− 1 − 兄11、妹2、父45、そして母はもう数えない リンカ 2005.3.7(発表) |
第3新東京市、第壱小学校。5−A。放課後。
「なあ、シンジ。今日もお迎えか?」
帰り支度をしていたシンジに、親友のケンスケが話し掛けた。
「うん、そうだよ。それからねえ、帰りにスーパーに寄って、後ドラッグストアで
トイレットペーパーが安売りだったから・・・」
シンジが宙を仰ぎながら朝出掛けに考えていた予定を挙げていく。
ケンスケはシンジの所帯染みたその様に涙を催して彼の肩に手を置いた。
「シンジ」
「何、ケンスケ?」
「強く生きろよ。何でも相談に乗るから。悩みがあったら遠慮なく言うんだぞ」
「う、うん・・・?」
シンジが一応返事をすると、ケンスケは目頭を押さえて、くーっと言いながら帰って行った。
シンジは彼を見送って目を丸くしている。
暫しケンスケが出ていったドアを見つめた後、シンジは椅子に掛けてあるコートを手に取った。
「大袈裟だなぁ、ケンスケ。別にそんなに気を遣うことないのに・・・。さ、帰ろ」
ケンスケの言葉もさして気にした風もなく、
コートを羽織り、マフラーを巻いて、ランドセルを背負ったシンジは教室を出て行った。
それを見送る女の子達の熱っぽい視線が意外とある事に、シンジは気付いていない。
第3さくら保育園。
「レイー。迎えに来たよー」
シンジが幼児達が遊ぶ教室に顔を覗かせて妹を呼んだ。
その声に反応して女の子がてっとてっとと駆けて来た。
そのまままろび寄って来てシンジの足にしがみ付く。
「レイ、帰るよ。荷物取っておいで」
「あい。にーちゃ」
シンジが屈んでレイの頭を撫でると、レイは跳ねる様に駆けて荷物を取りに行った。
その様子を見るシンジに保育園の先生が声を掛ける。
「いつもご苦労様、シンジ君」
「うん、先生。レイは良い子にしてた?」
「うふふ、良い子だったわよ。まあ、ちょっと泣き虫さんだけど」
「また泣いたの?しょうがないなぁ」
シンジが苦笑してレイを見やると、足元から声がした。
「フフ、いじめっ子は僕が追い払ったから大丈夫だよ、お兄様」
幼児の声だ。が、何かおかしい。
シンジが足元を見ると、レイよりも幾分年上の男の子が微笑んでいた。
淡いブラウンの髪に同色の瞳、西洋系との混血と分かる容貌。
「えっと・・・君は・・・?」
「僕はカヲルだよ。レイちゃんのお友達なんだ。よろしくお兄様」
そのまま頭を下げた男の子に、シンジは冷や汗を垂らす。
「あっはは・・・よろしく、カヲル君。・・・(おにいさま?)」
シンジが困った様に先生の方を見ると、彼女も苦笑してそれに応えた。
そうしていると、レイが再び駆け寄ってきた。
「忘れ物はないかい、レイ?」
「あい!」
手を挙げて元気良く返事をしたレイに、シンジは微笑んで、レイの手を取った。
「じゃ、帰ろうか。先生また明日。・・・カヲル君もね」
「まちゃーしたっ」
シンジが歩き出し、レイが兄に手を取られて跳ねる様に並んでついて行った。
それを笑顔で見送って、この保育園の先生は足元を見る。
「・・・で、どうしてカヲル君はここにいるの?ここは2歳児クラスよ。
貴方は4歳のぞう組でしょ?自分のクラスにいないとお迎えの人が困るわよ」
その言葉にカヲルは髪を掻き上げて不敵に口を開いた。
「フッ、レイちゃんのいる所に僕がいるのは当然なんだ。
それに、お迎えはどうせ・・」
そこまで言った所で教室の扉がガラリと開いた。
カヲルが扉を開けたその人物の形相を見て顔を強張らせる。
「カ〜坊〜!何でアンタは自分のクラスにいないの!散々探し回ったでしょうが!」
「いや、あの、これには深い訳が・・・」
