もう一度ジュウシマツを

 

− 22 −

「馬鹿シンジ泥だらけ」


 

こめどころ       2004.6.7(発表)








 道場棟らしき、白壁の建物の入口に靴を脱ぎ捨て、歓声の上がっている方向に急いだ。歓声は
廊下の奥のほうから聞こえてくる。その声は「礼!」と共にふっと小さくなり再び静かになった。
奥を曲がった途端に畳と汗の匂いが僕を包んだ。そこには30人ばかりの集団が周りを囲む中、
小柄な僕のアスカが20cmは背が高そうな大柄な男子と間合いを伺いながら曲線を描いて動き
続けていた。歪んだ顔をして対戦相手が手を伸ばす。その手が届かない所まで下がり、次の瞬間、
アスカは引こうとしたその道着の袖口を捉え親指を中にして絞り上げながらその腕を軸にして、
体を巻いて腕を完全にひしいだ。次の一瞬に左足を大きく伸ばして膝に当て襟つかみ、回転させ
るように体をあわせて飛ばした。2倍近い体躯の男が見事に宙に浮き上がったかと思うと一回転
して激しい音と共に畳に叩きつけられた。「ウオ―――ッ!」と言う歓声が爆発したように道場に
満ちる。その中央ですっくと立って汗の飛沫を煌かせ、解けた髪を払った僕の女の子。

アスカはにっこりと笑って僕に向かってブイサインを突き出して見せた。試合に集中し興奮して
いた他校の部員達が一斉に僕のほうを振り返った。黒板の勝ち抜き表を見るとSoryu Asukaと書
かれた所に10人分の線が集まっているじゃないか。また派手な事をしたもんだ。


「ヘイ、シンジ!随分遅いご到着ね!
 あなたも早速汗流さない。こっちでパッパと着替えちゃいなさいよっ!」


やれやれ、一人でしょぼくれてるかと思って急いで来てみたのに、むしろとっても楽しそうじゃ
ないか。まぁ、それでなくちゃまるでアスカらしくないよな。相手をしていたJ体育大高の顧問
教師らしき人が――混ざれ混ざれ!と大声で僕に向かって叫んだ。これじゃ逃げるわけにもいか
ないな。僕はその人に一礼すると道場の隅でシャツを脱ぎ道着に着替えた。下ばきをつけて端座
したところにアスカが戻ってきた。10人を抜くか負けると交代らしい。中央に礼をした後、隣
に座った。帯をややきつめに締め、黙想。アスカの息が荒れているのがわかる。熱気が伝わって
くる。平気そうな顔をしていたが、体力的には男子10人はもう限界だったはずだ。

目を開けるとアスカはじっと前を見据えたまま呼吸を整えることに集中しているようだった。試
合が続いていた。僕のほうはアスカとは逆に身体をウオームアップさせて行こうとしているのだ。
試合を見ながらそこで筋肉を反応させる。身体をどんな風に展開するか、つかむ、投げを打つ、
その瞬間を脳裏に描く。イメージトレーニングで筋肉や腱が動き、身体が準備されていく。長い
石段を昇って来たせいか、身体のほうは直ぐに準備完了。筋肉も十分ほぐれていた。


