『ねぇ、ママ。
 今年のバレンタインデーはこんな程度だったけど、来年はちゃんと日本流でやり遂げてあげるんだから。
 覚えておいてよね、この一年で絶対に彼を私に夢中にさせるの。
 本当の戦いはこれからなのよ!』

 

 


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2006.12.04         ジュン



 愛するアスカへ。
 もうすぐ誕生日ね。
 今年は私とシュレーダーだけでなく、ハインツからもプレゼントがあるわ。
 彼ときたら、ずっと悩んでいるのよ。
 何を贈ればアスカは喜んでくれるのだろうかって。
 私は何でも喜ぶわよと言ってあげるんだけど、
 シュレーダーが“変なものをプレゼントしたらお姉ちゃんは二度と口を聞いてくれないよ”などとからかうの。
 それを真に受けて頭を抱えてしまうのだから、どうしようもないわ。
 さあ、いったい何にするつもりなのかしらね。
 私も楽しみ。




 親愛なるママへ。
 本物のパパからプレゼントを貰うなんて何年振りかしら。
 7歳までは間違いなくパパからだったわよね。
 8歳からは急にセンスがよくなったから、ママがパパの代わりに贈ってくれてるってすぐにわかった。
 それだからつき返さずに貰っていたのよ。
 本当にパパに悪いことをしたって思ってるの。
 一生懸命に選んでくれた誕生日のプレゼントを中身だけ見てそのまま返していたんだもん。
 でもね、中身を見たのは私が意地汚いからじゃないのよ。
 きっとパパを憎んでいても、心のどこかでパパを求めていたんだと思うの。
 だから包装を解いて中のプレゼントを見て、それから鼻で笑っていた。
 趣味が悪いとか、子ども扱いしてとか、品物で釣ろうとしてとか。
 ママにも悪かったわ。
 わざとビリビリに破った包装紙を一緒に箱の中に詰め込んだプレゼントを持って帰らせたんですもの。
 しかもわざわざ呼び出して、ね。
 今、もし私があの場所にいたら、あの生意気な娘の頬を往復ビンタするわね、絶対に。
 ママも引っ叩いてやりたかったんじゃない?
 本当にごめんなさい。
 パパにもそう言っておいて。
 ううん、そういうことは自分で言わないと駄目よね。
 今年のプレゼントを受け取ったら御礼の電話をするから、その時にちゃんと謝る。
 だからパパが逃げないようにしておいて、お願い。
 それからプレゼントの中身は何でもいいから。
 あ、パパのセンスに期待していないって意味じゃないわよ。






 カレンダーが12月に切り替わった。
 アスカは不安だった。
 シンジが誕生日のプレゼントに何を選んでくれるのかを。
 彼の誕生日に選んだのは、チェロのケーホルダー。
 それは今もチェロのケースにぶらさがっていて、
 アスカが隠し持っている同じキーホルダーの方は彼女の引き出しの宝物入れで待機している。
 晴れて彼氏彼女になった暁には、アスカも学生鞄に取り付けようと思っているのだ。
 さて、その計画はいつ叶うことだろうか。

 その遠大な計画はともかく、問題はシンジからのプレゼントだ。
 アスカの誕生日の存在は幸いにも彼に伝わっている。
 もっともこれは彼女唯一人の視点であり、
 現実には彼はずっと前から誕生プレゼントを何にするか悩みに悩んでいたのだ。

 しかし、その誕生日の出来事を語る前にある事件を記さねばならない。
 何しろ11月の末には彼らを震撼させる大事件がおきたのだ。

 葛城ミサト、女児出産。

 11月28日だった。
 急に産気づいた彼女は、慌てふためく婿養子を叱咤激励しながら産婦人科へ。
 アスカたちも知らせを聞いて夜の街を自転車で走った。
 そして目にしたのはあの加持(元姓)リョウジのおろおろとする姿だった。
 分娩室に入ってもう30分になるが本当に大丈夫なのだろうかとリツコに問う姿を見て、
 アスカもシンジもその目を疑った。
 ましてリツコが「わからないわ」などと真正直に返したものだから、その後の彼はまさに動物園の熊。
 口の中でブツブツ呟きながら廊下を歩き回る。
 椅子に座っても30秒も経たないうちにすぐに腰を上げてしまう。
 そんな彼の姿にアスカは驚いてしまった。
 およそ何事にも動じない、飄々とした男だと思っていたのに、こんな姿を隠そうともしない。
 その姿にアスカは自分の父親をだぶらせた。
 自分が生まれたとき、あの父もこんな風になってくれたのだろうか。
 それならば、物凄く嬉しい。
 リョウジを見るアスカの眼は温かかった。
 それがこの後の騒動の元になるとは彼女はまるで気がつかなかったのである。
 
 彼女の眼差しを錯覚したのはシンジだった。
 優しい視線がリョウジに投げかけられているのを間近で見ていたのだ。
 そもそも加持リョウジは彼の憧れの存在だった。
 あんな大人になりたいと思っていたのだ。
 最近になって何故そんな風に思っていたのか、少しわかりはじめている。
 アスカの影響だった。
 彼女が慕うリョウジの存在を大人の、いや男の理想像として捉えた。
 シンジのような少年としては当然の感想だっただろう。
 それが微妙に変じていったのはどうしてか。
 もちろん今でも彼に好意は持っている。
 ところが時に彼の存在が疎ましく感じることがあり、自分でも驚いているのだ。
 その理由は今となってはよく分かっている。
 アスカだ。
 使徒戦時、アスカはやたら加持の事を口にしていた。
 その時分は「またか」という程度の反応だった。
 だが、サードインパクト後は違う。
 彼女への恋心に気がついてからは加持を見る目が変わった。
 彼の姓が葛城になっても、ミサトのお腹に赤ちゃんができても、それは同じだった。
 いや、寧ろ逆に疎ましさの方が強くなってきたのかもしれない。
 親しげにアスカに話しかけるくらいならまだいい。
 だがリョウジが何気なくアスカの肩に手を置いたり、頭を撫でたりすると胃のあたりが重くなってしまうのだ。
 それは自分がしたくてもできないことを
 いとも簡単にリョウジがしてしまうことに対する腹立たしさに起因することだと容易にわかった。
 しかもそれに対してアスカが怒ったり、いやな顔をしないから余計にシンジの心は曇った。
 寧ろ嬉しげな表情に見えるのだ。
 自分の想いを打ち明けられないもどかしさも手伝った、その恨みとも嫉妬心ともつかない微妙な感情は
 アスカ本人ではなくリョウジの方に向けられたのである。
 想い人を憎むわけにもいかず、逆恨みとも言える感情を抱かれたリョウジもいい迷惑だろう。
 もっともその感情を押し殺して…、いや、そんな気持ちになる自分を責めてしまうシンジだから、
 表面上はリョウジにもアスカにも気づかれていなかったのだが。