「ナマイキ言ってんじゃないわよ!荷物持ってきてやったから帰るわよ」
「・・・姉ちゃんって野蛮だ」
「うっさい!」
そのままカヲルは姉に引っ張られて帰って行った。
シンジとレイがスーパーへの道を歩いている。
「レイ、今日も楽しかったかい?」
「あーい」
「そう。今日のご飯は何がいいかなぁ。父さん今日は遅くなるって言ってたからね。
何が良い、レイ?」
「あいしゅ」
「いや、アイスはちょっと・・・」
「う?」
レイがシンジを不思議そうに見上げた。
シンジはそれを見て優しく微笑む。
「他には何があるかなぁ?」
「う・・・くっき」
「クッキーも駄目」
「いやーん」
「いやーんじゃないの」
レイの小さな手がシンジの手を引っ張るのに、シンジは一層微笑んだ。
彼女が引っ張るのに合わせてシンジもレイの手を軽く引いてみる。
するとレイは可笑しそうにシンジの手をグイグイ引っ張りながらきゃらきゃら笑った。
足元でレイの頭がピョコピョコ跳ねるのをシンジは見つめる。
レイが跳ねるのに合わせて彼女の茶色の柔らかな髪の毛がふわふわと踊っている。
こうして毎日レイを迎えに行き、父が帰宅するまで傍にいて離れず、面倒を見始めて
もう半年以上経った。
「オムレツはどう?ケチャップたっぷり掛けて。ね、レイ?」
「おむえちゅ?」
「たまごだよ」
「あい!ちゃまご!」
レイが手をブンブン振って答えた。
「レイは卵好きだもんね」
「ねー」
2人は笑い合ってスーパーへと入って行った。
シンジとレイに母はいない。死んだからだ。
それでも2人は笑っていた。
夜、父親のゲンドウが帰宅し、リビングのローテーブルで1人食事を摂っている。
その傍で、レイが寝そべって絵を描いて遊んでいた。
何やら出鱈目な歌を歌いながら頭を揺らしている娘の姿に、ゲンドウは夕食のおかずを
頬張りながら微笑んだ。
「父さん、明日は遅いの?」
シンジが茶を用意して来てゲンドウの向かいに座って尋ねる。
「いや、明日はいつも通り早く帰る。・・・済まんな、シンジ」
「ううん、いいよ」
シンジはニッコリ笑って自分の湯呑に茶を注いだ。
父は母が死んでから今までより一層家族の事を気に掛けるようになった。
仕事も出来る限り早く切り上げて帰るようにしている様で、
シンジはその父の想いが嬉しく、まただからこそ自分がしっかりしようと思う。
母がいた頃は碌に出来なかった家事ももう随分と手慣れてきた。
ゲンドウが出来た息子にほろりと落涙しかけ、慌てて口におかずを放り込んだ。
「レイ?ジュースいるかい?」
「う?・・・りんご」
「そう。じゃ、持ってくるよ」
シンジはそう言って再び席を立ってキッチンに向かった。
ゲンドウが口の中のものを飲み下し、レイを見つめた。
「レイ」
「あう」
「お兄ちゃんは好きか?」
「あい。にーちゃ、しゅき」
「そうか」
レイは足をバタバタさせながらグリグリと絵らしきものを描いている。
手が動くのに合わせてレイの頭も動いていく。
「ぱっぱもしゅきなの」
レイの呟きに、今度こそゲンドウは感涙が込み上げ、目頭を押さえてくつくつと肩を揺らした。
シンジが手にリンゴジュースのコップを持って戻ってきた。
腰を下ろしてレイに呼びかける。
「ほら、レイ。テーブルで飲みなさい」
「あーい」
レイが生返事をする。
それに苦笑して、シンジは父を見やった。
「・・・どうしたの、父さん?」
「いやっ、何でもないぞ。ちょっと喉にご飯が詰まっただけだ」
ゲンドウは慌てて指を目頭から放し、笑って頭を振った。
ゲンドウは幸せだった。
最愛の妻を失ったが、2人の子が傍にいる。
何があってもこの子達と共にある、とゲンドウは差し出された茶を手に取りながら