「後から来た君、お名前は?」

「森の原高校1年、碇シンジです。」


僕に名を尋ねた若い女の先生がにっこり笑いながら僕の名をボードに書き込んだ『碇』と。


「ちょっとシンジ。あの先生何故あんたの事知ってるのよ。」

「え、どうしてそう思うの。名前聞いてきたじゃないか。」

「馬鹿ねっ、イカリって聞いて『碇』って迷わず書ける人なんてめったにいるわけ無いじゃない。」


なるほどそういえばそうだ。深いえんじ色のジャージの上下に濡れ羽色に輝く豊かな髪。豊満な胸。
結構美人で年の頃はリツコさんくらいかな。


「ああいう女を振りまいてるような人は苦手、あたし。」

「見た目だけで判断するなよ。」

「あ、シンジはあの人庇うわけっ。」

「庇うも庇わないもまるで知らない人だよ。」

「じゃあなんで『碇』なんて字を他校の先生が知ってるのよ!」


小声で言い争っていると、その先生が僕を呼んだ。


「じゃあ、シンジ君こっちへ。」

「ほらっ、ずうずうしくもあんたの事名前で呼んだわよっ。」

「だから知らないって、僕を名前で呼ぶ人なんて父さん母さんリツコさん、そしてアスカだけだよ。
レイですら僕の事を名前で呼んだりしないでしょ。――はいっ。」


僕は中央に立って相手の部員を見た。すると先生は嬉しそうに僕の耳元で囁いた。


「えええっ!まさかっ、あ、いえ、すいません。あ、あのっ、宜しくお願いします。」


相手の選手は呆れた顔をした後、応じて礼をしてくれた。かなりの猛者のようだ。アスカに皆が
バタバタやられたので相当怒っている感じだ。お願いだからそのとばっちりを僕にぶつけないで
欲しい。


「うおぉぉっ!」「おりゃああっ!」


掛け声をかけて、アドレナリンをドンと噴出させる。野蛮だけど意外と効果的なんだ。
あれ?かなり強烈な手ごたえを感じると思ったんだけど、意外と引き付けが弱く直ぐにさし手を
切る事ができた。相手の実力は、襟をつかんだらそれだけで直ぐにわかってしまう。でかいけど
こいつ、弱い。2度、3度と僕は彼の両襟を持って前に引き降ろして崩した。案の定直ぐに体勢
が崩れた。バタ足になったところをちょんと脚を払ってやるとズダンと転がった。新人かな?そ
れにしては黒帯だし。2人目も3人目も、崩しと小さな技だけで簡単に転がってしまった。僕は
ちょっと機嫌が悪くなった。森の原は確かに今年たいしたところまで勝ち進めなかった、J高は
準決勝までいった。だから馬鹿にして経験の無い人ばかり当ててくるんだ、そう思ったからだ。
5人抜いたところで小休止が入った。僕はアスカの隣に戻って座った。ぽかんとした顔をしてい
た彼女が、はっとしたようにタオルを渡してくれた。


「ね、ねぇ。シンジ、一体どうしちゃったの?」

「ひどいよな。」

「え、なにが?」

「僕のこと馬鹿にして、初段取りたて程度の新人ばっかり当てて来てるんだ。」

「あんた何いってんの?あの辺の人たち、皆2年生だよ。2段の人も3人いたんだよ。」

「そんなこと――」


そう言いつつ勝ち抜き表を見ると、僕と対戦した人の名前の下に2って書いてある人が3人いた。
よく見るとアスカの名前にも数字がふってある。


『 A 荒川和夫 初 』 『 A 梶原洋介  2 』 『 A奥只見俊一   2 』
『 A 吉岡兼人 2 』 『 @ 北村隆一郎 初 』 『 @ Soryu Asuka 2 』


「シンジ凄い。道場に出てこないで何してんのかと思ってたけど。腰も膝も凄く安定していたし、
動きが凄く早くなって、切れが良くなってる。凄い。まるで違う人みたいっ。」

「え?そ、そうかな。」

「そうだよ、ああ、あたしなんか感動しちゃった。あの、あのっ!」


アスカは口をパクパク動かしたけど、言葉が出てこないみたいだった。最後に小さな声でやっと
言った。


「シンジ。シンジって。」

「え、どうしたのさ、アスカ。」

「やっぱり、あたしのシンジだけの事ある―――かも。」


アスカは真っ赤になって俯いた。
それを聞いた途端、自分の顔もまっかっかになったのがはっきりわかった。


「あ、アスカ――! 」


自分でも何言ってるのかわからないまま、アスカの名を呼んだ。

アスカが、はい、――と顔を上げたその途端、無情にもピッと笛が鳴った。試合再開だ。でも
さっきまでとは僕の意識は、もう全く違っていたんだ。嬉しい、凄く嬉しくて舞い上がりそう。
僕とアスカが何か顔を寄せ合って話して、2人で赤くなったりじたばたしたりしてるのはJ高の
方からも見えたわけで。当然のことながら相手の方だって、さっきまでの日中友好親善万歳って
感じからは程遠くなっており、ぎらぎらした羨望と嫉妬で、若い獣たちの匂いがぷんぷん漂って
道場の中に立ち込めていたわけ。