 だが、ここに約一名。
 野性の本能か勘か。
 出産という大事業を成し遂げたばかりの女がシンジの感情に気がついたのである。
 病室でみんなの祝福を受け満面の笑みの葛城ミサト。
 シンジの微妙な表情が彼女の目にとまった。
 アスカにからかわれたリョウジが彼女のおでこをつんと突付いた時、シンジは思わずさっと目をそむけてしまう。
 まるで第3新東京市に来たばかりの頃のような暗い表情が一瞬彼の顔に浮かんでいた。
 
 そういうことか。

 ミサトは微笑んだ。
 二人は彼女の大事な弟と妹なのだ。
 もう使徒戦の時のような思いはさせたくない。
 ましてや自分たちが原因になるようなことで。

「リツコぉ、退院ってやっぱ一週間なのぉ?」

「さあ、知らないわ。個人差があるんでしょう。5日くらいの人もいると聞いたわ」

「よしっ、じゃ5日に決めた。そうしたら誕生日に間に合うもんね、へっへっへ」

「あら、あなたの誕生日は真珠湾攻撃の日じゃなかったっけ」

「もうっ、せめて針供養の日って言ってよぉ。って、私のじゃなくて、アスカの誕生日じゃない」

「あ、なるほど」

 出産を終えた妊婦と2ヶ月後に予定日を迎える妊婦が見事に呼吸を揃えた。
 このあたりの呼吸は誰にも真似はできない。
 二人はアスカを見て微笑んだ。

「12月4日が日曜日でよかったわね。パーティーがお昼にできるから」

「私は夜の方がよかったわン。って、赤ちゃんがいるから駄目か、やっぱし」

「じ、じゃ、料理とか僕がっ」

 ようやく口を挟んだのはシンジだった。
 その顔にはさっきの一瞬の暗さなど微塵も感じられない。
 今の発言も一歩どころか二三歩前に出てのものだけに、アスカを始め室内の人間全員が笑顔になった。

「私も手伝う。洞木さんもきっと」

 レイの微笑みも嬉しげだ。
 赤ちゃんをガラス越しに見たが、正直に言うと別に可愛いとは思わなかった。
 だが、その誕生をこんなに喜ばれるということは羨ましくもあり、楽しくもある。
 人間の誕生というものを身近で知ることのなかった彼女は、
 誕生日を祝う意味合いが何となくわかってきたような気がしていた。
 シンジの誕生日を雰囲気で祝っていた時と違って、
 今度のアスカの誕生パーティーは自分も楽しめそうな気がしてきた。
 何を準備をするかを考えるだけでもわくわくしてくる。
 
 アスカは何も言えなかった。
 ありがとう、そう小さく呟くだけすらできなかったのである。
 ただ俯いて頬を染めているだけ。
 しかし、それだけのことで大人たち三人には充分伝わった。

 だが、結果から言うと、
 産婦人科にいたミサトが動けなかったことが事態を悪い方向へと動かしてしまったのである。


 
 動けないミサトにプレゼントの購入を頼まれたリョウジが娘誕生に気分を良くしてサービス精神を発揮してしまった。
 上限5千円と妻に言われていたにもかかわらず、気が大きくなっていた彼は数枚の万札を財布に忍ばせていた。
 しかも彼はその能力を駆使してアスカの喜ぶものをリサーチしていたのである。
 彼には罪はない。
 罪はないが、この時ばかりはいささか状況を読み損なっていたと言えよう。
 彼の情報源となったのは、碇レイだった。
 彼女はリョウジの知りたいことをすっかり喋ってくれた。
 アスカが欲しがっているものを。
 この時、彼がウキウキ気分でなければ、もう少し踏み込んでいたかもしれない。
 ただ、使徒戦時と違い、レイとアスカの仲がいいということだけで甘く考えていた。
 確かにアスカはレイと友人となり、何でも喋ってはいる。
 だが、この時プレゼントに何が欲しいかなどということをあまりに詳しく喋りすぎていた。
 しかもレイからのプレゼントは別のものを指定していたのである。
 赤色のエプロンが欲しい、と。
 この指定にはレイは喜んだ。
 何しろプレゼントに何を買えばいいのかまったくわからなかったのだから。
 贈り先からのリクエストなのだから、レイにとっては渡りに舟。
 にっこり微笑んで、それを誕生日にプレゼントすると宣言したのだ。
 その直後にアスカはさりげなく(彼女としては)はっきりと(相手がレイだから)秘密を漏らしたのだ。
 男の人からは青色のペンダントが欲しい、と具体的にアスカは語った。
 さすがにシンジからとまでは言えないし、シンジに伝えてくれとも言えやしない。
 そこである程度まではっきり言い、誰にも秘密にする必要はないと言うにとどめた。
 そして、シンジにそれとなく(彼女としては)おぼろげに(相手がシンジだから)告げたのである。

「レイったらリクエストを訊いてくるのよ。
 だからさ、こ〜ゆ〜のがいいって言ったの。
 そしたらさ、それは男の人からもらう方がいいと思う、なぁ〜んて言われちゃったのよ。
 レイもなかなか言うようになったわよね、はははははっ。
 結局、男の人からのプレゼントのリクエストをレイに話しちゃったってわけっ」

 いささか語尾に力が入ってしまったのは仕方なかろう。
 今回のアスカの命題は、シンジから青色のペンダントをプレゼントしてもらいたいということである。
 もちろん彼女の意向を調査してくれているのかどうかも問題なのだが、
 ふと手にした情報誌にこんなことが書かれていたのだ。

 12月生まれのあなたは意中の人に青色のペンダントをプレゼントされればその想いが叶うでしょう。

 最初は鼻で笑ったものだが、一度読んでしまうと気になるものだ。
 青色というと12月の誕生石である、トルコ石かラピスラズリを意味しているのだろう。
 要は誕生石をプレゼントしてもらうと恋が叶う、という単純な判じ物にすぎない。
 しかし、そんなものにでも縋りたくなるのはアスカとしては当然の帰結であろう。
 指輪などではサイズの問題が出てくるがペンダントなら色さえ伝われば大丈夫ではないか。
 こうして彼女はシンジから青色のペンダントをプレゼントしてもらえるように苦心することになったのだ。