心の中で誓いを繰り返した。
「ああもう、レイ、零してるじゃないか。折角の絵が濡れちゃったよ?」
「きゃー!」
レイがべそをかいて、シンジが慌てて布巾を取り出す。
騒がしいリビングに、3人の家族の姿があった。
第壱小学校、5−A。
シンジの机に彼の親友のトウジとケンスケが寄り掛かっていた。
「せやけど、シンジはよう妹の面倒見るのぉ」
トウジが感心頻りに言う。
「そう?」
「そうさ。まあ、あのブラコンのレイが相手じゃ目を離せないだろうけどな」
ケンスケがおかしそうに言うのに、シンジは確かに、と苦笑した。
「わいも妹おるんやけどな、シンジみたいには見られへんで。
まあ・・・可愛いのは確かやけど」
「へ?トウジ妹いたの?」
「何や、言わへんかったかいな?レイと同い年やで、わいの妹。ま、保育園には通うてへんのやけど」
トウジが頭をガシガシ掻きながら言った。
トウジの妹が保育園に行っていないのは母親がいるからだ。
過剰に気を遣うのは逆に気分が悪かろうと、意外に気が廻るトウジは
普段余りシンジの事情に対してどうこう言わない。
以前の様には遊べないのは確かだが、それなら休日遊べば良いし、
放課後シンジの家に行くのも良い。レイの事も何度も相手をした。
出来た奴だとは思うが、シンジは親友だ。別に母を失おうが妹の世話に追われようが
トウジにとっては関係なかった。
シンジが何か変わった訳ではない。自分がシンジに対して変わる必要はない。
トウジはただ漠然と、そうしていた。明確に考えている訳ではない。
ただ、トウジはそういう男の子だった。
だから軽くシンジに対してレイの事を言ったのだ。
シンジがレイの面倒を良く見ているのは事実で、そういうシンジがトウジは、
そしてケンスケも、気に入っていた。
ケンスケも気を遣うといっても腫れ物に触れるような事はしない。
ただ無理はして欲しくないとケンスケはシンジに対して思っていた。
「トウジの妹ってどんなだろう・・・?」
「くく、見たら驚くぜ、シンジ」
シンジの呟きにケンスケがくつくつと笑いを零した。
「何や、ケンスケ。失礼なやっちゃな」
トウジがケンスケを小突いて、彼がそれから逃れる。
シンジの机の周りでギャアギャアと騒ぎ出した親友達の声を聞きながら、
シンジは考えていた。
「(トウジの妹かぁ。同い年なら友達になってくれるかなぁ・・・)」
レイはブラコンだが、シンジも結構兄馬鹿だった。
レイが通う保育園。
シンジがレイのクラスに迎えにやって来た。
「レイー。来たよー」
「あーい!」
レイがシンジの声に素早く反応して兄の元に駆け寄ろうとし、そして転んだ。
べちょっと教室の床に張りついたレイに、シンジは慌てて駆け寄るが、
レイの傍にいる男の子に気付いた。
「君は・・・カヲル君だっけ?今日もレイと遊んでくれてたの?」
「そうだよ、お兄様。僕はいつでもレイちゃんの傍にいるのさ」
「そ、そう・・・ありがとね・・・。あ、そうだ。レイ、大丈夫かい?」
シンジがレイの背に軽く手を当てて彼女に呼びかけた。
するとレイが両手両足で起き上がる。そのまま尻餅をつく様に座り込んで、シンジに訴えた。
「・・・いちゃいの」
小さな両手で額を押さえ、涙目でシンジを見上げて言った。
「ここかい?ほら、痛くない痛くない。ね」
「あう」
シンジがレイの額を擦りながら優しく微笑みかけた。レイはされるがままになっている。
レイは泣き虫で甘えん坊だ。母がいない分その対象は自然傍にいる兄へ向かう事になる。
一番好きなのは誰?と問えば、にいちゃ、と真っ先に答えその後で、ぱっぱ、と言って、
ゲンドウを打ちのめすだろう。
