ。」
「何か言って欲しい?シンジ。」
「あ…ああ。」
「ちょっと耳貸して。もっとよっ! あのさ、合格のプレゼントをあげる。」
ドキッとした。合格したらキスしてくれることになってる、なんていう青春ドラマが良く
あるじゃないか。――いや、期待なんかして無いよっ。思い出しただけっ。
「拒絶は絶対出来ないんだ、欲しいって言ったら。――それでも欲しい?」
ごくっと唾を飲んだ。
「欲しい。」
惣流の唇が。柔らかく動いた。僕は堅く目をつむった。息遣いが近づく。
「あたしのこと、アスカって呼んでもいいよ。」
は、はめられたっ!
目を開いて、猛然と抗議しようとした。少年の健全な欲望を逆手にとってっ!
「ア、アスカッ!」
「あら、上出来じゃない。」
「こ、こんなのフェアじゃないよっ。こんな呼びかたしたら。」
「したら――何。」
「只でさえ色々言われてるのにさ。」
「わからない奴ねっ、あたしはそうなりたいって言ってんのに、ずっと言ってんのにっ!」
え?えええっ?だって、だって―――まさか。
「さ、それで返事はどうなのよ。」
「あ、あの?」
「あたしをアスカって呼ぶかどうか、さっきは上手に言えたじゃん。」
つまり、これから先僕は惣流をアスカッて、名前で呼ぶの?つまり回りの連中は僕らの事を
お付き合いしてるって、そう思うわけだよ。おかしいよ、僕らは付き合ってなんかいないよ。
ただ、毎日一緒に帰ったり、相談事をしたり、十姉妹の話をしたり、家族の事を語り合ったり。
――そんな事、他の誰としている?
「いやなの? そんなに考え込むくらい嫌なの?」
「そうじゃないよ!僕と、惣流のこと、ア、アスカのこと考えてた。この3年間の事。」
「そう。」
「そうだよ。」
坂の途中のバスのベンチに腰を下ろした。アスカも座った。
「あたしの、シンジといたい気持ちは家族といたいって気持ちとは違う。何かわからないけど。」
「僕もそうだよ。レイとアスカとは違う。父さんとも、リツコさんとも違う。」
「何に近いかしら。」
「そうだね。何に近いだろう。」
ああ――そうだ。初めて「お父さん」が僕の部屋に飛び込んできた、あの時の驚き、ときめき、
意外さ、これから何かが始まるんじゃないかと思って、握った手の中のジュウシマツの鼓動。
それを感じた時、手の中の命を感じたあの日。自分じゃない命と触れ合った、そのおののき。
恐怖と喜びがない混ぜになった、あの心。
僕は、惣流の顔に指を伸ばし、親指で頬に触れ顎を他の指で触れた。薬指の先にアスカの鼓動
が触れた。アスカも同じように僕に触れた。
「どきどきしてるね。」
「うん。アスカも。」
「付き合うって言ったって、今までと何も変らないわ。」
「そうだね、多分何も。ただ…」
「何よ。」
「アスカは――『僕の』アスカになるんだ。そうだろ。」
惣流は顔を真っ赤に染めた。そしていつもみたいにそれに対抗して言い放つ。
「シンジだって、あ・た・し・のになるんだからねっ。他の女の子と仲良くしたら駄目よっ。」
僕は苦笑いを浮かべて言った。――そんな子、今までだっていなかったじゃないか。
彼女は一瞬きょとんとして、そうか、そうよね。と言い、何か損しちゃったな、と笑った。
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ふっふっふぅ〜んっ!
ついにラブラブよ、ラブラブ!
すっかり盛り上がっちゃったわよね。
でも、まだしっくりこないわねぇ。シンジがまだほぐれてないのよね。
ずっとアスカって呼んでくれないし。惣流って言ったりアスカって言ったり。
ま、シンジはそういうヤツだから仕方ないか。
さあ、このあとはずっとラブラブ…ってことはないよね。きっと私たちには幾多の試練が待ち構えてるんだわ。がんばろっと!
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。