 そして、その情報はシンジに伝わった。
 彼は3ヶ月前からお小遣いを貯めていき、総額5千円の予算を手にしていた。
 レイからの貴重な情報を受け、おっかなびっくりで調査したところ何とかそんな予算でも購入は可能だ。
 シンジは喜んだ。
 アスカの欲しいものを贈ることができる。
 彼は顔を真っ赤にしながら、それでもできるだけきれいなペンダントにしたいとショップを回った。
 5千円の予算で買えるものには、廉価で若い恋人が購入することが多いためかハート型のデザインが多い。
 さすがに現状のシンジがアスカに贈ることができるデザインではない。
 贈れば最上級の喜びをアスカが示すことなど彼の想像の域を超えていた。
 そんなものを渡せば突き返されると思い込んでいたのだ。
 結局、彼はトルコ石のペンダントにした。
 逆三角形で水色に近いものだ。
 本当はラピスラズリの方にしたかったのだが、彼の予算ではハート型のものしかなかったのである。
 きっと“青色の”というのは誕生石を意味しているのだという推理があったので、
 トルコ石でいいだろうと考えたわけだ。
 これが彼の財布の限界だった。

 彼の予算の12倍の金額でリョウジがラピスラズリのペンダントを購入したなどとは夢にも思わずに。



 12月4日。
 アスカは朝から碇家に追放されていた。
 レイを送ってきたゲンドウの車に収監されて、彼女は隔離されてしまった。
 すっかり舞い上がってしまって誕生パーティーの準備の邪魔になるからだ。
 何しろ3日前にレイにプレゼントのことをシンジに喋ったと聞き出してから、
 ナチュラルハイ状態が続いているアスカだ。
 もしプレゼントが青色のペンダントじゃなかったらどうしようか。
 そんな不安よりもプレゼントがそのものズバリであったならという、嬉しい方の想像が逞しくなってくる。
 にんまりと笑っている少女の顔をルームミラーで垣間見るのはいささか不気味なものだ。
 何しろレイの微笑を菩薩と例えるならば、アスカのそれは黄金仮面の如きものであったから。
 ゲンドウは運転に集中した。

 アスカが待ち望んでいるものはシンジの部屋に隠されていた。
 誰も家捜しなどせぬというのに、引き出しの奥の奥。
 そこにトルコ石のペンダントはきちんとラッピングされて出番を待っていたのだ。

 誕生日のパーティーが始まったのは、午後1時。
 参加者は碇家からはレイに加えてゲンドウとリツコの夫婦。
 中学校からはヒカリと彼女に強制参加させられたトウジとケンスケ。
 新婚の青葉夫妻と、最近彼女ができたという噂の日向マコト。
 ゲンドウに連行されてきた冬月コウゾウも窓際の椅子に座っている。
 そして、長居はできないのよねと赤ちゃんを大きな籠に寝かせて連れてきたミサトとリョウジだ。
 
 平日に催されたシンジの時と違い、日曜日のお昼だけに千客万来、まるで同窓会のようである。
 ただし司会者がいるわけでもなく、出し物があるわけでもない。
 飲んで、食べて、喋って。
 そのようなものでしかないのに、アスカは嬉しくて仕方がなかった。
 彼女は暫しシンジのプレゼントのことを忘れ、心地良い空気に抱かれていた。
 
 飲んで、食べて、喋って。
 それらが一段落して、まるで示し合わせたかのように場が静かになる瞬間がある。
 それを狙い済ましたかのように赤ん坊の泣き声が部屋に響いた。

「わっ、忘れてたっ」

 一杯だけだと釘を刺されて、ちびりちびりとビールを楽しんでいたミサトが椅子から立ち上がる。

「あら、お乳?」

 何気ないリツコの一言にうら若き少年たちは一様に顔を赤らめ、何故かマコトも真っ赤になった。
 悪びれもせず、照れもせず、ミサトはさっさと赤ん坊の元に。

「ミサトの母乳ってアルコール入ってんじゃないの?」

 アスカの冗談にみんなが笑う。
 
「失礼ね!ずっと禁酒してたんだから、アルコール分ゼロよっ!」

「じゃ、これからもそうしないと」

「あちゃぁ、晩酌くらいにしとくからさ。それならOK。問題なし」

「葛城さんの晩酌って何本飲むんですか」

「缶ビール1ダースは固いわね」

 アスカだけでなく、マヤやリツコまで半畳を入れる。
 
「もうっ、1本にしてるわよ、1本に!」

「樽で1本じゃないの?」

「樽は本で数えませんっ。やっぱ、アスカは日本語駄目ねぇ。そんなんじゃ受験失敗するわよ」

「はっ、首席合格狙ってんのよ、アタシは」

 こんなことを立ち止まって話していたわけではない。
 赤ちゃんを抱き上げ、授乳のためにアスカの部屋に向かうミサトに女性陣全員がくっついていったのである。
 そして最後に部屋に入ったアスカは振り返ってびしりと言い放った。

「男子禁制!覗いたら殺すわよ」

 ぴしゃんと閉まった扉を見て男たちは苦笑い。
 
「さすがの俺でもなぁ」

 ケンスケは眼鏡を取って天井を仰いだ。
 正直に言うとミサトの裸に興味はあるが、だからと言って赤ん坊に乳を含ませる姿を見て欲情など覚えようがない。
 
「やはり何か。授乳というものは珍しいのだろうか、今となっては」

「子供の数が少ないですからな。昔とは違って」

 感慨深げな冬月とゲンドウの会話を聞いて、一同はそういうものかと頷いていた。
 しかし、そんな感慨も扉の向こうから漏れてきた声に消し去られてしまったのである。

「わっ、飲んでるっ」

「当たり前でしょ。でも、おいしそうね」

「ふふん、製造元がいいからよ」

「だけど、おいしいのかしら?本当に」

「あら、マヤ。忘れちゃったの?」

「うちはミルクだったみたいなんですよ。先輩は?」

「さあ、多分ミルクでしょ」

「これと牛乳は違うの?」

「もうっ、レイったら!牛乳は牛でしょっ。ま、ミサトのは牛も顔負けだけどさ」

 さすがの葛城リョウジも周囲の者の視線が怖く顔を伏せる。
 確かに彼女の胸はリョウジの知る限りトップクラスであった。
 こういう部分になるとケンスケやトウジの表情もにやけてしまう。

「人間と牛で、味が違うの?」

「とぉ〜ぜんじゃない!って、飲み比べたことないけどさ」

 アスカに母乳かミルクかの記憶はない。
 今度父にそっと確かめてみようかとも思うが、今はこう言ってしまってもいいだろう。
 母と言う存在を持たないレイに彼女はそのように言い切った。

「じゃ、確かめてみたい」

「ええっ」

 叫んだのはアスカだけでなく、ヒカリとマヤも同様だった。
 ミサトとリツコは微笑んだだけである。
 因みにリビングの男たちは思わず顔を見合わせた。
 そしてリョウジが囁いたのである。