シンジが仕方ないなと思いながらもレイの額を撫で、
痛いと言いながらも兄の手に気持ち良さそうにしている彼女をあやしている。
そこで教室の扉がガラリと開いた。
「カー坊ー!ここにいるでしょ!アンタ、アタシがいつも・・・え?」
「ほら、いたいのいたいのとんでけー!・・・へ?」
扉の傍でしゃがみ込んでレイをあやしていたシンジが上を見あげ、
扉を開け、カヲルに向かって叱りつけようとした少女が下を見おろした。
「惣流さん?」
「あっ、碇・・・」
暫し見詰め合う。お互い呆然とした後、気まずい顔をした。
「にいちゃ?」
レイの呼ぶ声にシンジはそそくさと立ち上がった。
「あっはは・・・、何で惣流さんがここに・・・」
「あ、えと、アタシはそこの・・・」
と言って、少女はシンジの背後を見た。
「相変わらずけたたましいなぁ。もう少しおしとやかにしないとお兄様に・・」
言いかけた所で、慌てて少女はカヲルの胸倉を引っ掴んだ。
そのまま顔を近づけて睨みを利かせる。
「く、苦しい、アスカ姉ちゃん・・・」
「アンタ、余計なこと言ったらベランダから吊るすわよ?」
「お、横暴・・・」
シンジはカヲルと少女のやり取りを呆然と見つめた。
「え?ひょっとして・・・姉弟?」
「きょーだい」
レイが繰り返した。
少女は弾かれた様に立ち上がって、誤魔化すような笑いを浮かべた。カヲルは脇に抱えている。
「アハハ・・・ここで会うなんて奇遇ねえ・・・。妹さんのお迎え?」
「何が奇遇だよ・・・ムグッ」
カヲルがボソッと言ったのに、少女は弟の口を塞いだ。
「うん・・・惣流さんに弟がいたなんて知らなかったな。それにレイとお友達だなんて」
「そ、そうね。アタシも驚いちゃった」
曖昧に笑う少女にシンジは内心首を傾げつつ、それよりなにより非常に気になっていた事を訊いた。
「あの・・・ところで・・・」
「何?」
シンジは言いにくそうに口を開いた。
「さっきの・・・聞いた?」
「さっき・・・?」
シンジが言っているのはレイをあやしていた事だ。
家では日常茶飯事だが、クラスメイトに見られるのは酷く恥ずかしい。シンジも男の子なのだ。
「ああ・・・き、聞いてないわよ?」
少女が目を逸らす。
が、肩が僅かに震えていた。
少女の様子にシンジの頬がカーッと赤くなる。
やはり見られていた!とシンジは上擦った声を出した。
「そ、そ、そう。じゃ、僕達帰るよ!またね、惣流さん!あ、カヲル君も!」
荷物を取ってきて兄の足にしがみ付いていたレイを抱え上げて、
シンジは転がる様に教室を出て行った。
まさしく逃げる様に去って行ったシンジに、少女―アスカは片手を挙げ、
もう視界から消えてしまったシンジに向かって、また、と呟いた。
「・・・ムグ・・・プハッ、何たそがれてんのさ。やっと会えたじゃない」
アスカが手を挙げた事でようやく口が解放されたカヲルが小脇に抱えられたままアスカを見上げる。
アスカは先程教室の扉を開けて自分が上げた叫びを思い出していた。
「・・・こんなの予定になかったわ・・・。アタシうるさい娘だって思われちゃうじゃない・・・」
シンジと会えたのは良い。だがアスカにとっては予想外にも程があった。
つまりアスカには密かな目論みがあったのだ。
呆然として先程の自分を呪っているアスカをカヲルが呆れて見上げた。
「アスカ姉ちゃんがいつも野蛮だからだよ。大体僕はキョウタ兄ちゃんの方がいいのに。
無理矢理お迎えを引き受けた癖に、何言ってるのさ」
「・・・・・」
「レイちゃんのお兄様に会いたくて、ここんとこ毎日来てたんだろ。
なのにどうして叫んじゃうのかなぁ。大体クラスメイトなら学校で話せば良いじゃないか。