――さっきから見てればあの可愛い女の子といちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃ
しやがってこの野郎〜〜という吹きだしを僕の視野一杯に背負ってるようなおっさんが、目の前に
立っているのを肉眼で確認。


『初めっ!』

「うりゃあああっ!」

「うっしゃあああっ!」


かけひきなしっ、僕とそのおっさんはがっしりと組み合った。これは強い、もろに組んで左の袖と
襟を引き合う、そこでかなり力を入れても反応なし。ちょうど五分の力という感じだった。しかし
あの巌のような警察の遠藤さんと組んだ時とはまだ違う。ざざざ――っと畳を擦るように腰を落と
して移動する。引き、付き、脚を飛ばす。相手のミスを誘う、動きながらほころびを探す。どんな
に早く動いても、僕が何時も練習しているアスカより速く動ける奴なんかいるわけが無い。相手は
振り回され、着いて来るのがやっとだ。やっとなんだ、と堪えて堪えて、揺さぶり続ける。小出し
の技を交わし、相手の払いを返す。小技の応酬、だがこの相手は中途半端な技で勝負をかけて来な
いのが感じられる。熱い息が相手との間の力比べに堪えている間も汗と一緒に畳に零れ落ちる。

「うんっ!」「おしっ!」

急に体を捌き、方向を変えたと見せかけ、思い切りよく跳んで、懐に飛び込んだ。宙にあるうちに
前に引き倒す急速に沈む分銅となった僕の身体をさらに回転し、つま先が畳に掛かった瞬間、背負
った相手は僕の背中の上をうなりを上げて飛ぶ。投げを打った僕の体は更に小さくなって、相手と
ともに宙を半回転し、叩きつけられた相手の上に怒濤のごとく落ちる。その時既に袈裟固めの体勢
で相手を押さえつけている。よしっ!


「いっぽぉぉぉおおんっ!、そこまでっ!」


うわああああっ!っと言う野太い歓声が上がった。アスカが膝立ちになって手を振り回して叫んで
いる。あ、そうか。勝ったんだ、僕。押さえ込んだ腕を外し、のろのろと立ち上がった。もう身体
が動かないよ。息が炎のようだ。相手の選手も激しい息をつきながらのっそり立ち上がった。そし
てにやりと笑った。僕も笑う。審判の先生が『いそいでっ』っと声を掛けた。礼をしその後握手を
した。2年生で、この夏以降は実質上の主将になるという事だった。


「森の原にもやる奴がいるんだな。またやろうぜ。」

「まだ1年生なんで、試合に出れるとは限りませんが。アスカも。」

「アスカッて、さっきの10人抜き娘か、2人とも1年生なのかっ?」

「はあ、そうです。」

「こりゃまいったなあ――うちの1年生も雑用なんかやらせないで選手選抜で試してみるかな。」


彼は苦笑すると、とにかく今日の試合は楽しかった、ありがとう、と言ってくれた。2人の顧問の
先生も帰るまでに今度は全体で練習しようと言ってくれた。早速うちの顧問にも話しておかなきゃ。

僕の試合は6戦でお終いだった。勝ち抜き戦自体の順番が終ってしまったからだ。僕らはその道場
を出て、自分たちに割り振られている道場に向かった。僕らの道場は階段を更に半階上がった東側の
丘の上だった。道場の周囲の扉を大きく開けると芝生の庭の向こうに太平洋が広がっている。


