日産セントラ(その2)
◆初代スズキ・カルタス◆
米国到着後の最大の心配ごとは、肝心の住む場所を決めることでありました。不安が最高に達している時期です。大学の留学生窓口でもらった情報をもとに、レンタカーである青のマツダ323でいろいろと市内を回り、無事にアパートを見つけて落ち着くことができました。どこのアパートも入居手続きはカンタンそうでした。
アパートを決めるためにオクラホマの町を回っている間に目撃した、忘れられない風景があります。映画やTVドラマなどでよく見かける、ごく普通の家屋の、前庭部分(玄関まわりの芝生とかガレージへの進入路などのあたり)に、青メタリックのシボレースプリント(初代のスズキカルタス3drHB)がフロントガラスに大きく「2700」と白い塗料で描かれて道路に向けて停めてあるのです。アメリカでは自動車の個人売買が普通のようですので、このように値段を大きく描いて、「FOR_SALE」のプレートなどを掲出したまま走っているクルマもあります。
私はこれを見て、「おお、いざとなれば2700ドルをこの家に持っていて、売ってくれと言えば、まずはクルマが手に入る…日本車だし、何でも大丈夫だろう…。」となぜか安心してしまいました。
◆中古車屋さん◆
私はクルマが好きで、学生の頃からショックアブソーバーとかマフラー、エンジンマウントなども自分で交換していました。
もし日本でクルマを購入するならば、相当のこだわりをもって、熟考に熟考した上で車種等を決めると思います。しかし、当時は初めての外国生活で、大学院での勉強や、とにかく生活一般がうまくいくか不安であり、また、はやくクルマを入手しないとレンタカー代がかさむので、かなりあせっておりました。
まずは、アパートの近くの、幹線道路沿いにある中古車屋さんをレンタカーのマツダ323で何件か訪問しました。中古車店の風景は日本とよく似たもので、道路に面した場所にメインとなる車を展示しており、事務所はだいたい奥の方にあります。新車ディーラーの一角で中古車を扱っているケースと、中古車専業店があるところなども日本とよく似ています。
ところが、何件かまわって展示車両を見ただけで、大きく落胆したのを覚えています。値段が高いのです。1992年当時でしたが、初代カローラU(2代めターセル・コルサ;米国名ターセル)が4500ドルとか表示されていました。
日本なら10〜20万円程度だったはずです。どこの店も似たり寄ったりで、全般的に中古車の値段は高いと思いました。オクラホマではクルマが必需品なので、きちんと動くクルマはそれなりに中古市場でも評価されているようでした。
日本では、走行距離が少なく、しっかりした、5〜6年モノの中古車で、もしそれが不人気な車種であったり、不人気な色であれば、とても安い値段で入手できると思います。米国でも人気・不人気というのはもちろんあるでしょうが、きちんと動いて自動車としての役割を果たせるクルマは、日本と比べて高いと感じるような値段が付けられていました。
日本に比べて米国の物価は安いだろう、とくにクルマ文化の国だから、中古車などは日本に比べて激安で買えるのではないかと考えていた私には意外でありました。余談ですが、大学の学費も米国の方が高くつく場合が多いようです。
それにしても、米国到着後、一週間ほどですが、アパートやクルマを探したりする間に思い知らされたのですが、外国語というのは大変なものだと実感しました。言葉では本当に苦労します。中古車を見せてくれ、というのだけでもあらかじめ青のマツダ323の車内でせりふを考え、やおら勇気を出して降りて行ったのを今でも覚えています。
米国の大学院に留学するのですから、勤務先の試験や、TOEFLやらGMATなどは受験しました。これらは実によく考えられて作られたテストだと思いますが、日本人は受験勉強の習性があるのか、スコアと実際が著しく乖離してしまう人種のようであります。
話しは変わりますが、アパートのmanagerにしても中古車屋の人々にしても、言葉の不自由な見知らぬアジア人にとても親切でありました。客だからでしょうか?