アスカ姉ちゃんは乱暴な癖に臆病なんだから」
「・・・カー坊」
「何?」
カヲルは勝ち誇って返事をする。この年頃は大概生意気なものだ。カヲルは口が立ちすぎるが。
「アンタそれ以上ナマ言うと、カオリのお菓子こっそりアンタが食べちゃった事、ママに言うわよ?」
「な、何でそれを姉ちゃんが・・・」
「ハン、姉を舐めんじゃないわよ?ガキンチョのやる事なんかお見通しなのよ」
「・・・と、とりあえず会えてよかったじゃないか・・・ね、アスカ姉ちゃん」
「・・・フン、いいわ。さ、帰るわよ」
「うん・・・あの、下ろして」
カヲルが足をバタバタとさせて訴えた。
シンジとレイが家への帰り道を歩いている。
「ああ、恥ずかしかった・・・」
シンジがレイの手を引いて歩きながら先程の事を思い出していた。
「う?」
レイがシンジを見上げる。
シンジはそれを見下ろし、レイに聞いてみた。
「ねえ、レイ。カヲル君といつも遊んでるの?」
「あう?・・・あい」
レイがコックリと頷いた。
「そう・・・カヲル君と遊んで楽しいかい?」
「あそんだのー」
「・・・何して遊んだの、レイ?」
「あー・・・ちゅみき」
「そう。良かったね、レイ。良いお友達が出来て」
シンジがレイにニコリと微笑みかけると、レイもニッコリと笑った。
「あのね、れい、あいしゅたべたいの」
しかし関係ない事を口走った。
「・・・そうだね。お兄ちゃんも食べたくなっちゃった。買って帰ろうか?」
「あいしゅー!」
シンジははしゃぐレイから視線を外し、目の前で白い吐息が広がり拡散する様子を見た。
風が冷たい。
何で幼児ってこの寒いのに冷たいもの食べたがるんだろう、とシンジは思い、
そして去年の冬に、まだその頃は自分の傍にいた母に向かって、
出掛けた先でアイスを強請った事を唐突に思い出して苦笑した。
「・・・でも惣流さんとカヲル君が姉弟だなんて、驚いたなぁ」
「ちゃまごー!」
レイが嬉しそうに叫んだ。いつもの独り言だ。
「似てないよねぇ・・・」
アスカはシンジのクラスメイトだ。普通に話はするが特別親しい訳でもない。
そう言ってしまうと殆ど全ての女の子とも親しくないのだが。
アスカには気が強く活動的な印象があったが、口が随分と立つこまっしゃくれた様子のカヲルとは
似ていない。そもそもアスカの兄弟が自分に向かって“お兄様”とは何事だろう。
アスカは余り馴れ馴れしい事は好まないらしい。らしい、としか知らないのだがともかく、
自分に向かって物怖じもせずおかしな挨拶して見せたカヲルとは似ていなかった。
あれが姉弟とは実に意外だった。
「うしゃぎしゃーん!」
商店街でウサギの着包みが風船を配っている。
「・・・惣流さんかぁ・・・」
「うしゃちゃーん!!」
レイがシンジを引っ張ろうとしている。
「あ?ちょ、ちょっと、レイ。そんなに引っ張ると・・・」
足を滑らせてこけた。
結果、べそをかいたレイは人型ウサギに風船を貰って慰められた。
気を取り直して、シンジとレイがスーパーへ向かう。
「ふーしぇー〜んっふわっふわー♪」
レイが跳ねながら歌っている。
「カヲル君・・・お兄様はどうかと思うんだよなぁ・・・。でも、今度うちに呼んでみようかなぁ・・・」
レイがひとりごちるシンジを見上げた。
兄が何に悩んでいるのか、レイには分からない。
彼女はそのふっくらした可愛らしい顔に精一杯の困惑を乗せて兄に呼びかけた。
「にいちゃ、いちゃいのー?」
繋いだ手をクイクイと引っ張る。
シンジはレイを見て微笑んだ。妹はいつもシンジから見ればとんでもないと思うような事をやらかす。
だが、幼児は驚くほど敏感で繊細だ。