「凄い景色だな。最高だ。」

「あんまり端っこまで行くんじゃ無いわよ。崩れるかもよ。」

「まさか、この先はどうなってるんだ?」


僕が不用意に近づくと、アスカが本気でだめっと叫んで、手を強引に引っ張った。


「そこホントに危ないんだからっ、芝生の下側抉れてて、しかも断崖絶壁よ。」

「ほ、ほんとに?」

「お坊さんが特に気をつけてくださいって、言ってたもの。」


見回すと庭の南側は3mほど高くなってそこには松の木が並んでたっていた。小路が通っている。


「あの向こうは?」

「別に何も。この合宿所の周囲を取り巻いてる並木よ。」

「あそこに登るときっと言い景色だと思うよ。行こうよ、アスカ。」

「何でそんなにちょこちょこ動き回りたがるのよ、男の子って言うのはっ。」

「だから男の子なんだって。」


今度は僕のほうからアスカの手を引っ張ってそこに登り始めた。そこに登った僕らは、思わず息を
呑み、歓声を上げた。限りなくどこまでも広がる水平線。2種類の青がどこまでも弧を描いて広が
っていた。またその海の青は潮の流れによって刻一刻と色を変え波形を換え、留まる事を知らずに
僕らの目を楽しませる。その上に広がるターコイドの青は上空に向かうにつれ濃さをましていき、
それでいて透明感を増す、天上の青。


「毎朝、ここから真正面に朝日が上るの。気が付くと、もう水平線から離れちゃってるんだけど。」

「かなり無茶なハードスケジュール組んでるそうじゃないか。アスカ主導で。」

「だって・・・みんな強くなりたいって言ってたんだもの。だけど実際に始めたら辛いとかやり過ぎ
とか文句ばかり言うようになってさ。今日なんか朝ご飯終ってから道場で待ってたのに結局誰も来な
くて。海に行っちゃったらしいのよ。」

「ああ、下の浜辺で会った。明日からは顧問やOBが来るから骨休みをその前にしたくなったらしい。」

「骨休みって――元々柔道なんかあの人たちにとってはスポーツと言う遊びじゃないの!骨休みに
趣味で柔道やってるのに、何故休みがいるのよ。」

「それはそうだけど、みんながアスカと同じ考えで動いている訳じゃない。現に僕だって、柔道は
親の頼みで始めただけだし、たいした理由は無かったんだ。特別熱心だったわけでもない。僕は、
中一の時出会った、元気で生意気な女の子に憧れてやってたのに過ぎないんだ。」


アスカは僕を見ていた目をそらせると直ぐ足元の海を見つめた。


「僕が柔道を一生懸命始めたのは、ついこの間からだよ。君の側に僕より強くてかっこいい奴がいる
なんて、耐えられないと思ったんだ。アスカの練習台は僕の役目なんだ。それが勤まらないなら僕は
君の側にいる価値が無い。君を強くする為、アスカの夢を叶える為には、僕自身もっと強くならなく
ちゃいけない。だから――」


「馬鹿。馬鹿シンジ――」


アスカは聞き取れないぐらいの声で呟いた。その音は潮騒の音にかき消されがちだったけれど。


「え、なにさ。」

「2度言わすわけ?ひどい奴。」

「ごめん、ほんとに聞こえなかなったんだ。」


アスカは、もう一度今度は顔を上げて僕の目を見るとしっかり言った。


「約束して。もう2度とあたしに内緒で何かしたりしないって。」

「も、もちろんだよ。ごめん。」

「それなら、あたしいつまでも。」


そういうとアスカは僕の顔に顔をぶつけるようにして、唇を僕に触れさせた。僕は足を踏み外すと
坂の下に転がり落ち、泥だらけになって、松の木につかまって笑っているアスカを見上げた。
アスカはここ数ヶ月の落ち込みを晴らすように、声を上げて笑っていた。

僕もその明るいアスカの様子を見て、笑ってしまった。こうして僕らはまた仲良しに戻れたんだ。
ちょっとワンステージ、アップしたともいえるのかな。でもそのことはまた今度。




第23話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 



 作者のこめどころ様に感想メールをどうぞ  メールはこちら



 やった、やった、やっちゃったぁっ!
 キスキスキスキスキスキスゥっ!

 待ってたって、いつになったらしてくれるかわかんないもんね。
 でも、さっさと自分から求めてくるなんて、私のシンジじゃないもんね。
 ま、私がリードしてやんなきゃ。
 で、でも、ずっとじゃないからね。いつかはアンタが私を…。
 く、く、くわっ!恥ずかしい!
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。


 

SSメニューへ