「あれは美味くはないぞ」

 続いてゲンドウが唇を開きかけた。
 すると傍らの冬月が彼の肩をぐっと掴んだのである。

「ゲンドウ。私の美しい思い出を汚さないでくれないか」

「むぅ…」

 呻いた彼の耳は赤く染まった。

「ちょっと待ってね、レイ。うちの娘が飲み終わって、げっぷをしてからよ」

「了解」

 何事かぺちゃくちゃと喋っている女性たちと違って、リビングの方は一種独特の沈黙が訪れていた。
 その沈黙の意味を口にしたのはトウジだった。

「やっぱしあれかいな。ミサトはんの胸をちゅうちゅうするんかいな、あいつが」

 返事はなかった。
 まったく男というものはいらぬ妄想をするものである。
 あのシンジでさえそうだったのだから、もしアスカがこのことを知ったならデコパッチン程度ではすまなかっただろう。



 しばらく後、レイはミサトの母乳をぺろりと舐めた。
 掌に出してもらった母乳の味は彼女の顔に戸惑いを浮かべさせたのである。
 美味しくはないし、何とも形容しようがない。
 牛乳をイメージして味わうのだからそれももっともなのだが。
 珍妙な表情に好奇心がそそられたのか、結局全員が母乳を味わった。
 リツコまでもが。
 
「これが、赤ちゃんにはいいのかしら?」

「これがって何よ。もうすぐあんただって出るようになるのよ」

「私に出るかしら」

「さあね。でも成分調整なんてするんじゃないわよ」

「まさか」

 真顔で否定するリツコの顔がおかしくて、みんなが笑う。
 微笑むレイはミサトの腕の中の赤ん坊を覗き込んだ。

「もう、寝てる」

「寝るのが、赤ちゃんの仕事だからね。で、お腹が空いたら泣いて」

「それから、お漏らししても泣く、と。
 お母さん、早く気がついてよって」

「リツコ、それどういう意味よ。
 まるで私が放りっぱなしにしそうって風に聞こえるじゃない」

「あら、ごめんなさい。一般論だったんだけど」

 眠れる赤子に遠慮して、女たちの笑い声は小さくなっていた。



「まあ、味を知りたかったら結婚して赤ちゃんを作って、奥さんに頼んでみるんだな。それしかない」

 リョウジが結論を出し、男たちは苦笑した。

「では、一番早く味わうのは青葉君かな」

「いや、うちはまだ…。もしかするとマコトのヤツがフライングして…」

「そ、そんな、俺はそこまで…」

 口走ってしまい顔を真っ赤にしたマコトを見て、部屋の空気が和む。
 その時そっと冬月がゲンドウをたしなめた。

「何も言うな。一人でこっそり味わっておけ」

 こういう話題になると冬月のゲンドウへの対応はきつい。
 生涯独身者のやっかみだと思って、彼は耐えることに決めた。
 そして、15年ぶりに母乳を味わうことも固く心に誓ったのである。
 まさか乳房に直接とまでは考えもしなかったが。



 誕生パーティーの主役はアスカでないような気がして、シンジはそれに少し腹がたった。
 しかし、当の彼女はけろりとした顔で赤ちゃんの話題に加わっている。
 アスカは別に中心が自分でなくてもいいと思っていた。
 パーティーだけでなくすべてにおいて。
 但し、それには大きな注釈がつく。
 碇シンジにだけは中心でなくてはならない。
 そうあって欲しい。
 彼女の希望とは裏腹に、現実に彼の世界の中心はアスカだ。
 彼女の中心がシンジであることと同様に。

 さて、いささか不満顔のシンジだったが、赤ちゃんのためにミサトたちが長居するわけにもいかず、
 パーティーはもうすぐお開きということになった。
 そして、アスカが待ちに待った誕生日のプレゼントの授与式である。
 レイが贈る赤いエプロンに続いて、ヒカリのお鍋と鍋つかみセットやトウジのキッチン小物。
 どうやらそれはヒカリの見立ての気配が濃厚だったが。
 そして、みんなを唸らせたのはケンスケのとっておきだった。
 運動会の写真。
 アスカがシンジをおんぶして疾走する場面を見事に捉えたものだ。
 真剣な眼差しのアスカにひきかえ、照れまくっているシンジの表情のアンバランスがたまらない。
 この写真を大きく引き伸ばして、パネルにしたのである。

「アリガト!いい場所に飾るからねっ」

 頬を真っ赤に染めながらアスカはケンスケに誓った。
 そして、大人たちも思い思いのプレゼントを彼女に贈った。
 そのやり取りをシンジは胸をドキドキさせながら見ている。
 別に自分がトリを務めようとは思っていなかった。
 例によってタイミングを失っていただけだ。
 だから彼はプレゼントの小箱を手に突っ立っている。
 喉はからから、背中に汗。
 ところが、その汗が一瞬でひいてしまった。
 リョウジが彼のものと同じようなサイズの小箱をアスカに渡し、
 その包装を彼女が捲った時だった。

 中に入っていたのは、ラピスラズリのペンダントである。

 アスカは声を失った。
 周りの者は溜息を漏らす。
 見るからに高価なものだとわかったからだ。
 自分の設定した予算とは違うのがわかり、ミサトは誰にも聞こえないように「こら」と小声で傍らの夫を叱り付けた。
 リョウジはそれに対し、別にいいだろとアイコンタクト。
 あげてしまったものは仕方がないとミサトが溜息を吐いた時だった。
 彼女の野生の勘が働いた。
 目の前のアスカは明らかに動揺している。
 それは高価なプレゼントだからではないように見えた。
 そして、部屋の外れにいるシンジに眼を移すと、彼は泣き出しそうな顔をしていた。
 まるでこの街に来た頃のように情けない顔つきで。
 その手に小箱が握られていることを見て取るや否や、ミサトは大声を上げた。

「あああっ、こらっ!この馬鹿!プレゼント間違えてるじゃない!」

「えっ、いや、俺は」

「ごめんっ、アスカ。それ、私の誕生日プレゼントなのよ!
 この馬鹿にリクエストしてたんだけどさ、間違えてそっちを持ってきちゃったみたい」

 叫びながら、何も言うなと夫を一瞬で黙らせる。

「あ、そ、そうなの?」

「そうね、アスカのにすれば少し高価すぎるものね。
 でもミサト。一度あげたのだから、その本当のプレゼントに何か色を付けなさいよ」

「わかってるってば、ビール1ダース…ってのはまずいから、クリスマスディナー券でもつけるわよ」

 そう言いながら、ミサトはナイスフォローとリツコにウィンクする。
 そのウィンクは続けてアスカにも向けられた。
 アスカも勘は鋭い方だ。
 詳しいことはわからないが、ここはミサトに追随する方がいいと判断した。
 何しろ、彼女もシンジの表情を見てしまったからだ。