「ん?何でもないよ。ねえ、レイ。お友達を家に呼んだら嬉しいかい?」
シンジが問いかける。
母がいないため、付き合いというものも限定される。
お呼ばれしたりされたりというのは余りなかった。出来なかった。
レイは兄の問いかけに思案するような顔をした。
「あい」
そして頷いた。
頷いたレイはニコニコと笑っている。
歩く呼吸に合わせて笑い声とも呼吸音ともつかぬ音が口から漏れている。
歩くだけで賑やかで楽しそうだ。
レイの笑顔を見て、シンジも笑顔を返す。
果たして言った事が分かっているのかと言うのはいつも抱く思いだが、案外通じるものだ。
「れい、りんごしゅきなの」
話に脈絡がない事も、それは多いのだが。
アスカとカヲルが家への帰り道を歩いている。
カヲルがアスカを見上げて言った。
「何で学校で話さないの?同じクラスなんでしょ?」
「子供には分からない事情ってもんがあるの」
アスカはカヲルの方を見ずに答えるが、カヲルには分からない。
アスカがわざわざ保育園に来ていた訳は、思春期に差しかかったこの年頃特有の恥じらいや意地の為だ。
学校で全く話さない訳ではないのだが、どうしてもただのクラスメイトとしてしか話せない。
アスカはシンジの事が好きだった。
しかしシンジに憧れる少女は意外に多い。
優しげな顔立ちの整った少年は希少なので、女の子間の水面下の争いと牽制は割と熾烈なのだ。
勿論まだ11歳なので、付き合うだのどうだのという事を本気で考えている少女は少ないのだが、
アスカは本気で考えていた。特別な想いがあった。
そこで、いつも弟のカヲルが家で語る女の子の話を聞いて
その女の子の兄がシンジだという事を知り、それを利用する事にしたのだ。
偶然を装う事にして保育園で出会うようカヲルの迎えを交代してもらったのだが、
意外にも中々出会えず、ここの所どうにも只のお迎えが習慣化していた感があった。
そしてこの日、先程、とりあえず第一段階は達成された。やや不本意だったが。
だがこれで学校以外で関わりを持つ事が出来たのだ。大きなアドバンテージだ。
「カー坊!次はファーストネームで呼び合うわよー!」
アスカは計画を頭の中で練りながら、拳を握り込んで弟に向かって―カー坊と呼ぶのは
カヲルの1つ下の末っ子のカオリと名が重なって紛らわしいからだ―言った。
「ファーストネームでって・・・呼べば良いじゃないか。簡単だろ」
カヲルがアスカの前に出て、後ろを向いて歩きながら、姉の様子に呆れる。
「簡単な訳ないでしょ。ここはパパの生まれたドイツじゃないのよ。
日本でファーストネームで呼び合えば、もうこっちのものよ。
・・・それとアンタ。そんな事してると転ぶわよ」
「そんなものかなぁ・・・うひゃっ!?」
カヲルが転んだ。
「だから言ったでしょ。ほら、立ちなさい」
アスカがそう言いながら、尻餅をついたカヲルの手を引いて、
そしてそのまま手を繋いで歩き出した。
生意気でもやっぱりまだガキンチョね、と姉のアスカは優しくカヲルの手を引く。
小さな小さなカヲルの手を握ったアスカの手もまた小さかった。
「これで仲良くなればお互いお家にお呼ばれとか出来るわよ?アンタもレイちゃんと遊びたいでしょ?」
「いてて・・・、そうだねぇ。でも僕はもうレイちゃんと約束しちゃったもんね」
「またそれ?」
「お嫁さんになってくれるって言ったもの。姉ちゃんとは違うのさ」
「だからお兄様?」
「そうさ。でも姉ちゃんがレイちゃんのお兄様と結婚すれば、やっぱり僕のお兄様だね」
「・・・・・」
アスカはカヲルの言葉を聞いて想像を巡らせる。
頬がリンゴの様に染まっていった。
悪くないわ。ていうか素敵!