「わぁっ、儲けたっ!そうねぇ、こ〜ゆ〜高いのは、もっと大人になってからでいいわ。
 一瞬、嬉しかったけどさ。へへへ」

「ごめんね。じゃ、後でさディナー券付きで本物を届けるから、これは返してね」

「OK!包装破っちゃってごめん」

 袋の中に小箱と包装紙を入れ、アスカはリョウジに手渡した。
 「ごめんね、葛城さん」と囁き声つきで。
 事ここに到るとリョウジも自分の失敗に気がついたようだ。
 彼は明るくおどけるように受け取ると、大声でぼやいた。

「あ〜あ、これでこいつにもまた別のものを付けろって言われるんだろうなぁ」

「と〜ぜんじゃないっ。楽しみだわぁ、何をプラスさせようかしらね」

 この成り行きに気づいたものも気づかなかったものも笑い声を上げた。
 こうして、アスカの誕生日パーティーはお開きになったのである。

 大人たちは先に退出し、ヒカリたちが大急ぎで後片付けを始める。
 ミサトがトウジに「シンちゃんがプレゼントを渡すから早くみんな出て行くのよ」とこっそり告げたからだ。
 手伝うというアスカは主賓だからとソファーに座らせた。
 そして、ケンスケがシンジに誕生日記念でチェロでも聴かせてやれよと言う。
 それはシンジにとっても渡りに舟だった。
 プレゼントをもう一度ポケットに収めたものの、再チャレンジのために心ここにあらずといった状態だったからだ。
 チェロの音色は弾いている本人を落ち着かせるとともに、聴くアスカの心もうっとりとさせた。
 彼女にとっても先ほどの様子から判断して、シンジからのプレゼントが期待度たっぷりだから胸はどきどき状態なのである。
 そんな二人を微笑ましくも見守りながら、毒舌も忘れない級友たちである。

「あほらし、とっととくっつきゃええのに」

「そうだな、はた迷惑というか何と言うか」

「あなたたちぃ〜、でも、アスカたちもいい加減にしなくちゃね」

「ふふふ、面白いわ」

 何がどう面白いのかというツッコミをレイに投げかけることはトウジはしなかった。
 彼はあらかた片付いたリビングを見渡す。
 ソファーにはケンスケの贈ったパネルが置かれ、シンジの部屋から流れるチェロの音はどことなく柔らかく、そして温かく感じられた。

 まあ、がんばってんか、センセ。

 彼は心の中でシンジにエールを送ったのである。



 その1時間後。
 緊張の一瞬が訪れようとしていた。
 シンジはどうしてみんながいる時のドサクサ紛れに渡しておかなかったんだと後悔し、
 アスカはマンツーマンで渡された時の対応をどうすればいいのか未だに悩みまくっている。
 とりあえずどちらからともなくテーブルに向かい合って座った。
 そしてシンジは何度も右のポケットに手を入れては出してを繰り返す。
 それが見えているだけにアスカの焦燥感は膨れ上がる一方なのだ。

 もしかしてシンジはわざと焦らしているのではないか。
 いいや、あの馬鹿にそんな高等テクニックがあるはずがない。
 いつものように踏ん切りがつかずに悩んでいるに決まっている。
 これが他のことであれば、怒鳴りつけるなどの後押しをするアスカなのだが、
 今回ばかりはそうもいかない。
 何しろ自分のリクエストしたプレゼントが入っているのかどうかの瀬戸際なのだ。
 今までの状況から99%彼のポケットの中には、青色のペンダントが入っているはずだ。
 その筈なのだが、相手はあのシンジなのだ。
 大どんでん返しで赤色のブローチとかが入っている可能性もある。
 もしかすると、あの駄菓子屋のビー玉が10個ばかり入っているのかもしれない。
 いや、10円チョコが何個か…。
 いけない、いけない。
 考えれば考えるほど、期待や予想とはまったく違うものが出てくるような気がしてくる。

 シンジは何度も決心していた。
 唯一言だけ言えばいいだけではないか。
 誕生日おめでとう、と。
 そしてポケットの中の箱を渡せば終わりだ。
 それだけのことなのに、踏ん切りがつかない。
 よし、言うぞ!と決心し、カウントダウンをするのだが、
 残り2カウントのあたりで、「だ、だ、だめだ。まだだめだ」と弱気の虫がむっくりと起き上がってくる。
 
 簡単にことが進むような二人ではない。
 失うことを恐れて一歩踏み出すことができない。
 その上、こういうことになればアスカまでもが相手を非難するのではなく、己の不甲斐なさに歯軋りする始末。
 このままでは、シンジの誕生日の再現となってしまう。
 手渡しするのが恥ずかしいために相手が寝てから…現実には起きていたが…部屋の中に放り込む。
 渡すことはできるのだが、それでは進展しないのだ。
 1年に一度のこのイベントもまた不発なのか。
 期せずして、二人とも同じことを思ったその時だった。

「わっ」「きゃっ」

 数十年前の黒電話ではあるまいに、優しい音色の電話のベルに腰を浮かして驚く二人。
 そして「アタシが出る!」と叫んだアスカは飛びつくように受話器を取った。

「もしもし…?」

 その通話の間でアスカが発した言葉は唯それだけだった。
 甲高い少年の、シンジにとっては意味不明の言葉の濁流が受話器から飛び出してきたのである。

Hallo? Asuka?
   Ich bin's! Erkennst Du mich nicht? Ich bin's, Schroeder! Dein Bruder!
   Ja, ich wollte eigentlich gleich sagen:
   Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!!
   Hehe. Ja, wir sind gerade auf dem Weg zur Kirche. Natuerlich zum
   Gottesdienst am Sonntag.
   Tja, eigentlich will ich nicht, da so langweilig... upps, verraet mir bitte nicht!
   Vati und Mutti sind noch vorzubereiten.
   Ich wollte Dir einfach als Erste meiner Familie den Glueckwunsch mitteilen,
   also ich rufe Dich jetzt heimlich an! Die Nummer hatte ich schon vorher notiert.
   Ich bin klug, nicht wahr?
   Tja, jemand kommt gleich. Tschuess!! Alles Gute, Asuka!!
 

 ガチャンという受話器を勢いよく置いた音がシンジの耳にも届いた。
 遥かドイツの音が。
 アスカは呆然とした顔で受話器を置き、そしてぷっと吹き出す。

「何よこれ。アタシ、ありがとうも言ってない…」

「えっと、弟さん?」

「うん、シュレーダー。日曜礼拝に行く前にこっそりかけてきたの。
 アタシにおめでとうってママたちよりも先に言いたかったんだって」

「へぇ…、何だか、えっと、何て言うんだろ、あのさ、そうだ、可愛いね」

「ははっ、変なシンジ。でも、ホント。アンタの言う通り。可愛い、凄く」

 いつになく、ぶつ切りの言葉だったが、それが逆にアスカが本音で喋っていることを感じた。
 微笑むアスカは少し足取りも軽くテーブルに戻ってくる。
 そして、椅子に座る前に思いついた。

「ねっ、コーヒーでも飲む?」

「うん。そうだね、じゃ僕が」

 腰を浮かしかけたシンジだったが、アスカはもうキッチンに歩き出していた。

「いいわよ、アタシが淹れたげる」

「でも誕生日なのに…」

「いいのっ。誕生日なんだから、アタシの好きなようにさせてよ」

 そう言い残し、赤金色の髪を靡かせて彼女はさっさとキッチンの中へ。
 シンジはその後姿を見送って、思わず知らず大きな溜息を吐いた。
 少なくとも緊張のひとときは過ぎた。
 いや、先送りになったという方が正しいが、次はちゃんと、普通に、言えるような気がする。
 アスカの弟君様々だ。

 コーヒー豆を量っているアスカも、特大の溜息を吐いている。
 助かった。
 あのままではいつか感情が爆発してしまって取り返しのつかない事態を招いていたかもしれない。
 これで巧くシンジを誘導できるかもしれない。
 そんな気がする。
 シュレーダー様々だ。

 

「ふぅ、美味しいね」

「ブラックで飲めないくせに」

「仕方ないだろ。無理して苦いのを飲むより、こっちの方が美味しいもん」

 シンジは美味しそうにコーヒーを啜る。
 何よりもシンジの好みの量の砂糖とミルクを先に入れておいてくれたことが、彼をいい気分にさせているのだ。
 そして、その表情がアスカをもいい気分にさせている。
 場は充分和んだ。
 だが、だからと言ってさっさと進めるシンジでもない。
 彼は充分に準備体操をしてからプールに入るタイプなのだ。

「えっと、アスカの弟って…」

「シュレーダーっ?」

「うん。シュレーダー君。今、ずっと一人で喋ってたの?」

「そうよ。アタシ、もしもし、だけしか言ってないのよ」

「へぇ、それだけでわかったんだ。凄いね」

「女の声だったからじゃない?アタシじゃなくてもきっと思い込んでるわよ」

「じゃ、番号間違えてたら大変だったね」

「ホントっ。アンタにしちゃ、なかなか巧いこと言うじゃない」
 
 楽しげに笑うアスカにシンジの口も軽くなった。

「あ、そう言えば、アスカって名前で呼ばないんだね、リョウジさんのこと」

「ん?加持さんじゃなくなったんだから、葛城さんでいいじゃない。ミサトはミサトなんだしさ」

「う〜ん、まあ、そうなんだけどさ。なんだか、葛城さんって言いにくくて」

「気にしすぎなんじゃない?婿養子に行ったから?名前なんて唯の符号じゃない」

「だったら、どうして名前の方で呼ばないの?」

 アスカは内心首を捻っていた。
 この会話は唯の世間話なんだろうか。
 どうも違うような気がする。

「だってさ、アタシだって女の子なのよ。男の人を名前の方で呼ぶなんて抵抗あるわよ」

 それは事実だった。
 加持に熱を上げていた時でさえ、“リョウジさん”とは呼べなかったのだ。
 
「そうか、シュレーダー君は弟だもんね」

「あったり前じゃない。まだお喋りできないけど、カールだって名前で呼ぶわよ」

「そ、そ、そうだよね。は、はは」

 明らかに挙動不審である。
 この会話に流れを向けたときの自然さはどこへ行ってしまったのか。
 もはやシンジはアスカの目を見られなくなってしまっていた。

「トウジだって名字で呼んでるものね、鈴原ってさ」

「アンタ馬鹿ぁ?ど〜して、このアタシがあんなヤツをファーストネームで…」

 そこまで言って、ようやくアスカはピンと来た。
 もしかしてそういうこと?
 これって、物凄くいい方向に話が進んでいるんじゃないの?
 まさか、シンジは告白を?
 アスカの頬にさっと朱が走る。

「あ、アタシが…」

 言うのよ、アスカっ。
 彼女は自分を奮い立たせた。

「アタシが、ファーストネームで呼ぶのは…、呼ぶ男性は…、そ、その、つまり」

 この時、シンジは顔を上げてしまった。
 もし、そのまま彼が俯いていたならばアスカも反射的に言い換えていなかっただろう。
 ちゃんと“好意を持っているから”という意味の言葉を発するつもりだったのだ。
 ところが、当のシンジと目が合った瞬間、恥ずかしさが先にたってしまい、咄嗟に目を逸らしてしまったのだ。
 顔ごと。

「決まってんじゃないっ。家族同様ってことよ。んまっ、アンタの場合は出来の悪い弟ってことよねっ、はははっ!」

 あああああ〜ん、アスカの馬鹿っ!
 言いたいことが言えないばかりか、まさに一言余計。
 アスカは良すぎる反射神経を呪い、シンジは期待していた言葉との落差にがっくりする。
 いつものように言葉のすれ違いで、せっかくのこの状況も実ることはなかった。
 二人は内心の落胆を押し隠して、会話を続けるしかなかった。

「そっか、弟か…、って、僕の方が誕生日早いじゃないか」
 
「こ〜ゆ〜のは年齢よりも経験とか知識とかがものを言うのよ」

「そうかなぁ」

「そうなのっ。ま、アンタみたいな情けないのが弟分だから、アタシとしては目を離せないってことなのよ!」

 ははは、と口では高笑い。
 心の中では大泣きのアスカは、究極に至る進展はあきらめた。
 ここはプレゼントを直接貰う。
 しかもその中身が“青いペンダント”であれば、言うことは何もないではないか。
 彼女は無理矢理に回路を切り替えた。

「ねっ、シュレーダーのプレゼントって覚えてる?」

 プレゼントにアクセントを置いた発言に、シンジの身体は敏感に反応しびくんと震えた。
 
「え、えっと、印象画風のアスカの絵」

「こらっ、馬鹿シンジ!それはおまけでしょうがっ。それに印象画って何よっ!」

「アスカが言ったんじゃないか!これは印象画なんだって」

 シュレーダーとアスカは顔を合わせたことは一度もない。
 電話では何度も喋っているのだが、お互いに姿は写真でしか知らないのだ。
 だから、少年は姉の姿を写真を元に描いた。
 一番最近の写真はシンジが撮ったパンツ丸見えの後姿。
 その前が夏休みの浴衣姿である。