頬を紅潮させ瞳を輝かせたアスカがカヲルの小さな手をギュッと握る。
「カー坊!やるわよー!」
「オオー!」
腕を振り上げて叫んだアスカに、カヲルも合わせて腕を上げて応えた。
姉弟の利害は一致していた。
2人は笑い合って駆けながら我が家へと帰っていった。
夜、碇家、リビング。
レイがゲンドウの胡座をかいた足の中に収まって、りんごを食べている。
「りんごしゅきなの」
レイが食べながら言う。
「そうかそうか。よかったな、レイ」
「あい」
ゲンドウが相好を崩してレイの独り言に答えた。
「よくこんなに沢山貰ってきたね、父さん」
シンジがりんごをフォークで刺しながら父に向かって言った。
ゲンドウが仕事場で大量に貰って帰ったのだ。
「ああ、何でも部下が実家から送ってもらったはいいが、1人では食べきれんと言って
皆に配っていたんだ。これでも少ない方だぞ」
「へえ・・・あ、蜜入ってる」
シンジもりんごが好きだ。嬉しそうな顔をして齧り付いた。
「にーちゃもしゅきなのー」
「そうか。パパは?」
「ぱっぱもなのー」
レイがさえずる様に答えた。
「ふふ、ならばパパと結婚するか?」
ゲンドウが可笑しそうに言う。
シンジが父の様子に苦笑していると、レイがゲンドウの言葉に暫し止まる。
言葉の意味を咀嚼するような顔をした後、にっこりとそのふくふくした顔を綻ばせて頷いた。
「あい」
当然レイは結婚の意味が分かっていない。
お嫁さんという言葉も。
リビングに家族3人の姿があった。
母はいない。死んだからだ。
だがシンジとレイは、そしてゲンドウも、笑っていた。
彼らが不幸だなどと、誰が言えるだろう?
第3新東京市の何処か。
碇家からは温かい灯りが漏れていた。
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碇家のアルバムより 撮影:碇ゲンドウ |
そして、この話の前奏曲にあたる
−X− 或る少年の自覚に至った或る些細な情景
をお読み下さい。お願いします(管理人)
リンカ様の当サイトへの初めての投稿作品です。
<烏賊した怪作のホウム>様と<あっくんの書斎>様にてすでに大活躍されております。
当サイトへのご投稿は連載作品となりました。
しかも私の大好きな異世界ほのぼのモノ。
いやぁ、アスカとカヲルが兄弟というのは意表をつかれました。
それにまだ他に兄弟もいる様子。大家族アスカというのは嬉しいですね。
本編とかで孤独な…というより可哀相な身の上ですから、彼女は。
「カー坊やるわよ!」と叫ぶ彼女の微笑ましいこと。
まさに、「ふっ、問題ない」ですね。
本当にありがとうございました、リンカ様。
続きをお待ち申し上げます。
(文責:ジュン)
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