「仕方ないでしょ。浴衣の写真は上半身だったんだから。見たこともない日本の服なんだもん」

 シュレーダーはまるでカッターシャツのように、浴衣を上半分ですっぱりと切って下にスカートを履かせている。
 おまけにそのスカートは風に膨らむように捲くれてパンツが丸見えになっていた。
 黄色のスカートにピンクのパンツ。
 浴衣も写真の通りにピンクでヤグルマソウが服からはみ出して描かれている。
 顔を大きく描きすぎた所為で、アスカは見事な4頭身。
 身体をディフォルメされた上に、髪の毛は鮮やかなオレンジ色で口よりも大きな目は空よりもはっきりした青色。
 その二つの色に影響されたために、アスカの唇は毒々しいばかりの真赤々。
 顔に使った色が派手すぎたのを反省したのか、
 背景をど派手にして物凄い顔の色を消そうと思ったのが間違いで
 鮮やかなグリーンのために余計に赤色が引き立つ始末。
 しかし助言を求めた父親が言葉に窮して「20世紀初頭の印象派モゴモギョのようだ」と逃げた。
 その適当な逃げ言葉を真に受けた少年は逆に胸を張ってしまった。
 そして、プレゼントを詰めた箱の中にこの絵も入れたのだ。
 架空の人物であるモゴモギョの、再来である天才少年画家の作品だと豪語したカードつきで。
 3日前にプレゼントBOXを受け取ったアスカがお礼の電話を入れた時、
 自称天才少年画家を讃える言葉に困り果てたのは余談。

「ええっと、絵の他は…彼の大好物の飴玉の詰め合わせと、ドライフルーツケーキだっけ」

「あたり。自分のお小遣いでしてくれたんだもん。シュレーダーにすれば大奮発よ、きっと」

「そうだよね。あ、じゃ、僕も彼の誕生日に何かしないと…」

 よし、掛かった。
 アスカは(邪悪な)笑みを漏らさぬように顔を引き締めた。

「はぁ?どうしてよ」

「だって、僕も食べちゃったじゃないか。飴もケーキも」

「そうだっけ?」

「ああっ、アスカが食べろって言ったんじゃないか。だから、僕…」

「あ、そう。それじゃ、仕方ないよね。
 シュレーダーはね、4月2日生まれ。よろしく」

「4月かぁ。わかったよ。アスカも用意するんだろ、その時に」

「何をよ」

「そ、それは…」

 言えっ。馬鹿シンジ、言ってしまうのよっ!
 アスカは念を込めて、それとなくシンジを睨みつけた。

「ぷ、ぷ、プレゼント…」

 言葉と一緒に彼の顔もお辞儀した。
 ここではっきり言えと責めつけてもいいが、それなら押し黙ってしまう恐れがある。
 今はその小さな呟きをしっかり聞いたとする方が絶対によい。
 アスカはそう判断した。

「あっ、プレゼントねっ!なるほど、シンジ。Gut !

「そ、そう?」

「シュレーダーも喜ぶわよ。そっかそっか、プレゼントか。
 誕生日のプレゼント、ねぇ」

 ここまで来れば、もうアスカも逃げようがない。
 シンジを追い込むとともに、自分の逃げ場をなくそうとしたわけだ。
 彼女は自分からプレゼントを要求しようと考えた。

「こ、これっ。ぼ、ぼ、僕からっ」

 手を出そうとしたその瞬間に、シンジは叫んだ。
 アスカの顔を見ることができなかったのは減点だが、これが彼には精一杯。
 突き出された小箱をアスカは咄嗟に両手でしっかり受け取った。
 「これ、何よ」などと言うつもりだったのに、出てきた言葉はこれだった。

「アリガト!開けていい?」

 いいもくそもない。
 逃げ出したいシンジを目の前に、アスカは震えそうになる指先を叱咤激励して包装紙を捲った。
 そして小箱の蓋を開ける。
 その瞬間、彼女は大きく息を吐いた。

 トルコ石のペンダントがそこに。

「ご、ごめんね。その程度でさ…」

「ど〜してよ」

「だってさ、僕のなんてリョウジさんのに比べたら…」

「はっ、あれはミサトの誕生日プレゼントじゃない!」

「でもさ、あんなに高いの見ちゃったんだから…」

「だ、か、ら、あれはっ」

 アスカは大きく息を吸い込んだ。
 
「け、結婚した夫から妻へのプレゼントじゃないの。
 も、も、も、もしも、よ。あ、あんな凄いのをさ、プ、プレ、プレ」

 ええ〜いっ、しっかりしろ!馬鹿アスカっ!

「プレゼントしたかったら、け、け、け、結婚してから…したらいいじゃない」

 最後はさすがに殆ど声になっておらず、視線もテーブルに落ちていた。
 しかし、アスカは興奮しきっている。
 ついに言ってしまった。
 そして数秒後、彼女は恐る恐る目を上げた。
 愛する人の様子を窺うために。

「あ、そうだよね。歳相応のってことか。アスカはミサトさんの半分以下だもんね」

 アスカは瞑目した。

 この、鈍感男!
 ここまで思い切ったことを言ったというのに!
 そりゃあ誰が誰と結婚するとまで言わなかったけどっ。

 目を開けると、その鈍感大王はにこにこと残りのコーヒーを飲んでいた。

 まあ、仕方がないか。
 今日はこのプレゼントをもらったってだけで。
 アタシのリクエスト通りの青いペンダント。
 これって、シンジが少しはアタシのことを大事に思ってくれているってことよねっ。 

 アスカは微笑んだ。
 その微笑をちらりと見て、シンジもまた喜んでいたのだ。
 自分のプレゼントを喜んでくれた。
 あんな高価なペンダントを見てしまったのに、この程度のものであんなに綺麗な笑顔を見せてくれている。

 しかし、さっきは驚いたなぁ。
 アスカの口から“結婚”なんて言われちゃったから、一瞬心臓が止まっちゃったかと思ったよ。
 でも、誰とって言ってなかったから、僕にも少しは脈があるってことだよね。
 変に突っ込んで、結婚を考えているような男の人が誰かなんてはっきり言われてしまうともうおしまいだ。
 だって、その人が僕のわけないもんね。
 だけど、まだ結婚なんて…って思ってたら絶対に落とし穴にはまっちゃうぞ。
 だって、女の人は16歳で結婚できるって聞いたもん。
 アスカは今日で15歳。
 ということは来年の今日にはもう結婚できるってことじゃないか。
 男は18歳からだから相手は僕じゃない。
 リョウジさんはミサトさんと結婚したから大丈夫……だよね。
 もしかすると、ドイツの婚約者とかがいるのかも!
 ああっ、今日の電話もシュレーダー君からじゃなくてっ。
 僕がドイツ語をわからないと思って、二人で示し合わせてっ。
 あ、でも、確かに子供の声みたいだったよね、ははは、考えすぎだよ、考えすぎ。
 とにかく、今は惚けているに限る。

 どうもシンジ君は鈍感ではなく、敏感すぎたようだ。
 とりあえず、今日のところは。





 ママ、聞いて、聞いて!
 シンジから誕生日のプレゼントを貰ったのよ!
 私の願いどおりに、青色のペンダント。
 トルコ石ってパッとしないから大嫌いな誕生石だったけどね。
 そりゃあどうして12月に生まれたのよ!って、4月とか5月とか9月とかを羨ましがったものよ。
 中でも7月のルビーなんて憧れだったわ。
 それがどうしてトルコ石なのよ。ラピスラズリにしても綺麗だけど、やっぱりねぇ。 
 でもでも、もう今日からはトルコ石に文句なんて言わないわ。
 トルコ石、最高!
 しかもね、プレゼントを貰った後に、シンジにお願いしたのよ。
 このペンダントをつけてってね。
 髪の毛を上げて首筋を見せたら、もうドキドキしちゃった。
 後のシンジがどんな表情してるか気になっちゃって。
 鏡で見えるようにしておけば良かったって思ってももう後の祭り。
 でもね、鎖を繋ぐ時にちょこちょこと彼の指が首に当たるの。
 恥ずかしいやら、こそばゆいやら。
 大騒ぎしちゃった。
 ねぇ、一つだけ訊いていい?
 パパからのプレゼント。
 左右2枚飾れる写真立てなんだけど、あの写真はママは知ってるの?
 知ってるわよね。ママが荷造りしてくれているんだもの。
 一応、確認しておきたかっただけ。




 愛するアスカへ。
 よかったわね。
 でもシンジ君がノスフェラトゥでなくてよかったわね。
 無防備に首筋なんか見せていると噛み付かれるわよ。
 それから、あなたは黙っていたけれども、シュレーダーがこっそり日本へ電話したこと。
 しっかり請求が来たから露見しました。
 電話をしてお祝いを言った事はむしろいいことだけど、秘密にしたことは褒められません。
 日本語の文章を10個覚えることで許してあげました。
 そして来年は日本語でアスカにお祝いを言いなさい、とね。
 彼は頭を抱えていたわ。
 お姉ちゃんはこんなわけのわからない言葉をどうして喋れるんだって。
 あなたのシンジ君がドイツ語を喋るのと、うちのシュレーダーが日本語を喋るのと。
 どっちが早いか勝負する?
 さて、写真の件です。
 もちろん、私は知っています。
 逆にハインツがそのことを言ってきてくれて喜んだの。
 ハインツとキョウコさんと、そしてあなたが写った家族写真。
 あなたはまだ2歳くらいね。
 幸福そうな家族。
 それを片側に入れて、そして将来のあなたの家族の写真をもう一方に飾る。
 彼にすればいい考えね。
 しかも手作りのスタンドだし。
 シュレーダーが手伝わせろ!って騒ぎまわっていたのよ。
 さすがにハインツはこれはパパが一人で作るんだって必死に突っぱねていたわ。
 だからシュレーダーは対抗して絵を描いたの。
 大丈夫よ、安心して。
 将来が待ちきれなければ、この前の祭りの写真でも飾ればいいわ。



 いじわるママへ。
 シンジがノスフェラトゥなんて酷い!
 せめてドラキュラにしてよ!
 彼はツルッパゲなんかじゃないし、前歯も出てないし!鼠なんかには似てないもん!
 でも、彼に血を吸われたら…。
 きっと私は彼の奴隷になってしまうの。吸血鬼の映画みたいに。
 それとも私が女吸血鬼になって、シンジを意のままに。
 なぁんてね。
 ママの作ってくれたシュトレン。
 毎日少しずつシンジと食べてます。
 それにもう一つのプレゼント。
 ノートに一杯の料理のレシピ。
 本当にありがとう。
 ひとつひとつ覚えていくね。
 来年は自分でシュトレンがつくれるといいな。
 出来がよければ、そちらに輸出します。
 文句を言わずに食べてね。
 私、がんばるから。

 追伸

 空いている片側にはお祭りの二人の写真は飾りません。
 決めました。
 私たちみんなの写真がいいの。
 来年の春休みに一度ドイツに帰ります。
 何とかしてシンジも一緒に。
 そしてシュレーダーやカールと一緒に、もちろんママとパパもよ。
 みんなで一枚の写真におさまるの。
 私、がんばってそれまでにシンジと未来を語れるようになってみせるわ。

 もうひとつ追伸

 ドイツの春って、どんなのだろう。
 覚えてないから楽しみなの。
 きっと素敵だと思う。

 最後の追伸

 みんなからの誕生日プレゼント。
 本当にありがとう。
 みんな愛してる!



 

<おわり>






Adler様

 

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<あとがき>

 

  12月のお話でした。
  苦労しました。だって11月を書き上げたのはほんの10日前なんですから。
  また今回もAdler様に多大なるお世話になってしまいました。
  一人で喋り捲って電話を切ったシュレーダー君の台詞です。
  これを某所の独英翻訳にかけると…。おおっと、訳せてない部分が多い。で、それをさらに日本語訳に。
  「こんにちは?飛鳥?Iつのビンの!あなたを認識する、私、ない?Iつのビン、Schr?derの!あなたの兄弟!
  はい、私は現実に直ちに言いたかった:誕生日への心からの祝賀!!Hehe。はい、私たちは、教会へ行く正確に途中です。
  日曜日に礼拝にもちろん。さて、現実に、私は望みません、以来、非常に退屈するほど...upps、miを裏切る?
  喜ばせる、ない!お父さんとママはまだ準備をするために、そうです。
  私は、単に祝賀を家族に通知したかった、あなた、最初にとともに、したがって、私は今秘密にDichを呼びます!
  持たれていたIは、以前にリストされた数を節約します。私は、真実ののではなく利口です?
  さて、誰か、同等のもの。TschuessAlles品物、飛鳥!!」
  ということです(笑)。まあ、意味はわかるでしょう(おい)。
  別の翻訳サイトでは直接ドイツ語から日本語に出来るのですが…。
  「こんにちはか。 飛鳥か。I大箱! 私を確認しないか。 I大箱、 Schroeder! あなたの兄弟!
  はい、 私は実際に直接言いたいと思った:誕生日のお祝い!!Hehe。 はい、 私達は教会へ次々に方法である。 
  当然に日曜日のサービス。Tja、 実際に私はほしくない、 そこにそう退屈そうに… upps、 私に喜ぶために裏切らない!
  お父さんおよびミイラはまだ準備されるべきである。私はあなたと私の家族の最初に単にとしてお祝いを伝えたいと思った
  従って私は秘密に今電話する!私は数に既に前に注意したあることが。私は理性的である、 偽りなくか。
  Tja、 誰か同輩。 Tschuess!! すべての特性、 飛鳥!! 」
  ううむ、まだこちらの方が伝わるかも。
  機械翻訳って難しいですね。知識のない者にとっては余計に。
  特にこれは会話文ですから、まさに生きているドイツ語と言えるでしょう。
  私が翻訳できるのは関西弁だけですね(とほほ)。
  何はともあれ、アスカさん、お誕生日おめでとう。
  問題のバレンタインデーまであと2ヶ月ですよ!


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